66.ジャガイモがあったはずの場所
お茶会の会場を決めるために城内を皆で回っていたリーナは、今廊下を調理室へとフィリウスに抱きかかえられながら二人だけで進んでいた。
恥ずかしいけれど、こうでもしなければフィリウスは行かせてくれないつもりらしいので仕方がない。
体調不良を口実にしていたけれど、本当は「白い結婚」のことを知らない城の皆からも不自然に思われないための演技なのでは、と疑ってしまう。
せめて余計なことを言ってしまわないように、とリーナは目的地に着くまで目を瞑って口も閉じることに決めた。
そうして長い廊下を揺られることしばらく。
少しずつ香ばしい匂いが強くなってきたな、と思うとフィリウスの足音が聞こえなくなる。
「着いたぞ」
「降りてもいい、ですよね?」
「ああ。もちろんだ」
足裏に床の感覚が戻ってくる。
それからほとんど間を置くこともなく、フィリウスは調理場と思わしき扉のドアノブに手をかけると、ノックすることもなく勢いよく開いた。
「! 殿下!? どうしてこちらに」
声の主は、部屋の真ん中で調理の指揮をとっていたのであろう壮年の男性。
作業の手を止めてその料理長の方を見た料理人たちは、彼が腰を折る彼を見てリーナたちの存在に気づくと、皆それぞれに続く。
「リーナ宛てに送られてきたジャガイモとやらはどこにある?」
肉の焼ける音だけが響く室内に、フィリウスの声が広がる。
彼の問いかけに姿勢を正した料理長は、部屋の奥の方を振り返ると一人の少年に声をかける。
「ただいま。──おい! 殿下方をご案内しろ! 他の皆はそのまま作業を続けろ!」
「「「はいシェフ!」」」
リーナよりも若そうな見習いの少年が「こちらです!」と元気よく案内してくれる。
ついて行く途中で作業台の上に視線を向けてみたけれど、ジャガイモは見当たらなかった。
アルトがああなってしまった直後なので、今夜はジャガイモ料理が出てこないのかもしれない。残念だけれど、仕方がない。
少年について行けば彼は廊下から見て右側の壁に備え付けられているドアの取っ手をつかみ、力強く引っ張った。
その先に広がっていたのは暗がりの半地下の部屋だった。きっと食材を保管するための倉庫なのだろう。
灯りがついていなくてカーテンも閉まっているので、昼間なのにかなり暗い。
「本来であれば殿下方に入っていただくような部屋ではないんですけどね」
苦笑いを浮かべる少年は「右の方にあります」と言い残すと、反対側の窓が高いところにある方へと向かう。
彼がカーテンを開き外光を取り入れると、部屋の中は一気にぱあっと明るくなった。
少年に言われた通り、リーナは部屋の右の方を確認してみる。
「フィリウスさま、見つかりました?」
「いや。こちらには見当たらない」
「あっ、そちらの箱ではなくてこちらです」
少年の声に振り向けば、彼は駆け足でリーナたちのもとにやって来る。
けれど、目の前の木箱の中は底によごれた何かが敷かれている以外は空っぽだし、隣に積まれたずた袋は口が閉じたままだ。
口の閉じた袋の方も触ってみても、ジャガイモは入っていそうにない。
フィリウスはリーナのもとへと戻ってくると、少年に訝しげな視線を向けた。
「何もないようだが」
「ええ? その中にありま──うそだ」
走ってきた少年はリーナたちの目の前にある箱の中を覗き込むと、驚きの表情を浮かべる。
彼の様子からして、本当にこの中にジャガイモが入っていたのだろう。
「だろう? この通り、中に入っているのは──」
フィリウスが箱の中に腕を伸ばして、底の方にあった何かを取り出す。
取り出されたのは大きな布だ。
けれど大きな布には土ほこりがついていて、本当にこの中にジャガイモがあったようにも思える。
けれどふと、フィリウスが手にした布をよくよく見れば。
──それはここにあるはずのないものだった。
「! フィリウスさま! 貸してください!」
「君の手が汚れてしまう──」
「お願いしますっ……!」
リーナが切実な表情を浮かべると、フィリウスは目を大きく見開きながらも布を渡してくれる。
手にしてみれば、やっぱりそれはリーナがよく知っているものだった。
「どうして。わたしの服……」
「! もしや君は、アグリア領にいた頃はこのような服を着せられていたのか?」
「着せられていたわけではないですが、着ていました。……あっ土はついていませんでしたからね?」
「なるほど……。そういえばあの小屋から出てきたあの日、君はこのような服を着ていたな」
フィリウスが頷く。
他にも刺繡違いを数着持っていたのでもしかしたら、と思って別の箱の中に腕を伸ばそうとしたら、フィリウスが取り出してくれる。
「危ないだろう」
「っ、ありがとうございます」
その布もリーナの思った通り、領地にいた頃に着ていた服だった。その隣の箱には二枚も入っていた。
リーナがアグリア辺境伯領を出る時に着ていたもの──今はジュリアがクローゼットの中に仕舞ってくれている──と合わせて五枚。これで全部だ。
今はもう必要ないものだとはいえ、こんな扱いをされているのを見ると、ちょっと泣きたくなる。
「わたしが、刺繡したものだったんです」
「そうか。君の努力の結晶をこのように扱うとは……許せないな」
「間違いなく君の家族も……。いや、家族などとは言えないあの領主一家も関わっているのだろうな」と怒りを露にするフィリウス。
この服がここにあるということは、彼の言う通りイグノールかセディカは間違いなく事情を知っているはずだ。マリアはどうかわからないけれど。
「やはり君を連れてくるべきではなかった」
「大丈夫です。もしかしたら、この服が捨てられてしまうところだったかもしれませんし。……でも、アルトがお義父さまやお義母さまのせいでお腹を壊したと思うと許せません!」
「ああ。もっとも、あの二人には君に父母だと言われる資格があるか、甚だ疑問だがな」
一緒にフィリウスが怒ってくれたのが嬉しい。ほんの少しだけ、そんなことを思ってしまった。
でもリーナだけならさておき、アグリア家とは当主一家と使用人の関係でしかないアルトが傷つけられているのだから、これくらい怒っても許されると思うのだ。
「一旦、この土のついた君の服は私が預かっておこう」
「あっ、もう捨ててしまっても大丈夫ですよ。フィリウスさまが服をたくさんくださいましたし……」
「君が一針一針大切に縫ったものをこのように扱う者がいると思うとな。私なら悪いようにはしない」
開いた方の手で眼鏡を押し上げるフィリウス。
でも、フィリウスが貰ってくれるならそれでいいのかもしれない。
「わかりました。それならフィリウスさまにお任せしますね」
「ありがとう。皆が待っているし、一度呼びに戻ろうか」
「あっそうでした!」
彼の言葉にユスティナやジュリア、カールは別の部屋で待ってもらっていたことを思い出す。
リーナがこくこくと頷くと、フィリウスはようやく柔らかな表情を見せた。
「少年、世話をかけたな」
「いえ! 殿下方にお会いできただけで嬉しかったです!」
少年に手を振り、料理長に作業の邪魔をしてしまったことをフィリウスと謝罪したリーナは、共に調理場をあとにした。