首相官邸の戦い
有栖川アリスは一人、ここへやって来た。
青白い月を背に、夜の首相官邸が、禍々しい怪獣のように、アリスの前に立ち塞がっていた。
ガラス張りの建物の明かりはすべて消えている。しかし奥のほうにぼうっと幽霊屋敷のようなゆらめきが見える。エントランスの脇の高いところで日の丸の旗が、初潮を迎えた少女の下着のようにだらしくなく夜風に揺れていた。
セーラー服はもう血と泥でボロボロだ。シルクのようだった黒髪も、もう三日も洗っていない。
破壊してやるというように、鋭い目で月を睨むと、アリスは入口の前に立った。自動ドアは素直に開き、彼女を中へ迎えた。
スマホを見ると、生配信は既に始まっていた。
『国民の皆さん! 終末アイドル有栖川アリスが官邸内に入りました!』
自分の姿が上のほうから映されており、何子かはわからないが黒田の声が実況している。
『ショーの始まりです! さぁ、有栖川アリス! その、目の前の観音扉から中へ入って来い!』
アリスはキッ! と前を睨みつけると、目の前のおおきな観音扉を蹴破った。
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「よく来たな! 有栖川アリス!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
広い会議室のような部屋に犇めくゴキブリのように、27人の黒田がそこに立っていた。
「これはこれは……」
アリスが呆れたように言う。
「キモすぎる光景ね」
「終末アイドルとやらはここで終末を迎える!」
27人の黒田が口々に罵声を浴びせて来る。
「何が終末アイドルだ、バーカ!」
「人間とは違う生き物のくせにチヤホヤされやがって!」
「てめーはこの黒田銃惨子が殺す!」
「さっさと始めようぜ!」
「処刑だ!」
「処刑!」
「殺す殺す!」
「てめーはこの黒田壱拾奈々子が殺す!」
「……気絶しそう」
小馬鹿にするようにアリスが言い返す。
「私、集合体恐怖症なんだよね……」
奥のドアが開き、28人目の黒田がハナを後ろ手に縛って現れた。
それを見るとアリスは泣き叫ぶようにその名を呼んだ。
「ハナ!」
「アリスちゃん!.˚‧º·(இдஇ )‧º·˚.」
ハナも叫び返す。
「踊って!.˚‧º·(இ□இ )‧º·˚.」
「……踊れる気分なわけないじゃない」
「踊ってこいつらを魅了してやるのっ!.˚‧º·(இ▽இ )‧º·˚.」
「無理無理」
「そんなら何しに来たのよぉっ!?.˚‧º·(இдஇ )‧º·˚.」
「あんたを助けに来たに決まってんでしょ」
「嘘に決まってるじゃんっ! アリスちゃんが来たらあたしを解放するなんて…….˚‧º·(இдஇ )‧º·˚.」
「だろうね」
アリスは諦めたように笑うと、眉を吊り上げた。
「でも……私は終末アイドル有栖川アリスなんだから! コイツら全員倒して、神田政子首相も殺してやるんだから!」
「いいのか?」
黒田がハナの頭部におおきな銃を突きつけた。
「お友達が死んでも?」
そしてニタァーッと笑う。
フッとアリスは笑った。
自分がこれほどのバカだとは思わなかったのだ。
ただハナを助けたいという感情に動かされて、勝算もなく敵地に乗り込んでしまった。
結末は見えていた。自分はここで殺され、ハナも死ぬ。未来は見えなかった。
それでも無理矢理のように、アリスは脳裏に幸せな未来を見た。
「ハナ……」
大好きになったばかりの親友をまっすぐに見つめて、微笑んだ。
「ロクでもない人生だったけど……最後にあんたと一緒に天国行けるんなら、幸せかも」
「処刑開始!」
先頭の黒田が銃を構え、叫んだ。
銃声が一発轟いた。
血肉を散らしてアリスの頭部が吹っ飛ぶ。
「撃て! 撃て!」
銃撃の嵐が始まった。
官邸内を銃声が埋め尽くす。
「アリスちゃああああんっ!!.˚‧º·(இдஇ )‧º·˚.」
ハナの絶叫はそれを切り裂くように響いた。
頭部にとどまらず、大口径のライフルの銃弾がアリスの全身を砕き、血と肉のゴミと変えて行く。
「よし! 止め!」
号令とともに銃声が止んだ時、白い床には有栖川アリスだったものが、ただ汚物のように広がっていた。
「……これでもまだ再生しやがるのか?」
固唾を飲んで28人の黒田が見守る中、アリスの血は外へ向かって広がるばかりで、再生する様子はない。
「フ……、フハハハハ!」
黒田たちが勝ち誇って笑いはじめた。
「どうだ、アイドル信奉者ども! 見てるか? オマエラの崇める終末アイドルとやらは死んだぞ!」
ハナは天井を仰ぎ、止まりそうな呼吸をしながら、ただ涙を流していた。
「よく『アイドルは無敵』などというが、そんなのは『かわいさが無敵級』というだけの意味だ。何をされても死なないということではない」
黒田の一人がカメラに向かって吐き捨てる。
「バラバラにされても死なない生き物など、そんなファンタジーみたいなものはいないのだ!」
「人質ご苦労さん」
そう言うと、ハナを連行している黒田がそのこめかみに銃口を当てた。
「あっけなかったな。もう少し楽しいショーになるかと思ったが、まぁ、いいか」
そして銃爪を引いた。
ハナの頭部が砕け、飛び散った。
ぽよよーんと、音も立てずに、色とりどりのシャボンの泡のように、いっぱい飛んだ。
「え……」
「な……!?」
「なんだコリャ!?」
部屋を埋め尽くすほどに飛び散り、ふわふわと踊るシャボンの泡を、すべての黒田が呆気にとられて凝視した。
それはすぐに元あった場所へと戻りはじめると、元通りの針宮ハナの顔となって固まった。「あれっ?(๑´•ω•`๑)」というような表情をしている。
「こ……、コイツ!」
すべての黒田がハナのほうを向くと、一斉にそこへ銃弾を浴びせた。集中攻撃を受けたハナの全身が吹っ飛ぶ。しかし血も肉も飛び散らなかった。代わりにファンシーな色のシャボン玉が派手に飛び散り、部屋の隅のほうへ飛んで行くと、そこでまた針宮ハナの姿に再生する。
「えーと……(´・ω・`;)」
ハナは困り顔を収めると、すぐにアイドルの笑顔をそこに花開かせた。
「ハナちゃん、ふっかぁーつ!❀.٩(*´▽`*)و❀.」
そして背中から翼を広げた。
大天使のような、白くておおきな鳥の翼だった。
きらきらりーん、と光のオーラがその身を包む。
「ま……、まさか……!」
黒田たちが口々に叫ぶ。
「終末アイドルというのは……」
「コイツのほうだったのか!?」