第六話 「学校での一日」
「……さーん? ファビィさーん、起きてください」
「ん……おはようございます」
「おはようございます。今日は気持ちのいいお天気ですよ」
二段ベッドの上、天井への目線を遮るようにエトナが私を起こした。ムクリと上体を起こし、梯子を下る。前日桶に貯めておいた水でパシャパシャと顔を洗った。波紋が揺れる水面には、思いの外爽やかな顔をした私がゆらゆらと映る。新生活が本当に意味で始まるのだ。
「ええっと、どこにしまいましたっけ……」
洗顔を済ませると、エトナがあたふたと制服を準備してくれていた。忙しなく動く姿は、ちょうど弁当を作り忘れたアリエに似ている。
「エトナは世話焼きですね」
「そう、ですかね……うちは兄弟がたくさんいたんです。弟が5人に、妹が3人」
「結構な大所帯で……エトナが長女ですか」
「下の子の世話には慣れてるのかもしれないですね」
そういうと、エトナは少しぷくりとした二の腕にフフンと力を込めた。一挙手一投足が愛らしい子である。
「はい、完成です!」
「思っていたよりも似合いますね」
私はなされるがままに着飾られただけだが、それでも素直にいい制服だと思う。紺の小ぶりのリボンで胸元を彩り、シンプルな白の服には、これまた紺のスカートが映える。決して派手ではないものの、そこはかとない美しさを感じるカラーリングだ。
「そうですね、ファビィさんは素体がいいですから」
「そういえば、そのファビィというのは……」
「あれ、ご両親はそう呼ばないのですか?」
「? 普通に『ファブリエル』と」
「失礼しました! 長いお名前ですからてっきりそう呼ばれているものだと思って……嫌でしたよね」
「いえいえ。これからもそう呼んでくれると嬉しいです」
「はい。ファビィ!」
なんだか、今日のエトナはよく笑う気がする。長女というのは、世話を焼くことにそれほど楽しさを見いだすのだろうか。エトナが例外なのだろうとは思うが。
それにしても、長い名前、か。アリエもナノもこの名前を気に入っていたようだったし、きっと私が可愛くてたくさん名を呼びたかったのだろう。そうに違いない。
だが、エトナの『ファビィ』も決して悪い気はしない。私にとって初めての友達がくれた、初めてのあだ名。記憶を失う前の「私」はなんと呼ばれていたのだろうか。
「ファビィ、よかったら一緒に朝ごはんを食べませんか?」
「いいですね、おすすめはなんですか?」
「まずパンは外せませんよ。この学校は麦に拘っていて……」
その後、エトナと食堂で朝食を取ったのだが、彼女は私の3倍の量を、3倍の早さで平らげたていた。もしかすると彼女の魔法は胃の容量を増やすものなのかもしれない。
───────
「はい、じゃあ授業始めまーす。今日は7月28日だから、気合入れてけよー」
(日にちは関係ないのでは……?)
初めての授業は剣術……の座学だった。この学校、もといこの世界は、魔法と剣が同レベルの強さと見なされているらしく、子どものうちに学ばないと大人になったときに社会的地位が危ぶまれるとか。なんとも喧嘩っ早い世界である。
「ねえエトナ、あの先生は?」
「グレイバック先生です。普段はああですけど、戦うとものすごく強いらしくて……」
「こらそこ、俺の話が面白くないのは知ってるが、そこまで露骨にされると傷つくからやめてくれー」
「はい、すいません」
グレイバックは剣術、体術、その他体育科目を担当する35歳ほどの男性教師である。ボサボサの髪、無精ヒゲ、パジャマをそのまま着てきたような服装。見窄らしいという言葉は彼のためにあると思えるほどの見てくれだった。しかし、それが許されているのは彼が“学校内最強”であるからだそうだ。エトナ曰く、あの生徒から恐れられていたヴァーザより強いとか。いや、ヴァーザが強いとか聞いてないんだけど。
「いいか、教科書の通り、戦いで大事なのは重心移動だ。重心が変われば、動かすのに必要な力も技術も変わる。これは武器を持ってても同じことで──」
グレイバックは見た目と裏腹に真面目に授業を行う。生まれてこの方魔法のことしか調べて来なかった私にとって、体の動かし方というのを学ぶのは非常に有意義なことだった。渡された教科書の中にはまだ読めない文字もないわけではなかったが、グレイバックのおかげでそれなりに理解も深まった。
集中して聞いていると、時間というものはあっという間に過ぎる。
「うっし、じゃあ今日はこれで終わりな。なんか質問あるやつー?」
「はい先生」
「またお前か、グリス……」
グリスと呼ばれたその少年は、驚くほど真っ直ぐ右手を伸ばしていた。一目でも分かるイケメンである。
「一応聞いておく。何が分からなかった」
「先生、僕は先生にお手合わせ願いたいです!」
「何が分からなかったかって聞いたんだが」
しかしまあ、頭はあまり良くないらしい。その分ガッシリとした体つきなので鍛えているのだろう。
「新入生、お前はどう思う」
「え、私ですか」
「お前以外に誰がいる。俺はグリスと勝負すべきか、否か。どちらだ」
「私は……興味があります。あまり戦いに縁のある生活ではなかったので」
実際それは嘘ではない。私が目にした戦いというのは、せいぜいナノが大木を引っこ抜くくらいだからな。
「よし、じゃあグリス表出ろ。他のやつらも見たけりゃ見てろ」
「よろしいのですか先生!」
「飛び級するほど優秀なやつには、色々見せたほうがいいと思うんでな」
というわけで、クラスの皆でグラウンドへ行く運びとなった。
───────
「よろしくお願いします!」
「うい、よろしく」
グリスは腰を直角にして礼をするが、グレイバックはそれをチョチョイとあしらった。
「知ってるだろうが一応言っておく。俺の魔法は、放ったものを引き寄せる『操引』。俺の使う武器はこれだ」
彼は木製の斧を肩に担ぎ上げながら説明を終えた。
「僕の魔法は『闘剣』です。このように、魔力から剣を作り出します」
「知ってるっつーの、お前の担当教員だぞこちとら!」
両者、距離をとる。剣のリーチの差を活かしたいのは理解できるが、少し離れすぎな気もする……
「新入生、合図を」
「お願いします、ファブリエルさん」
「は……はじめ!!」
覚束ない合図を皮切りに、グレイバックが斧を投げた。決して遅くはないその攻撃をグリスは綽々と交わし、鋭い踏み込みで距離を詰める。
「取った!」
「だからお前は馬鹿って言われるんだ」
しかし、グレイバックはそれでやられる程の器ではなかった。左手に魔力を込めるのが見えると、先ほど投げた斧がその手に向かって勢いそのまま戻ってくる。そして持ち手がグリスへと激突した。
「ぐはっ……」
「うい、お疲れ様」
その場に倒れ込むグリス。グレイバックが背を向けたときだった。
「いつ、僕が馬鹿と言われましたか!!」
「うおっ!?」
グリスの体から魔力が迸り、地面から幾つもの剣が生える。グレイバックの回避に合わせ、右へ、左へ。途中いくつかの太刀筋が頬を掠め、ほんの少し肌が紅く滲んでいる。そうして彼はグリスの目の前まで誘導された。
ほんの少し、血の臭いがする。私は固唾をのんでみていることしかできなかった。これが、この世界での「戦い」……!
「……やるようになっな、グリス」
「はぁ……ありがとう、ございます……」
「これは、使わないつもりだったんだかな……」
グレイバックはグラウンドの砂を手に含み、そのまま奥へと投げた。
「目眩ましっ!?」
「違う、そうじゃねぇ」
その瞬間、彼の姿が消えた。そして、砂煙を拳で掻き消しながら現れる。
「ほれ、こっち」
「ゔっ……」
正確に言えば、目にも留まらぬ早さで移動し、背後からグリスを殴ったのだろうか。隣で見ていたエトナも口をあんぐりとして驚いている。
「卑怯ですよ…」
「だからそうじゃねぇって」
グレイバックは手の砂を払うと、倒れたグリスに目線を合わせて言った。
「どうするグリス、まだやるか」
「まだ……やれます」
「いいね、その目は」
彼はニヤッと笑うとグリスの手を取り、立ち上がらせた。
「来い」
「はい!!」
グリスも学んだのか、直線的ではなくジグザグの軸を悟らせない動きに変わる。
グレイバックの投擲にもしっかり対応し、太刀筋が届きそうなところで、また姿が消えた。そして現れたところは、ちょうど投げた斧のすぐ側だ。
余りにも早すぎる移動のせいで、私の動体視力は追いつくことができなかった。
「すまんなグリス、俺はウソをついた。俺の魔法は引き寄せるんじゃない。『モノとの距離を縮める魔法』なんだよ。だからこうして俺が斧まで引っ張られることで、高速移動が可能ってわけだ」
そこまで言い終える前に、グリスは気を失っていた。あれは私も経験がある。魔力切れだ。さっき剣を生やしたときから、既にカツカツだったのだ。そうなるともう、半日は目を覚まさない。
「じゃあ、今日の授業は終わり。各自教室に戻れー」
グレイバックはグリスを背負い、校舎へ消えていった。
「凄かったですね」
「ええ……」
エトナも大層驚いた様子だった。グレイバックの戦いぶりはプロそのもので、本気でやればものの数秒でグリスは死んでいただろう。魔法を使う戦いというのは、こういうものか。
「私たちも戻りましょうか」
「そうですね。お昼ご飯はどうします?」
「うーん……」
私は少し、ワクワクしてしまっていた。魔法の可能性、肉体の可能性を目の当たりにしたのだ。もし、私がグレイバックのように魔法を使いこなしながら戦うことができたのなら。魔王を倒して、記憶を取り戻すことができたなら。
そのためなら、私は努力も手段も惜しまない。
次回:第一部 第七話
「加速する」
(テスト週間につき、しばらく更新が遅くなります。申し訳ありません)




