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7.はじめての宿泊

 リーナが案内されたのは、宿の中で上から二番目の階にある一室だった。

 一番上の部屋はフィリウスが使うらしい。彼はリーナたち一行の中で一番高貴なお方なのだから当然ではあるのだけれど。


「ものすごく広いのね……。けれど、殿下が泊まるのだから、これくらい豪華なのも当然かもしれないわ」


 リーナが今夜宿泊する部屋は、つい今朝まで使っていた小屋の倍以上の広さだ。

 室内を飾る調度品の数々も一級品でこそないものの、それに限りなく近いものばかりだった。けれど。


「わたしにはこんな部屋、もったいないわ。それに今のままでは汚してしまうし……どうしましょう」


 そこまで言って思い出してしまった。

 リーナは王家の馬車に、着のみ着のままで座ってしまったのだ。つまりそれは、昨日まで寝ていた小屋の中のベッドの汚れをそのままつけてしまったということで。


「……っ、こうしていてはいけないわ。一刻も早く殿下に謝罪しないと。アグリア辺境伯領が解体されないために殿下と一緒に来たのに、わたしのせいでお取り潰しになっては元も子もないもの」

「リーナ嬢、入るぞ」


 コンコンコンとノックされる扉。

 扉に背を向けたままのリーナが、思わずその場で背筋をピンと伸ばしたのと、扉が開く音がしたのは同時だった。


「リーナ嬢?」


 部屋の入口から聞こえてくるフィリウスの呼びかけに、ぎこちない動きと笑顔で彼の方を振り返ったリーナ。

 フィリウスの顔を見れば、そこに浮かんでいたのは訝しげな表情だ。


「で、殿下。いかがなさいました?」


(まだ、まだ心の準備が……!)


 心の中で盛大に「まって」と叫びたくなっているのを笑顔のまま我慢しているリーナのもとへと、フィリウスが一歩、また一歩と近づいてくる。


 もしかしなくても、これは馬車を汚したから処刑とかアグリア領を解体するとか。そこまでひどくなくても「やっぱりマリアの方がいい」みたいな感じで送り返されるとか……?

 後者ならまだ耐えられる。最悪死刑でもいい。けれど解体されるのだけはダメだ。


「君の身の周りの世話をする侍女を紹介しに来──」

「あのっ、そのっ……。馬車の中を汚してしまい、大変申し訳ございませんでした! どうか、アグリア辺境伯領の解体だけは……っ!」


 自然と、リーナはフィリウスの前で両膝(りょうひざ)をついて(こうべ)を垂れていた。

 ──レーゲ王国で平民が貴族に対してとるべき礼とされるそれは、リーナがいつもセディカに向かってしていたものだ。


 それを見たフィリウスは目を見開いた。しかし、俯いているも同然のリーナにはフィリウスの表情が見えていない。


「リーナ嬢。人の話は最後まで聞くことだ」

「もちろんでございます」

「君が今、私の話を最後まで聞いてくれなかったから指摘しているのだが……。君の態度次第ではアグリア辺境伯領を解体するということも──」

「それだけは……家族には何の罪もありません。すべてはわたしの責任ですから、それだけはおやめください……っ!」


 フィリウスの冗談ならない言葉に目元が熱くなったリーナは、思わず顔を上げてしまう。

 見上げた先にあったフィリウスの紫水晶の瞳は、間違いなく彼がリーナの態度に呆れていることを教えてくれていた。


「ひとまず立て」

「は、はい」


 フィリウスに差し出された手に自身の手を差し出すと、力強く引っ張り上げられる。

 リーナが立ち上がったのを確認して手をほどいた彼は難しい顔のまま、眼鏡を指先で持ちあげた。


「この際、君の家族に罪があるかないかは置いておくとして、だ。君は自己評価が低すぎる」

「ぜ、善処します」

「ああ。ぜひとも善処してくれ。それで、だ。リーナ嬢、君にはひとまず着替えてもらう」

「はい」


 当然だ。このままでは汚してしまうところだったのだから。

 むしろ、馬車の中のことを怒られなかったことに一安心する。


「それで、その着替えはどちらに」

「そのために侍女を連れて来た。あとは彼女の言う通りにすればいい。──入れ」


 フィリウスがそう言って、リーナの正面から少し横にずれると、後ろから姿を見せたのは金髪の少女だった。

 リーナよりも少し背が低いのはマリアそっくりだけれど、瞳の色がエメラルドグリーンだ。それに、彼女が着ているメイド服なんて、マリアは絶対に着ないだろう。


「自己紹介を」

「ヒルミス伯爵が娘、ジュリア・ヒルミスと申します。リーナ様のお世話係を務めさせていただきます」


 ジュリアが綺麗な礼を披露する。

 リーナは思わず、一歩足を引いてしまった。続いて、フィリウスの視線を感じて、彼の方を向く。


「あの。わたしに侍女、とは」

「王子妃となるの君に侍女をつけるのは当然のことだろう? 彼女は年齢こそ君と同じぐらいだが、非常に優秀だから心配する必要はない」

「そ、それは……。殿下のおっしゃる通りですね」


 言われてみればそうだ。リーナは「周りに迷惑をかけてはいけない」と思って断ろうとしていたのだ。

 自分はフィリウスと結婚するのだから、侍女がいない方が迷惑をかけてしまう。


「そういうわけで、だ。君にはドレスに着替えてもらう」

「わたしにドレスはもったいな……ではなくて。ありがとうございます。馬車の中を汚してしまい、申し訳ございませんでした」

「気にするな。ヒルミス嬢、リーナのことを頼んだ」

「承りました」


 謝罪がさらっと流されたことに、きちんとフィリウスが聞いていたのか心配になってしまう。

 けれど、もう彼はこの部屋にいないのだから今考えても無駄な気がする。


 かわりに、フィリウスが出ていった後、今会ったばかりのジュリアと二人きりになってしまったリーナの心の中は、困惑一色に染まってしまった。

 ひとまず顔に出さないようにだけ気をつける。


「リーナ様、本日はいかがいたしましょう?」

「いかが、とは?」

「特にないのであれば、わたしがお選びいたしましょうか?」

「よろしくお願いいたします」

「それではまずは湯浴みの準備に入らせていただきますね。リーナ様はこちらでお待ちください」

「はい?」


 再び礼をしたジュリアは、部屋の一角にある入口とは別のドアを開けて中に入っていった。


 たぶん、そこが浴室なのだということはリーナにもわかる。

 この宿の客室ひとつひとつに浴室がついているというのは理解できないけれど、温泉街の最高級宿となればそういうものなのかもしれない。


 ちなみに、リーナは本館から追い出されて以来、湯浴みをしたことがない。

 家族が使った後の浴室のお湯をアルトが持ってきてくれたので、それにタオルを浸して身体を拭く日々。

 まさかそれが昨日で終わってしまうなんて、思いもしなかった。


 それに、叔父一家と暮らしていた幼い頃も、自分一人ですべて準備していたので、まさかジュリアが準備してくれるとは思わなかったのだ。


「リーナ様。準備ができましたのでどうぞこちらへ」

「は、はい」


 ジュリアに呼びかけられたリーナは、彼女の後に続いて浴室へと向かった。


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