1.異世界転移
鈴木雅人21歳。
俺の人生は、こうして幕を閉じるはずだった。
しかし違った。
目が覚めると、何やら見知らぬ土地のど真ん中に立たされていた。
あんな人身事故の後だから、さぞ大怪我を負っているのだろう。
そう思い、自分の身体を目視し、触ってみたりもしてみる。
しかしなんだ、無傷ではないか。
「……どういうことだ…?」
だが、考えても分からないのは明白であったため、一旦それは置いておく。
…一度、とりあえず深呼吸をしてみた。
すると、辺りを見渡すことができた。
さればやがて、辺りの様々なものが目に入ってきた。
まず地面。
明らかな砂で、触ってみると粉っぽい。
地面が砂ということで、一瞬、ここは砂漠なのかと思ったが、別に熱いわけではなく、標準よりちょっと高いくらいの気温だと感じた。
そして、周りを見てみる。
周りには、砂地にも関わらず草花が生えていた(草花が生えている地点には、少し土も混ざっていた)。
そして、ちょっとした小川もあり、ちょっとした木も生えていた。
それも、1本でなく何本か生えている。
しかし、どうやら自然に生えたのではなさそうで、不自然に土が積み上げられていた地点に木が植えられていた。
おそらく、誰かが植えたのだろう。
きっと周りが砂地だから、辺りに緑が欲しかったんだろう。
一通り見てみたが、ここで分かることがただ一つ。
そう、ここは明らかに日本ではないのだ。
事故の後に病院に運ばれたとしても、こんな場所にいるのはありえない。
あと、日本ではないと言えるなら、おそらくここは地球上ではないのだとも言える。
第一、あの状況から外国に行けるわけねぇし。
仮に行ったとしても、こんなところには来ねぇだろうし。
そして、そこで生じる疑問が二つある。
まず一つ、森野と智也はどこへ行ったのか。
そして二つ、ここはどこなのか。
前者の方は、現段階で解明することはできない。
何にしろ、情報量が少なすぎる。
俺に与えられた情報量、砂地とか小川とか草花とかがあるってだけだし。
これだけじゃ無理だ。
しかし、後者の方に結論を付けるのは意外に容易である。
まず、状況を考えてほしい。
俺は一度あの地でトラックに轢かれて死んでるんだ。
でも、今は意識があるし、頬をつねってみても……
…………ほら痛い。
だから、確実に俺は自らの意識下にある。
つまり、“今は生きている”ということだ。
俺は一度死んだ。
でも今は生きている。
そして見ての通り、身体はそのままで全くの無傷だ。
すると、これが意味することはただ一つに絞られる。
それは、
「……異世界転移、ってやつか…」
この通りである。
―――――
しかし、『異世界転移』か。
ラノベ好きな俺からすれば、その単語を聞くと心が自然に躍る。
異国の地へ行って、魔法とか使ったりして、可愛い王女様と恋愛して、結ばれて、幸せになっていって…。
そんなストーリーが、頭の中に浮かんできた。
一見すると非現実かもしれないが、今はそうと言い切れない。
何せ、俺は異世界転移の当事者なのだ。
今は人影一つなく、ただただこの地を歩いているだけだが、いずれは少しの街一つくらいは出てくるんじゃないか。
マイ◯ラだって、最初に砂漠地帯にスポーンしたとしても、歩いていけば村一つは見つかるじゃないか。
その要領と一緒だろう。
そう思いながら、足をひたすらに進める俺であった。
足を進めている最中には、多種多様なものが見受けられた。
自然の美しさを感じさせる草花に、小魚の泳ぐ小川の光景、またはその小川のせせらぎなどなど。
それは多岐にも渡った。
しかし、この世界は快適である。
暑すぎないし、歩きやすい。
適度な晴れ空が心地良い。
そして羽虫一匹もいない。
これを、世間一般にストレスフリーと言うのだろうか。
緑が美味しく、そこに混ざる砂もいい味を出している。
綺麗だ、実に綺麗だ。
自然の力は素晴らしいものだ。
もう異世界最高!
(………はぁ……)
……とは言ってみたものの、だ。
正直、歩いても歩いても全く何も見つからないこの風景に、俺は飽き飽きしている。
最初に見つけた小川に沿って歩いていたが、何も景色が変わらない。
ここが異世界だからという理由だけで、少し誇張して良さげに辺りの様子を口にしていったものの、やはり俺の思っていた異世界とは違う。
街一つあるとか思っていた俺が、何だか馬鹿らしくなってくる。
てか、ここは本当に異世界なのか?
誰も住んでなさそうだし、何も起こらないし、この独りの時間は一体何なんだ?
森野も智也もいねぇし、状況がまるっきり掴めねぇし、歩いてて意味あるのか、これ。
……いやねぇだろうよ。
歩いても疲れるだけだし、いっそ立ち止まってた方が良いよ、これ。
「…あぁ、もういいよ……」
俺はそう言葉を漏らして、その場に寝転がった。
だって、仕方ないだろ。
もうここが異世界かどうかも怪しいのに、そこに夢を抱くのはあまりに惨めだろう。
異世界ライフ?
異世界で恋愛?
可愛い美少女?
あぁ、そういうの一切ない。
ただただ自然が映し出されてるだけだから。
木、花、草、砂、木、木、木。
もう飽き飽きし過ぎて頭がおかしくなりそうだよ。
あぁイラついてきた。
「……はぁ…」
俺は大きなため息をした。
それほど、この場所が退屈だったということだ。
(………。)
……しかし、何もない。
辺りをもう一度見渡したものの、やはり変わり映えない景色のままである。
草、木、草、砂、砂、花、草、草、草。
もう全てに見飽きている。
もう全てがどうでもいい。
何なんだよ、この世界は。
もういいよ、この世界は。
(………。)
俺は、もう完全に動く気をなくした。
また、寝転がったこの場から退く気もさらさらない。
もうどうでもいいのである。
……―――……。
すると、どこからか心地良い風が吹いてくるのを感じた。
微かな風だったが、今の俺にはこれくらいが丁度よかった。
「………ん…………」
俺はふと、寝転がったままで真横を見てみた。
理由はない。
ただの無意識に出た行動である。
すると、俺が見ている真横の景色は、あの変わり映えのない風景とはまた違っていることに気づいた。
見てみると、
花、花、草、砂、砂、木、木、洞穴、木、花。
こんな感じか。
………?
洞穴?
俺は何やら、奥の方に岩と岩との間からなる洞穴のような地点を見つけた。
それは、割と大きそうにも見える。
結構な数の人を収納できそうなくらいの大きさだと思う。
その洞穴と俺の今いる地点との距離はそこまでない。
普通に歩いていける距離だ。
おそらく、そんなに時間も要さないだろう。
ならば。
「……よっ、と…」
俺は、動かさないはずだった身体を起こし、すぐさま歩き出した。
そして同時に、背中についた砂や土を叩いて落としておいた。
手で砂や土を払った量は多かったので、地面はかなり汚れていたのだろうか。
今度は寝転がらないようにしなければ。
そうすると、俺は歩みをのこのこと進めていく。
次は何かあるかもしれないという期待を乗せて。
するとやがて、洞穴の目の前まで着いたので、俺は中を覗いてみた。
「……誰もいない、か……」
しかしやはり、人の気配などあるはずがなかった。
…まぁ、そうだよな。
俺は何に期待をしていたのだろう。
洞穴に人がいる?
そんな話ねぇよってこと。
(…はぁ……)
俺はすぐさま洞穴に背を向け、そのまま小川周辺へと向かっていった。
しかし、どこか期待をかけていたからか、いざ何もないと分かってみれば少し悲しくなる。
無論、ある程度分かっていたことなのは確かなのだが。
「…はぁ……」
俺はまた、ため息を吐く。
…第一、もうこんな世界に夢なんてないんだよな。
どうでもいいよな。
というか、俺は一度死んでる身だし。
あんな日本という一度生まれられたのが奇跡なんだよな。
そりゃあ一度絶頂を味わったら、次はどん底に行かされるよな。
こんな何もない世界で第二回目の人生を過ごすのは嫌だけど、でももう―――――
「「グォォォォォン!!!」」
「…!!?…」
俺がそんなことを考えていると、何やら背後からとてつもない鳴き声が聞こえた。
おそらく、後ろの洞穴から聞こえてきているのであろう。
そして、その鳴き声は、少なくとも人間の出せる音ではなく、声の主は紛れもない化け物なんだろうと瞬時に察知できた。
そして当然、こんな状況なのだから、俺の本能はこう語りかけてくる。
『早く逃げろ』と。
だから俺は、一刻も早く逃げようと、足を進めようとする。
……しかし、できなかった。
………。
恐怖で足がすくむのだ。
何か似たような感覚を思い出すが、そんなの今はどうでもいい。
「「「グォォォォォン!!!」」」
やがて、また声の主が鳴いたのを聞き受けた。
それも、さっきにも増して声が大きく感じる。
……おそらく、もう近くまで来ているのだろう。
「……やく………動……けよ……俺………の………足…!!!」
一刻を争う事態である。
だが、俺は恐怖のあまり、この場から動くことができなかった。
するとやがて、この洞穴からヤツが出てくるのを感じ取った。
「「「「グォォォォォン!!!」」」」
――ヤツが出てきた――
しかし、そのヤツの姿を見ると、俺は驚きを隠すことができなかった。
なぜなら、この洞穴の中から出てきたのは、それはとてつもなく大きいアリであったからだ。
(…!?…!?……)
やがて、俺はこの場から逃げ出した。
しかし、後ろなど見る余裕などなかったが、気配だけで感じられた。
このアリは、俺を追いかけてきているのだ。
「……早く逃げねぇと…」
動かないはずだった足が、嘘のように俊敏に動いた。
―――――
……この異世界は狂ってやがる。
やっぱりここは非現実じゃねえか。
異世界じゃないだろとか思ってた俺が馬鹿らしい。
こんなもの、あんなの見れば確定だよ。
常識がまるで違う。
なんだよ、あのアリ。
俺の知ってるものじゃねぇ。
大きすぎる。
全長2メートルはあるだろ。
あんな化け物がこの洞穴に潜んでいたとは…。
やっぱり異世界恐るべしだな。
俺は今、走って逃げている。
なぜなのかは言うまでもない。
あの化け物が追いかけてくるのを振り払うためだ。
群れずに一匹で追いかけてくるのがまだ救いだが、それでも逃げ切れる自信など微塵も湧かない。
体力が切れることを知らないほど、俺は全速力で何秒も走っているが、それでも逃げ切れる気配は一切しない。
今現在にて走っているここはどこなのか、それは分かりはしない。
あれだけ見飽きた景色だったはずが、今となっては真新し過ぎる。
つまり、この状況を一言で表すなら、まさに絶望の2文字そのものなのである。
「……グォォォォォン!!!」
…こいつ、まだバテてないのか。
俺はもうヘトヘトになりながら走ってるっていうのに。
(……はぁ……はぁ……)
……もう、やべぇかもしれねぇ。
走れない。
やばい。
酸素が足りねぇ。
(……ぁ…………………ぁ…)
……足が………身体が………重い……。
……走れ……ない……。
……腹が……いてぇ…。
……足が………限界……。
「………ぁっ…!…」
俺の足は、限界の域を優に超えていた。
それは、自分自身が一番よく分かっていた。
何度も、立ち止まりたいと切に願っていた。
しかし、状況が状況だ。
ここで立ち止まってしまったら、どうなるかなんて容易に想像できる。
このアリの化け物の攻撃力とかはよく分からないが、まぁヤバそうってことは秒で察せる。
だから尚更、そこまでの力を感じ取っている相手を前に、疲れ果てて立ち止まるなど、絶対にできるわけがないのだ。
というか、してはならないことなのだ。
しかし。
「……はぁ……はぁ………やべぇ………」
俺はあの時、転んでしまった。
そして、その場に倒れ込んだ。
足下に石などが散らばっていたわけではないが、極度の疲労から転んでしまった。
そして、今も俺は疲れ果てているため、動くことはできない。
何度も動かそうとは努力しているのだが、身体がもう言うことを聞いてくれない。
『……立てよ、俺の身体!』
それでも立つことはできない。
『……動けよ、俺の足!』
それでも足は動いてくれない。
「……グォォォォォン!!!」
すると、このアリは大きく鳴き、さっきよりもゆっくりとこちらに向かってきた。
……そしてやがて、俺のすぐ近くまでやってきた。
もうほぼゼロ距離である。
(………ぁ………ぁ………ぁ……)
俺は、まだ乱れている呼吸を密かに整えた。
この化け物も、動かない俺に対して勝利を確信したのか、もう荒々しさはない。
さっきまでは殺気染みた形相でこちらに向かってきていたというのに、どうしたのだろうか。
これが、勝者の余裕というやつか?
もう、このアリは鳴かなかった。
すると、自慢の大顎を盛大に開き、捕食態勢に入った。
言うまでもない、今はまさしく危機的状況なのである。
「………。」
……俺は食われるんだろうか。
このアリに食われるのだろうか。
日本じゃアリに殺されるとしてもこんな形で殺さねぇのに、なぜ俺はこんな体験をしないといけないのだろうか。
はて、なぜなのだろうか。
この化け物アリの大顎は、倒れ込んでいる俺の身体を今にでも挟み込みそうにしている。
ゆっくり、ゆっくりと、開きすぎていた大顎を狭めていき、段々と、段々と、俺の身体に触れていく。
そしてやがて、俺はこの大顎で持ち上げられた。
「……………。」
………。
……いてぇ。
………傷口が………
………やべぇ……。
俺の身体は、見るからに血で溢れかえっていた。
……。
……顎に挟まれ、持ち上げられ、痛い。
……宙に浮いているから、何か怖い。
……顎のハサミにところどころ生えている鋭い針のようなものが、俺の身体中に当たって痛い。
それも、カエシのような構造になっているから、抜こうと思っても抜けない。
……あぁ、痛い。
……俺の第2の人生は、ここにて終わるらしい。
まだ来たばっかりなのだが、そんなことはお構いなしに殺られるらしい。
短い人生だったよな…。
思い出す。
小学校の頃、よくあの公園で遊んでたよな。
中学校の頃、よくあの裏路地で夜遊びしてたよな。
高校生の頃、夜な夜なに帰ってくるとかになったりで全てが狂い始めたよな。
そして大学生の頃、日に日にギャンブルに明け暮れて金を溶かしていったよな。
前世で生きてた頃、自分の欲に正直になって生きてたよな。
……これが、走馬灯ってやつなのか。
俺の記憶の中に、この世界での思い出などない。
ただ来て、ただ歩いて、ただ喰われるだけだ。
良い思い出などあるわけがない。
むしろトラウマだ。
、、、――――――、、。
………。
…………。
……………。
……意識が、……遠い……。
……力が……抜けていく……。
……もう……………
………………。
俺は、意識が遠のく中、アリに喰われる感触を切に感じていた。
(……さようなら、俺…)
……微かながらに、覚悟は決まった。
俺は、アリの化け物に捕食され――――
「……サンフレイム!!」
しかし途端、誰かの声が聞こえると、俺の目の前が炎の色に染まった。
魔法、なのだろうか。
俺は、目の前に炎が上がると同時に、近くでものすごい高温の熱を感じた。
それも、俺にはぎりぎり支障がないくらいの、絶妙な熱加減であった。
すると、アリは焼き焦げ、すぐに灰になった。
そしてやがて、俺は何にも挟まれなくなり、地面に叩き落とされた。
少し高さがあったので、割と痛かった。
(……助かった、のか…?)
……はて。
一体何が起こったのか。
……分からない。
…………。
そう思っていると、何やら魔法を使ったらしき男が、俺の方へ近づいてきた。
年は50くらいだろうか。
若くは見えないが、決して老い過ぎているわけでもない。
「…もう大丈夫だからな」
男はそう言った。
救助隊の人か何かだろうか。
この男一人だけではなく、複数人いる。
「俺達は近場で救助キャンプをやってる者で――」
すると、この男が語り出した。
しかし、俺の意識は朦朧としていたので、この男の話を、最後まで聞くことはできなかった。
やがて、俺は意識を失った。