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蝶の軌跡は綴られぬ ─記憶喪失冒険譚─  作者: 御門 厳寺
第一章 バタフライエフェクト
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第十二話 「一段落」

 ツァイト・ビスバンの逮捕から一夜明けた。地下に捕らえられていた人々は全て解放され、今頃は王都で元の暮らしを営んでいることだろう。


 ツァイトは奇妙な男だった。攫った人たちには傷一つつけず、むしろよく似合う服装を仕立てていたようで、解放された人の中には着の身着のままで帰った者もいたとか。

 驚くべきことに、捜査に入った騎士隊は夥しい数の人形が飾られた自室を発見したという。しかし、その中に人から生成された人形はおらず、全て彼の手作りだったそうである。


 もしかしたら彼は、本当に人形、人間を愛していたのかもしれない。それが、何らかの理由──それこそ、『特異点』に影響されて人となりが変わった、というのもあり得る。その場合私は、間接的な加害者になってしまうが。あまりこの線については考えたくないな。


 しかし、彼はどんな理由があったにせよ、悪いことをして人を傷つけた。それに変わりはないのだ。そして、その彼は逮捕され、投獄された。これにて一件落着……とならないのが私である。

 


 自室。また、吐き気と共に体を起こす。シスターに冤罪をかけた日の朝とは違う、手と体に纏わりつく血の臭い。この手で人を傷つけたという罪が、私の肺を潰す。


「ゔぉぉっえ……!!」

「ファビィ! 大丈夫です。ゆっくり、落ち着いてくださいね」


 あの日から今日まで、食事が喉を通らない。どれだけ噛み潰して飲み込もうとしても、それを拒んでしまうのだ。 


 殺されていたのは私かもしれないのに。ツァイトやその手下は、私へ確実な殺意を向けていたというのに。


 私は、彼らに情けをかけたつもりはない。むしろかけられる側だったとすら思う。ただ、あの時の殺し合いが網膜に焼きついて映り続けている。それがどうしようもなく不愉快で残酷で、生きた心地がしない。


「ファビィ、大丈夫です。ファビィは悪いことをしたんじゃありません」

「そうじゃない、そうじゃないんです……」


 分かっている。分かっているとも。あの暴力たちが、「正義」と形容されることくらい。


「ありがとうございます。少し、楽になりました」

「良かったです。あの、本当にいいんですか?」

「大丈夫ですよ。いってらっしゃい」


 私は今日学校を休むが、エトナはその限りではない。ずっと看病してもらうわけにはいかない、天使の羽ばたきを邪魔してはいけないのだ。


「ふぅ……」


 窓の外をじっと眺める。剥き出しの太陽が輝いている。


「あ」


 そうだ、アリエとナノに会いに行こう。こういう時に両親を頼るべきだと思う。少なくとも、そうしろと教育されてきた。久々にアリエのご飯が食べたい。ナノの大きな手で撫でてもらうのもいいだろう。


「『蝶』」


 三階にある自室の窓から飛び降りながら、蝶を展開する。この操作にもなれたものだ。やはり、空が私のものになるこの感覚は病みつきになる。


「行こうか」


王都のある浮島から少し離れた、オオビノ村のある群島を目指して。私は今日も、空を駆ける。



───────



 小川の直ぐ側にある、木造二階建てのフロントライン邸。初めてこれを見たのは、アリエに拾ってもらったときだったか。

 

「ただいま」


 呼吸を整えて、玄関を開ける。向こう側には、口を開けて驚いている懐かしい顔がいた。輝く銀髪に、琥珀のような瞳。母だ。


「どうしたのファブリエル……何かあったの!?」

「ええ……いろいろ」


 アリエは私に駆け寄ってハグをしてきた。私もそれにささやかな返答をする。


「お帰りなさい」

「ただいま、お母様」


 家の内装は殆ど変わっていなかった。私のための本しかないスカスカの本棚。一枚板で作られた香りの良い机。二階の私の部屋は埃一つなく、掃除をしてくれていたようだった。


「それで、どうしたの」

「なんというか、その……」


 アリエと机を挟んで座る。温かながら元気のある顔の前ではやはり、どうにも取り繕えない。


 私は、経験した一切合切を打ち明けた。


 親友ができたこと。

 頼れる先輩が二人もできたこと。

 誘拐犯を捕まえるのに一役買ったであろうこと。

 人に殺されかけたこと。

 人を傷つけようと思って傷つけたこと。


「……」


 アリエはただ、黙って真剣に話を聞いてくれている。その姿が頼もしく、遠く見えた。


「それで、あなたはどうしたいの?」

「え……」


 返事は、思いがけないものだった。


「どうしたい、って……私は話を聞いてほしくて」

「どうして話を聞いてほしかったの」

「……一人では、どうしようもなかったから……」


 アリエの言葉は優しい。だけどどこか突き放すような言い方だ。そんな風に言わなくたって。少し、泣きべそをかきそうになる。彼女に否定されるのは初めてに等しい経験だからだ。


「どうしようもないなら、どうするの」

「……調べます。誰かに聞きます。解決策を探します」

「ほら、一人でもそこまで考えられるでしょう?」


 突き放しがなくなった。会話の温度の乱高下が激しい。処理しきれずにいると、アリエはまたそっと抱きしめて言ってくれた。


「ファブリエル、あなたは賢い。私やナノよりずっと賢いの。だから、人よりも悩むだろうし、傷つくことも多いと思うわ。でもそれを、しっかり自分で乗り越えなさい。きっとできるから」

「母様……」


 目から熱いものが溢れる。私の心にずっと引っかかっていたのは、これだったんだ。罪悪感とかそんなものじゃなく、寂しかったんだ。この温もりを、世界から一つ自分の手で消してしまったことに後悔していたんだ。


 なら私は、私が奪ってしまった分だけ増やせばいい。それが唯一できる償いだと思うから。


「ありがとうございます! 私は……やります」

「それでこそファブリエルよ。さすが、私たちの自慢の娘ね」


 またアリエは私の頭をワシャワシャと撫でてくれる。こんな時間が、ずっと続けばいいのに。


「さ、お昼ご飯にしましょうか。ナノにお弁当届けるけど……一緒に行く?」

「はい!!」


 ナノの木こり場まで、手を繋いでいった。私たちを見つけたナノは大層驚いてこちらに駆け寄って、誇らしそうに笑った。どうにも、私は顔で語るタイプらしい。その光景を見て、またアリエも笑顔になった。


 家族全員で食べるご飯は、今まで食べたどんなものよりも、これから食べるどんなもよりも美味しいに違いなかった。



 夜。フロントライン邸からは、王都よりも星が近くに見える。それとも暫くお別れだ。

 

「もう、行っちゃうのね」

「なぁ、もう少し長くいても……」

「外泊届を出していないので。近い内にまた来ます」


 引き止めるナノをやんわりと静止して、私は蝶に跨る。最初は驚いていた二人も、もう慣れてしまったようだ。


「ファブリエル」

「なんでしょう?」

  

 ナノはガタイのいい体でゆっくりとこちらへ歩みよる。そして、私と目を合わせて言った。


「『また来る』じゃなくて、『また帰る』だ。君の帰るべき場所は、いつだってここにあるんだからね」


 寂しそうな笑顔を見ていると、退学してずっとここで暮らしたくなってしまう。でも私はあの学び舎で、魔王に辿り着くためのヒントを探したい。行かなくちゃ。


「それじゃ、行ってきまーす!!」

「行ってらっしゃい」

「気をつけてね」


 ぐんぐん小さくなる両親へ手を振りながら、蝶を羽ばたかせて寮へと向かう。


 どこまでも広い空に少しだけ、手が届きそうな気がした。

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