第二十話 「バタフライエフェクトⅡ」
「ねえナノ、なにか変じゃない?」
アリエは窓から外を覗き見た。今日も小川が流れ、小鳥がさえずっている。いつも通りのオオビノ村がそこにあった。
「そうかな? 僕は何も感じないけど」
ナノは、趣味の木彫をしながらそう言った。今作っているのは、ファブリエルがよく作っていた蝶だ。黒く縁とられた、蒼い羽の蝶。
今現在、ファブリエルを待ち続ける二階の部屋には、蝶や、狼、フロントライン家の4人など、深い思いの込められた様々な人形がある。
ナノはもしかすると、寂しかったのかもしれない。
「ナノ」
「どうしたの?」
アリエは、何かを察したようだった。小川の流れは荒ぶり、小鳥の鳴き声は悲鳴に変わりつつある。
「愛してる」
「……僕もだよ」
二人は、そっと抱擁をした。
────竜の庭にて
「ふむ、なるほどな」
花と草木が歌う平原で、知恵の竜・ウィーズは納得した。
『特異点』以降、なにやら世界がおかしいのだ。魔力密度は急激に上昇し、以前はなかったダンジョンは突如として発見され、魔物たちもどんどん進化している。
その理由を、なんとなく理解した。
いや、逆説的に、これらを引き起こしたからこそ『特異点』なのかもしれない。とも思った。
しかし、ウィーズが行動することはない。
彼は賢い。故に、自分以外の誰かが解決してくれるのを知っていたのだ。
「ふぁぁ……」
彼は大きな欠伸をしたあと、花畑の中で眠った。銀の鱗が、静かに太陽を反射している。
ふと、上空を、北からやって来た大きな影が通り過ぎようとした。しかしそれは、ウィーズの真上で停止し、段々と近づいてくる。彼は避けることも、追い払うこともせず、なされるがまま激突された。
辺りの花の旋律が止む。土埃の中から出てきたのは、一人の少女だった。
ウィーズにとって珍しい、興味を引くものである。久方ぶりに、好奇心が体中を駆け巡った。
「ぅむ……珍しい客人だ。名前は?」
「わ……私は──」
────南の空が割れた。
空間の裂け目から、一つの光がひりひらと舞い降りた。
その光はどんどん加速しながら、天涯に落ちようとしている。
「とうっ!」
そのとき、ある男が、その光を中空で受け止めた。紅く燃える鳥の仮面をつけたその男は、光の正体に気づいて大層驚いた。
「おぉ……なんとも、美しい御子だ」
彼の腕の中には、一人の娘がいた。
銀髪で、長いまつ毛と整った顔立ち。
しばらくすると、娘は目を開いた。
琥珀のような、翡翠のような、透き通った宝石のような色の瞳だった。
「失礼、お名前をお聞かせ願えるか」
────イスカ帝国近郊にて
「乾杯」
「乾杯!」
「乾杯!」
ダンジョンを踏破した後、私たちは学校の見える島の上で、祝杯を上げることにした。といっても、幾つかの果物と飲み物、それからパン程度だ。しかしまあ、今の私たちには十分なご馳走である。
「それにしても、強かったですねぇ」
「僕もそう思う。怪我を氷で治すだなんて」
「そんなことより、二人ももっと食べてくださいよ!」
しみじみと戦いを思い出していると、エトナは既に口いっぱいにパンを詰め込んでいるようだった。持ってきた食べ物の1/2はエトナのものである。
「なあファブリエル」
「どうしたんですか?」
グリスはゴロンと寝転んで、空を見上げて言った。雲の上に語りかけるような、寂しい声だった。
「僕は……僕たちは、これからどうなって、どうするんだろう」
「私は旅をするつもりです。どうしても知りたいことがあるので」
眼下の中央には、大きな王都が浮かんでいる。初夏の風が優しく私に触れた。
「ふぅん……」
グリスは納得したようだが、理解はしていないようだった。
「エトナは、何か夢はありますか?」
「わらひでふか?」
直ぐ側のエトナは、口の中のものをごっくんと飲み込み、胸を叩いてから話し始めた。
「私は、シスターになろうと思います。孤児だった私を救ってくれたズウィヒ教に、恩返しがしたいんです」
遠くを見るエトナの瞳は、とても輝いて見えた。その唇にパンのくずがついていなければ、もっと美しかったのだろうが。
「グリスはどうするんです? 夢とか、目標とかはあるんですか?」
「僕は……わからない。昔は、『世界で一番強くなる!!』だなんて息巻いていたけれど。なんだかもう、いいかなって。僕は所詮、第三王子だし」
グリスは溜息を上へ投げた。それでは自分に返ってくるばかりだろうに。
彼は変わった。12歳にしてはひどく、諦めや諦観といったものを感じる。
実際のところ、この2年を共にしておきながら、私はあまりグリスを知らない。
子どもはもっと子どもらしく、楽しく暮らしてほしいものだ。
「ねえファビィ、あそこ!!」
突然、エトナが大きな声を上げた。指差す方向は、王都。普段となんの変わりもない、いつもの日常が流れている。そう思っていたのだが。
「ファブリエル、今すぐ蝶を出してくれ。ここから離れないと!!」
グリスに肩を揺さぶられ、すぐさま3匹の蝶を生成する。しかし、現れた蝶たちもまた、何かに怯えているようだった。
「──!?」
次の瞬間、重力が強くなった。
否、落下しているのだ。
今立っているこの浮島が、海面に向かって落ちているのだ。
王都も、遥か向こうに小さく見える島々も、イスカ帝国の浮島全体が浮くのを諦め、墜落し始めた。
「やばっ……!!」
海面がどんどん近くなる。視界がどんどん狭くなる。
耳を、空気の切り裂く音がつんざく。
鼻を、死の匂いが埋める。
肌を、重力が毟り取る。
このまま落ちれば死ぬ。
一人残らず、イスカ帝国の国民全員が死ぬ。
「ファビィ……? 何をしてるんですか!? やめてください、そんな冗談は……」
「いいえ、やめません。死んでも生きてもらいますから」
3匹の蝶を回収。
魔力を全て使い、2匹の蝶を出す。
「ファ──」
「できるだけ遠くまで送ります。すみませんが、詳しい場所は分かりません」
泣きじゃくるエトナを掬い上げるように、蝶を南へ羽ばたかせる。どこへ行ったって、あなたならなんとかなるはずだ。
「いや……いやです!! ファビィ!!」
エトナは、遠ざかる私に向かって手を伸ばしてくれている。
無理だよ。その蝶はちゃんと、あなたを安全なところまで送り届けてくれる。
「ファブリエル、必ず会おう」
「もちろんです」
グリスは覚悟を決めて、エトナを追いかけて飛び立ってくれた。
あぁ、やっぱり彼は、決めるところは決めてくれる。その涙も、見なかったことにしてあげよう。
さて、私はどうするか。
もうすぐ、この島ごと海面に激突するだろう。
結局、死ぬしかないのだ、ファブリエル。
「走馬灯、か……」
辺りの時間がゆっくりになったかと思えば、私のたった9年の人生が目の前に映し出された。断片的で、切り張りで、継ぎ接ぎのその光景は、な?だか私へ語りかけているように感じた。
『君の人生の、意味は見出だせたかい?』と。
「彼らは馬鹿だった……馬鹿だったから私に挑み、敗れたのです……私の『役割』も知らずに……!」
次の光景は、梟が息絶える場面だった。昨日のことのように覚えているとも。
「私のせい……か」
私は、この台詞を理解した。走馬灯というのはどうも、死にゆく者の心を踏みにじるらしい。
梟の『役割』はきっと、イスカ帝国を浮かせることだったのだ。梟があれほど強大だったのも、一国を支える力があったと考えれば説明がつく。
「なんで、なんでだよ……!!」
走馬灯が終わり、時間の流れが元に戻った。
私は落下を再開し、死を待つのみ。
そう思っていたのに。
「あぁ……!! くっそ……!!」
私の視界の向こう側に、故郷が見える。
海へと墜落し、水しぶきを高く上げる、オオビノ村が見える。
「ごめん、ごめん……! ナノ、アリエ……!」
この日、イスカ帝国は滅亡した。




