94.談笑…?(2)
「リーナ、大丈夫か?」
「は、はい。たぶん大丈夫です」
「何があった」
「大丈夫ですから……! たぶんですけれど」
曖昧な答えを返すリーナに、フィリウスは不思議そうな表情を浮かべる。
リーナもあははははと笑いながらも内心、全然大丈夫ではなかった。
今のところリーナのジャガイモ好きを知っているのはフィリウスとカールと──もしかしたらアルトとあとリーナ宛に毒入りのジャガイモを送ってきた誰かぐらいのはずだ。
そしてジャガイモを送ってきたのは目の前にいるノマではないと思う。
ついリーナが口を滑らせてしまった「フライドポテト」。これはフィリウスの兄、レックスが平民向けのお店で見つけたと言っていた。
つまり、お城などではないわけで。
何が言いたいかというと、リーナはもしかしたら友好国の王太子妃に「相手国の庶民の味を勧めるなんて王子妃としてふさわしくない」と思われたのではないか、ということだ。
フィリウスは「白い結婚をなかったことにできれば」と言っていた。それでもリーナに付き合ってくれているのだ。
今のリーナは微妙な立ち位置にいるわけで。もしかしたらこの失態のせいで彼と一緒にいられなくなるかもしれないと思うと、胸がズキンと痛む。
おそるおそるフィリウスの顔を見れば、彼は睨むとまではいかないけれど、ほとんど無表情に近い顔でノマをまっすぐ見据えていた。
まるで作り物のように綺麗な顔だからか、冷たく感じられてしまう。
それでも笑顔を崩さないノマはきっと、リーナの何倍もこうした場に慣れているのだろう。
もしも。リーナがこのような場でノマのように振る舞えたなら──そう考えて心の中で首を横に振る。
「お二人はまだ婚姻の儀も結んでいらっしゃらないのですよね? いささか距離が近すぎるのではございませんか?」
「先ほどもお伝えしましたが。儀式は済んでいないとはいえ、私たちはもう夫婦ですから」
やっぱりだめだ。夫婦と言われるだけで身体がぽかぽかしてしまう。
顔が赤くなっているところを見られたくないけれど、今の状況で俯くのはいけないことだというのはリーナにもわかる。
「ということは寝る時はお部屋もご一緒で?」
「ごごごご一緒ではない……です」
「あらそう。リーナ様は随分と奥ゆかしい方でいらっしゃるのね」
結局俯いてしまった。
はっとなって失敗したことに気づいて顔を上げたけれど、手遅れだったかもしれない。
ノマの声は淡々としていたけれど、ほっとしたような表情を浮かべていた。
彼女からどう思われてもよいのだけれど、フィリウスは一体どう思っているのだろう。
彼に尋ねるのが確実だとは分かっているけれど、リーナにそんな勇気はない。
愛想がつきたと言われたら。そう思うと、薬のおかげでぐっすり眠れた昨日とは違って、今夜は薬を飲んでも眠れないかもしれない。
そんなリーナの気持ちを知ってか知らずか、ノマは目をすっと細める。
「……それならば、わたくしがフィリウス殿──」
「だめです……っ」
その言葉の続きを聞きたくなくて、ノマが言葉を言い終えるよりも前に割り込んだ。
けれども、そう言い終えてから失態を重ねてしまったことに気づく。
どんな時でもゆったりと。感情を動かされるようなことがあっても動じないというのが、よき王族のあり方としてユスティナから習ったのに。
これでは、フィリウスに恋慕していたエーデリアとちっとも変わらない。
隣にフィリウスがいてくれると嬉しい。それはまぎれもない本当の気持ちだ。
けれど、このままノマと話し続けたら、心の中のみにくい部分がフィリウスに知られてしまうに違いなくて。──だから、今だけは。
「フィリウスさま、もう少しノマさまと二人でお話したいですけれど、いいですか?」
「君がそう望むなら。邪魔をして悪かった」
「い、いえっ。決してお邪魔ではないのです。ただ、今は」
「それ以上言わなくても大丈夫だ。私がいては話にくいこともあるだろう。好きなだけ話しているといい」
そう言い終えたかと思えば、フィリウスは今度はリーナの髪を掬って口づけを落とした。
突然の出来事に、思わず心臓が飛び出してしまいそうになる。
「また後で迎えに来る」と言い残していったフィリウスの後ろ姿。
けれど今のリーナはノマと話すどころではない。もしかしたらフィリウスにも鼓動が聞こえてしまっているのではないだろうか。
「それで、夫君にも秘密にしたい話とは何かしら?」
「その、フライドポテトについてもう少しお聞きしたくて」
シャタール王国名物のジャガイモ料理、フライドポテト。
せっかく本場から来てくれたのだから、話をぜひ聞いてみたいと思うのは自然な事だと思うのだ。
そういうわけでリーナがノマの顔を見ながら、笑顔で自身の両手をパンと叩けば。
──なぜか彼女の動きが突然止まった。
その瞬間、リーナは再び思い出す。フライドポテトは庶民の料理。王族とは関係のない料理なのだ。
「あのっ、ごめんなさい」
「──そういうことでしたのね」
「?」
突然何かを分かったらしいノマに、思わずリーナが首を傾げる。
そんなふうに戸惑っていると、ノマはどこから取り出したのか突然、扇でばっと口元を隠した。
「わたくしがフィリウス殿下を自由にしてさしあげますわ」
「はい?」
思わず聞き返してしまったけれど、ノマは教えてくれそうにない。
というか今の彼女の様子からして、なぜなのかは分からないけれどリーナが悪いということになっていそうな気がするのだ。
「あら、自覚がございませんの? 先ほど、殿下は貴女のことをとても大切そうにしていらっしゃるような素振りを見せていらっしゃったけれど。──貴女たちは『白い結婚』なのでしょう?」
変な声が出そうになって、思わず手で口を覆う。
どうして彼女は「白い結婚」ということを知っているのだろう。今のところ知っているのはリーナとフィリウス、そしてベネディクトの三人だけのはずなのだ。
「リーナ様は本当にお可愛らしいですわね」
「そ、そうでしょうか……?」
「どのように取り入ったのかは存じ上げませんけれど……。我が国でも女性になびかないと噂のあの方の庇護欲を突き動かしたのですから、相当の手練手管と見ましたわ」
そう言われて思わず目をしばたたく。
リーナとしては何か特別なことをした覚えはないので、できることなら誤解を解いておきたい。けれど、彼女の様子からして、リーナの話を聞いてはくれなさそうだ。
でもリーナが心の底から驚いていたからか、ノマはため息をついた。
「曲がりなりにも彼と結婚したというのに、この程度の話もご存知ありませんでしたのね」
「し、知りませんでした。わたしもまだまだ勉強不足ですね……」
リーナが心の中でひとり奮起していると、ノマは扇の裏でふいっと視線を逸らした。
一瞬、そんな彼女が昏い表情を浮かべたように見えた。けれどリーナがまばたきをすれば、ノマは初対面の時のように自然な微笑みを浮かべていた。
それこそ、先ほどまでの会話など嘘だったかのように。
「リーナ様はお茶会を開いたことがないそうですわね」
「そう、ですね」
どうしてそのような事までばれているのだろう。
もしかしてノマはリーナの心の中を読めてしまうのだろうか。だとしたら、『白い結婚』だということがばれているのもうなずける。
「でしたら、お茶会を開いてみてはいかがかしら」
「! そうですね。ありがとうございますっ」
ノマが肩をびくりと震わせたけれど気にしない。
お茶会は社交の場で情報交換の場というのは、ユスティナから聞かされていた。どうやらシャタール王国でもそれは同じらしかった。
「ぜひ、わたくしも招待してくださると嬉しいわ」
「わ、わかりました」
そう口にしてから、二つ返事で引き受けてしまったことを後悔しそうになる。
彼女との交流について、リーナが一人で引き受けてしまってよかったのだろうか。
フィリウスもこのくらいであれば気にしなさそうだけれど、そういう問題ではないのだ。
(わたしよりも、ノマさまの方がずっと王子妃にふさわしいお方だわ。もし、彼女がヴォクスさまの奥様でなければわたしはきっとフィリウスさまと──)
最悪の想像をしてしまい、胸がぎゅっと締め付けられる。
そもそも、今リーナがフィリウスの隣にいられるということ自体が普通ならありえなかったはずの話で。
そのとき。
ふらり、と眩暈がしたかと思えば、足元から崩れ落ちていく。
このままでは痛いではすまない。直感的にそう理解した時だった。
リーナは背中から大きくて温かい感触に包まれる。それと共に心の中を占めたのは安堵だった。
「怪我はないな?」
「フィ、リウスさま……」
それと同時にリーナが気づけたことは、またまたフィリウスの気を遣わせてしまったこと。ただそれだけだった。




