第十六話 「図書館部と愉快な仲間たち」
「やあやあファブリエル。ようこそ図書館部へ!!」
「先生、図書館ではお静かにですよ」
中等学校校舎裏手。私の部屋から歩いて五分のところに図書館はある。人が余り通らないのか、廊下には薄く埃が積もっていた。
「広いですね……」
「国立学校設立時から、ずっと本を溜め込んでいて、足りなくなる度に増築したそうだよ。もっとも、今じゃあ寄贈も少ないけれどね」
「本の数は帝国一。読むやつはその逆だ」
スターマーはどこか自虐的にそう言った。
図書館は本当に広い。吹き抜けになった三階天井からのランプが金色に辺りを照らしていた。天井のところどころに積読があるのは、スターマーのものだろう。
「さてファブリエル、軽くだが部を紹介するよ。まず月に一度館内の清掃をして、蔵書の汚れや損壊の確認。あとはこことは別に古書館があるから、そこも同じようにだ」
「こんな広いところを掃除するんですか?」
「なに、3人もいればすぐに終わるさ」
「3人?」
「ああ。私と君と、あと遠いところからわざわざ学びに来た物好きがね」
スターマーは「疲れた」と顔に浮かべながら机に腰掛ける。
この空間のもつ不思議な魅力に私はあてられていた。胸の奥がくすぐられるような、体が動き出すような感覚である。
この本たちの中には、三魔界についての情報があるかもしれない。それからこの世界の歴史、文化まで。ケプラ大戦のことや魔族のことも調べておきたい。もしかすると、転生前の「私」についての記録もあるかもしれないな。
そんな淡く脆い希望を抱いていると、向こうの方で光が見えた。小さく細かい、一瞬だけの光が。スターマーもそれに気づいたらしく、そちらに向かって大声で呼びかけた。
「メスィ! せっかくの新入部員なんだからこっちにおいでー!!」
「はぁ……」
メスィと呼ばれた彼女は、コツコツと靴を鳴らしながらこちらへ来た。この学校では珍しい、私と大して変わらない身長だ。メガネと星の形をした髪飾りが印象的である。
「メスィ、と言います。図書館部に入ってくれてありがとうです。では……」
「こらメスィ、まだファブリエルの自己紹介がまだだよ」
立ち去ろうとするメスィを、スターマーが引き止める。彼女はそれに怪訝な顔を見せると、私の前に戻ってきた。
「ええっと……、ファブリエル・ファブリエルと申します。これからよろしくお願いしますね」
「フロントライン!?」
フロントラインという私の名字に、メスィはひどく驚いたようだった。落ち着いていた表情が少しずつ揺らいでいく。
「失礼しました。まさかフロントライン家の方だとは知らず……」
「え? 急にどうしたんですか」
話を聞くに、メスィの地元ではフロントライン家はかなり位の高い貴族らしい。それも、メスィが慌てふためいて眼鏡を落とすくらいには。アリエとナノ、恐らくナノが貴族の出だろう。私に文字の読み書きを教えてくれたのも彼だからな。
私の世界というのは、思うよりも簡単に広がるらしい。
──次の日。私は誰よりも早く図書館に来て、朝から本を読み漁っていた。一先掘り当てたのは、魔導書だ。表紙は赤絹で作られていて、触っているだけで満足するような手触りだった。私は重たいそれをなんとか机の上に乗せて、中を開いてみた。
「うぉ……」
私にそう零させたのは、ツンと刺す黄色みがかった古紙と、びっしりつ詰まった文字で描かれた魔法陣だ。ページの端から端まで、情報がところ狭しと詰め込まれている。しかも、それらは見たことのない文字で書かれていた。やけにカクカクした、四角や三角で構成された文字である。
「それに目をつけるとは、お目が高いね」
いつの間にかいたスターマーは、この本の解説を誇らしそうに始めた。
「そいつはかなり昔に書かれた魔術教本の写本でね。使われる文字も、古代の遠く離れた国の文字だ。しかしこの本は同時に、素晴らしい紋章魔術の教師でもある。少なくとも、この学校の誰よりも詳しいだろうね」
紋章魔術。たしかスターマーがダンジョンで使っていたあれだ。魔法陣に魔力を流すことで、生まれ持った魔法以外の魔法が使えるようになる……と私は考察している。
「その本に興味があるなら、放課後にまた来るといい。詳しく教えてあげよう」
スターマーはそう言って、ひらひらと髪をなびかせながら図書館を出ていった。取り敢えずもう何冊かだけ目を通して、教室へ行こう。
本を閉じて、本棚に仕舞おうとしたその時だった。
「おいおい、俺を置いていったりしねぇよなぁ?」
誰もいないはずの図書館に、嘲るような男の声が響いた。心臓の跳ねる音がどんどん加速して大きくなっていくのが分かる。私はそうっと振り返って後ろを確認した。
「よかった、何もいな──」
「よ」
「ぅぁぁぁぁあ!!!」
視界の下から、本が急に浮き上がってきた。私は女の子のような声を出して、腰を抜かしたまま後退りする。
「圧華──」
「わりぃわりぃ、そんなビビると思わなくてよ」
喋る本は申し訳なさそうに笑い、私の顔へと近づいてきた。顔がないくせに、悪ガキだと分かる。
「俺の名はブレイブ。よろしくな」
「はぁ」
唐突な出会いに頭が混乱する。そもそもこれは現実なのだろうか。本が喋るなど、あり得るのだろうか。
「まあ落ち着け。俺の話を聞いてくれよ」
「私を攻撃しない?」
「しねえって。俺と波長が合う珍しい奴だからな。取り敢えず俺の話を聞いてくれよ」
ブレイブと名乗った喋る奇妙な本は、自分語りを始めた。本のくせに饒舌なものだ。
「俺は元々、旅人の所有物だった。そいつは毎夜毎夜、その日起きた出来事を俺に沢山書き込んでもんさ。ほら、この辺とかな」
ブレイブは自身のページをパラパラと動かし、私に中身を見せてきた。内容はいたって普通のものだ。今日見て回ったことと、美味しかった郷土料理、旅の目標などが書かれている。
「つまるところ、俺は手記だな。だがある時、俺の所有物は唐突に俺をここに寄贈しやがった。それ以来、俺はそいつをずっと待ってるってわけよ」
「へぇ……大変な人生」
「“人生”と言っていいかは怪しいけどな」
ブレイブは、どこか寂しそうだった。顔はなく、目も口も腕もないが、こいつは確かに生きているのだ。
「そこでお前だ。俺と一緒に、俺の持ち主を探してほしい」
「えぇ……」
私にそんな暇はない。ただでさえ紋章魔術の習得で忙しいのに、こいつの手助けなどはできないだろう。
「勿論、タダでとは言わねえ。俺の持ち主の知り合いに、魔族の歴史に詳しい奴がいる。もしかしたら三魔界のことも知ってるかもなぁ」
「本当に!?」
「ああ、本当だとも」
「……分かった。できる範囲で協力するよ」
「交渉成立だな」
私は喋る本の角と握手を交わした。
思わぬ出会いは、思わぬ形で三魔界への道を示してくれた。もしかすると、私が想定しているよりも、ずっとずっと早く「私」に出会えるかもしれない。
私の運命の歯車は、歪ながらも少しずつ加速し始めた。




