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61.スイーツよりも甘く

「以上でご注文の品は揃いましたでしょうか?」

「はい」

「ごゆっくりどうぞ」


 お店の方が降りていくと、またまた二階席でフィリウスと二人きりになる。


 運ばれてきた三角形のガトーフレーズは、アグリア領に降り積もった雪のように白い生クリームの上に、真っ赤なイチゴがまるごとひとつ。

 三枚にスライスされたものも合わせればふたつ分も乗っていた。


 その上、スポンジの間からもその断面が生クリームと一緒に顔を覗かせている。

 もしリーナがジャガイモと同じくらいイチゴも大好きだったら、今頃フィリウスの存在も忘れて上の方から意気揚々とフォークを入れていたことだろう。


 けれどリーナはそんなことをしてしまうほど子供ではないのだ。


「フィルも食べますか?」

「私はいい。さっき言っていた通り君もクレープを食べるか?」

「! ぜひ!」


 フィリウスはミルクレープの真ん中あたりでざっくり上からフォークを通すと、リーナの皿へと移してくれる。

 金色に輝くハチミツのせいか、より一層おいしそうに見えてくる。


 フィリウスからもらった分を口に運ぼうとしたところで、続いてチョコレートアイスもリーナの皿へとやって来る。


「半分食べると言っていただろう」

「そう、でしたっけ。わたしは先ほどフルーツサンドを食べておりますし、あまり食べ過ぎるとフィルの分がなくなってしまいますし……」

「はじめて会った時の君は栄養が足りているのか心配なぐらいだった。今でもそれは少しはそうだ。私の言っていることは間違っているだろうか」


 言われてみればフィリウスは貴族、もっと言えば王族なわけで。


 そんな彼からしたら、ひもじい食生活を送っていたリーナが栄養不足ということになっても仕方がない。

 リーナはあの小屋の中でジャガイモ時々パンみたいな日々を過ごしていたのだから。


「納得していないといった顔をしているようだが、まあとにかく……だ。君はもっと食べた方がいいと私個人としては思っているが、餓死(がし)しない程度なら好きにするといい」

「わ、わたしだって死にたくないですよ……!」


 そう反論すると、なぜか(あご)に手をあてるフィリウス。


「もちろん窒息死も駄目だ」

「溺れたりしませんって!」


 つい口調が強くなってしまった。

 なんとなく、フィリウスのあれこれの甘やかしに溺れているような気がしないこともないけれど、それで死ぬことは──彼に「好き」を伝えない限りはないと思う。


「……まあいい。むしろ、このアイスという食べ物の方が早く食べないと溶けてしまうから一大事かもしれないな」

「そ、それは大変です!」


 というわけで、まずはフォークでアイスを(すく)ってみる。

 けれど、どうしても先端の方につくばかりで、なかなかスプーンでポタージュなどを飲む時のようにはいかない。それとも、これはアイス特有の性質なのだろうか。


 ほんの少しだけスプーンがほしくなったけれど、リーナが頼んだのはケーキだけなので持って来てもらうのも気がひけた。

 それに、勢いよく食べ過ぎるとフィリウスの言う通り窒息死してしまうかもしれないので、これがちょうどよいのかもしれない。


 そう諦めて口に運ぼうとしたちょうどそのとき。

 目の前に突然スプーンが現れたかと思えば、チョコレートアイスはリーナの目の前までやって来る。


 不思議なことに、リーナの口が自然と開くと、スプーンと共にチョコレートアイスがそのまま入ってきたのだ。


 名前の通りチョコレートがそのまま冷たくなったような味わいで、濃厚な味が口の中を滑り落ちていく。

 夏場に食べればきっともっとおいしく感じられるに違いない。


「君は本当に幸せそうに食べるな」

「! えっとその……幸せですからね!」

「幸せなのか」

「そ、そうですっ!」


 突然現れたスプーンの正体は、フィリウスのものだったようだ。

 目の前にいる彼が手にしたスプーンには、チョコレートアイスの茶色がついている。


 それに気づけたおかげなのか、うっかり「フィリウスさまと一緒にいられて」──という言葉が飛び出しそうになったのをすんでのところで回避できた。


 油断すると「白い結婚」をなかったことにしてしまいそうな言葉を発しそうになってしまう自分がこわい。


 フィリウスがこの結婚をやめたくて誘導しているからでは──なんて、自分本位な考えが浮かんだところで首を横に振った。


「? まだ足りないならもう一口食べるか?」

「いただけた分だけで十分ですっ!」


 分けてもらったチョコレートアイスを無心になって口に運べば。

 気がついた時にはそこにあったはずのアイスはすっかり消えていた。


 恥ずかしい気持ちをごまかすために、今度はミルクレープにフォークを通す。

 フォークで(すく)ってみれば、何層もの生地からなる綺麗な断面が、中まで続いていることがわかる。


 そのまま口に運べば、これまた甘くて素敵な味がまたたく間に広がった。

 ここのカフェの料理を作っている人はきっと天才だと思うし、そんな店をこの広い街から見つけ出せるフィリウスもすごい。


「フィル、こっちもおいしいですよ」

「当然だ。私が君においしくない料理を食べさせると思うか?」

「いえ。……それでフィルもこれ、食べてみます?」


 そう言ってリーナがショートケーキの乗った皿をまるまる差し出せば、フィリウスは目を大きく見開いて固まった。


「あっ、ちょっと多すぎましたね……。いただいたのが半分だったので半分で」

「しかしそれでは君が」

「わたしはもうフルーツサンドを食べましたから」


 上からゆっくりと切り込みを入れると、断面はまっすぐ綺麗に割れた。

 そのまま片割れを底の方から(すく)うと、そっとフィリウスの皿に移す。


「君が食べさせてくれるのではないのか?」

「フィ、フィルはこ、子供じゃないんですから!」

「……そうだな。たしかに私は君の子供ではない」


 もしかしたら、王族に何かを送る時には細かい決まりがあるのだろうか。

 だったら、先ほどフィリウスがリーナにアイスを食べさせたのも頷ける。


「だが本当にいいのか? 次にいつ来られるかも分からないのだぞ」

「だからこそ、です。おいしいものって一緒に食べた方がもっとおいしくなるんですよ。それに、ジャガイモではないのにいつも食べていると、ワクワク感がないじゃないですか」


 じっさい、次があるかはわからない。

 その時にはリーナは彼との婚姻を解消しているかもしれないのだから。けれど、今はこの素敵な時間をじっくりと味わいたい。そう思ってしまうのだ。


 笑顔で押し切れば、フィリウスはしぶしぶといった様子ではあったけれど、ショートケーキを口に運ぶ。


 彼は少し驚いた顔をすると、コーヒーを一気に(あお)る。

 たった一口で一緒に飲み干してしまったので、もしかしたら甘すぎたのかもしれない。


「すみません。フィルが甘いものを好きではないと知っていたら……」

「気にする必要はない。……いや、君は本来全て食べたかったのかもしれないが、これは私の分だ。いいな?」

「は、はい」


 甘いものが得意ではないのに連れて来てくれたフィリウスの優しさが嬉しい。

 リーナが彼の隣に立ち続けたいなら、こうした周囲の人への心配りもしっかりと身につけていかないといけないのだろう。


 今はまだ貰うばかりだけれど、いつか自分もそんな人になれるのだろうか。

 ──と物思いにふけりかけたところで、ふと次にフィリウスの皿を見た時にはクリームの跡だけが残っていた。


「食べないのか?」

「こ、これはわたしの分ですからね? 一緒に同じものを食べないと意味がないんですから……!?」

「? どうした」


 そう彼の顔をまっすぐ見据えて語気を強く主張すると。

 彼の口元には真っ白な生クリームがついていた。


「どうした。私の顔に虫でもついているか」

「いえ。虫ではなくクリームが口元……そうです。左に、」


 そう言ったちょうどそのとき、彼の顔についていたクリームは半分ぐらいがどこかへと消えていた。

 じっと見つめていても、そこからクリームは減らない。


「まだついていますよ?」

「すべて食べてから取った方が二度手間でなく効率的だ。君も食べてはどうだ。中々にうまいぞ」


 その発想はなかった。

 ひとまず自分のケーキに集中することにしたリーナは、半分になったケーキにさらにフォークを入れて口に運ぶ。おいしい。


 ……その間に少し視線を上げてフィリウスの方を見れば彼は。


「フィフィフィフィリウスさま! しししし舌!」

「ここは王城ではないから問題ないだろう。それから呼び方」

「絶対ユスティナ様の前でやってはいけませんからね!?」

「そこで出てくるのが叔母上なのか。……私がこのようなことをするのはリーナの前ぐらいだ」


 イチゴの色が移ってしまったかのように、フィリウスの頬が赤くなる。


 他の人の前ではしないことをリーナの前だけでするというのはともすれば一段低く見られているのかもしれないけれど。

 それはつまり他の人が知らないフィリウスを見られるという意味でもあって。これ以上の役得はそうそうない気がしてきた。


 そもそも、彼の目の前にあるのがケーキという時点でジャガイモカフェの時よりもかわいいので、この時点で十分貴重な気がする。

 というわけで色っぽく見えてしまうフィリウスの表情を忘れるために、リーナは無心でケーキを頬張(ほおば)ることにした。


 そうして、リーナが最後の一口を食べ終えて顔を上げた時には。──フィリウスはなぜか顔に(しわ)を寄せていた。


「あの、フィル?」


 おそるおそるリーナが尋ねてみれば、フィリウスはリーナの方へと身を乗り出した。そのまま彼の手が顔のそばまでやって来ると、何かを(ぬぐ)い去っていく。


 茫然(ぼうぜん)とそのままフィリウスの方を見つめたままでいると、いつのまにか彼の指先についた生クリームがそのまま口の中に吸い込まれていった。


 今度はリーナが赤面する番だった。

 外は曇ったままなのに、身体の芯はものすごく熱い。もし彼がカツラをかぶらないでこんなことをしていたら、きっとリーナの心臓ももたなかっただろう。


「フィ……フィリウスさま!」

「フィルだ。……にしてもうまいな。また来よう」

「と、当面は遠慮させていただきます……っ!」


 その後、お会計を済ませて店を出てからも、リーナの鼓動が落ち着くことはなかった。

 道を歩いている途中から空に太陽が顔を出したので、そのせいだと思いたい。


 けれど、いつもの服装に着替え直すためにそのまま戻った貸衣装店で老夫婦に向けられた温かな視線のいたたまれなさと言ったら、それ以上のものをリーナは知らなかった。



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