72.暗がりのジャガイモカフェ(1)
店内は昼間だというのにカーテンが開いていないせいか、ものすごく暗かった。
開けた方が明るいのに閉じたままなのは、何か理由があるのだろう。
「おかえりフィル。落とし物かな? いや、君の奥さんだったか」
「馬鹿兄上、本当に怒りますよ」
「おっと怖い怖い。そんなんじゃ大好きなリーナちゃんに嫌われちゃうかもね~」
「馴れ馴れしくリーナの名を呼ぶな!」
「わかったわかった。これくらいにしておこう。今日はフィルをからかうよりもずっと大事な目的があって来たのだからね。……いや、これはこれである意味フィルをからかっていることになるのかな?」
周囲の護衛が聞いているのに、レックスに向かって臆することもなく舌打ちをするフィリウス。
対するレックスはそう言い残すと、リーナたちに背を向けて二階へと続く階段を上っていってしまう。何人かの護衛が彼の後をついて行く。
「フィリウスさま。レックス殿下の後について行かなくていいんですか?」
「私たちは一階を捜索することになっている。それと」
一度言葉を切ったフィリウスに、何を言われるのかとどきりとしてしまう。
けれど、彼の口から飛び出したのは。
「なぜさま付けなのだ?」
「その、ジュリアもいますし」
「それはつまり、二人きりならばよいということか」
「わ、わかりました二人きりの時ならいいです!」
「ではヒルミス嬢。其方は馬鹿兄上と一緒に二階を捜索するように」
「殿下! 実は我々を忘れていらっしゃるとか、そういうわけではありませんよね?」
どこかで最近聞いたことがあるような声。声の主の方を向けば。
「き、キルクさま? どうしてここに?」
「実は、今回の調査に文官も同行することになっていまして、本来はアルトが向かう予定だったのですが昨日──」
「話は後だ。リーナも、彼はムスタンティー子爵家の次男だ。今後関わることもあるかもしれないから覚えておくように」
「は、はい! よろしくお願いしますね」
異性相手の場合、貴族同士では家名も知っているのにファーストネームで呼び合うのは、仲がいい相手以外よくないと教えられたことを思い出す。
例外は王族相手の場合のみ、らしい。あまりに気さくだったのでつい忘れてしまっていた。
「ヒルミス嬢はリーナの側にいるように」
「かしこまりました」
というわけで、リーナはフィリウスとジュリアとキルク、そして何人かの護衛たちと共に一階の厨房を捜索することになった。──のだけれど。
「一つ目は案外あっさり見つかったな」
「実は、相手もここまで簡単に見つかるとは思っていなかったと考えられませんか?」
「キルクの言う通りだ。リーナが好んでいる店を休業にするとは、馬鹿兄を超える正真正銘の馬鹿だ」
「何か」を見つけたらしいフィリウスとキルク。
さっきからフィリウスの口がいつもより悪くなっている気がするのは気のせいではないと思う。
それはさておき。
そんな二人のもとに向かうと、彼らの視線の先にあったのは。
「これはもしかして──ジャガイモ、ですか?」
「ああ。これが例の昨日消えたジャガイモなのだろう」
木箱の中に入っていたのは、たくさんのジャガイモだ。どれも薄明かりの中でも分かるぐらいには黄色で、一見まだ緑にはなっていないように見える。
調理場の人たちがアルトを止めなかったあたり、少なくともこういった緑色ではないジャガイモを食べたのに食中毒にかかってしまったというところなのだろう。
「お城にあったジャガイモなのですか? 最初からここにあったとか、そういう可能性はありませんか?」
「それも含まれているだろうが、一緒に城から運んできたジャガイモも隠されているのではないかと思ってな」
「でも、一晩で消えたんですよ? 城のどこかにあると考えた方が自然ではないですか?」
「もうあれから何日か経っている。城内のどこかに一時的に非難させて、その後別の日にここまで運び出したと考えれば、十分ありえる範囲だ。城の中に誰かしら、協力者がいるのだろう。どこの馬の骨とも知れない者が城の中まで入ってきて、王子妃である君にジャガイモを献上できるとはずがないのだからな」
「……たしかにそうですね!」
フィリウスの言うことは筋が通っている。
リーナがただのリーナであった頃であれば、イグノールが認めさえすれば──絶対に認められることはないと思うけれど、その前提を無視するなら──誰でもリーナにジャガイモをプレゼントすることができただろう。
けれど、「白い結婚」とはいえ今のリーナはフィリウスの妻なのだ。誰とも知らない人からの贈り物なんて、認められるだろうか?
頭ではそんなふうに疑問に思いながらも、リーナの手は自然とジャガイモをスカートの中にぶら下げているポケットに入れていた。
「何をしている?」
「あっ……。その、外に出た方がジャガイモの色がわかりやすいか思いまして」
「……そういうことにしておこう。だが、決して食べるな。わかったか?」
「それはわかってます」
さすがにリーナも生のままジャガイモにかじりついた経験はない。
スカートについていたポケットに三つぐらい入れると、ジャガイモがたっぷりと入った箱に背を向ける。
それにしても──とジャガイモをひとつ、緑色にならない程度にほんの少しの間だけ、カーテン越しに差し込むわずかな日光に当てながら考える。
フィリウスの言う通り、リーナに差出人不明のジャガイモを贈ることができるのは、それなりの地位を持つ人物のはずなのだ。
けれど、それが誰かわからなくてこわい。
ひとまずフィリウスの考えを咀嚼していたリーナはけれど、続く彼の言葉に全てが吹き飛んでしまう。
「それから。詳しいことはまだわかっていないのだが……この店の店主は失踪しているらしい」
「えっ」
その言葉の意味を理解した瞬間、リーナの頭の中は絶望の二文字に染まった。