54.「反省してくださいね?」
二人で二度目のお忍びへと向かう馬車の中。
|元フィクトゥス伯爵令嬢。その名前がフィリウスの口から出たことで、リーナは決して賢くないと自覚している頭をせいいっぱいに回すことになった。
以前彼は「リーナの思いを」と言っていたけれどそれは口先だけで、今にも自身の立場を悪くするようなことをしようとしていたのだ。
具体的に言えば、エーデリアは死刑にしてしまった方がいいのでは、というのがフィリウスの主張だった。
あの時、リーナは「怖い」と自分の気持ちを伝えていたのだけれど、結局彼の意見を変えるよりも前にカールが戻ってきて話は途中でお預けになってしまっていたのだ。
「以前、君は極刑は駄目だと、そう言っていたが」
「! 絶対に駄目ですからねっ! フィリウスさまの悪評──」
「君に私の悪評など関係ないだろう」
押し問答だ。これでは前回の二の舞にしかならないのはリーナもわかっている。
けれど、どうすればフィリウスを説得できるか、その方法がわからない。
「それに君は」
「かわいい、だなんて言葉にはもう乗りませんよ!」
「あれは見物だった」
「茶化さないでくださいっ!」
いけない。ちょっと感情的になりそうになってしまった。
このまま彼のペースに呑まれては、彼の思うつぼだ。けれど、どうすれば彼を説得できるのか、リーナには思いつかない。
「わたしの考えを汲んでくれるとおっしゃいましたが、あれはやっぱり嘘だったんですか!」
「違う! 私は本当にできるだけ君の意向に沿いたいと──」
「だったらどうして──」
できないんですか。リーナがそう尋ね切る前に、彼から返答が返ってくる。
「彼女を利用して誰かが君を危険な目に遭わせないとも限らないだろう? 君は特別な人だ。自覚してほしい」
フィリウスの言っていることは何となく理解できた。「白い結婚」で形式上とはいえ王子妃なのだから、たしかにリーナは「特別な人」たりえる。
であれば、もしかしたらそこをつけば彼は。
「それだったら生きていても死んでいても同じですよね? それに、フィリウスさまがひどい人だと思われてしまったら、その……『特別な人』のわたしまでひどい目に遭ってしまうかもしれ、ません、よ?」
「! それは駄目だ」
自分で言っていてさすがに言いすぎたと思って、恥ずかしくて語尾を濁してしまったけれど。
突然、フィリウスが馬車の外にまで聞こえてしまいそうなほど、感情をこめた声を上げる。
リーナとの関係は「白い結婚」でしかなくて、いちおうは「特別な人」であっても、それは書類上のことではなかったのだろうか。
どうして感情的になったのかはわからないけれど、これはチャンスな気がする。
「フィリウスさまが言っているのはそういうことなんです。ですから、絶対にやめてくださいね」
「君がそこまで言うのであれば、約束しよう。極刑にだけは決してしないと」
よくわからないけれど、あまりにすんなり行ってしまって拍子抜けしてしまう。
リーナとしては頭の中に疑問符が浮かぶばかりだけれど、約束を取り付けられたことはかなり成功したと言ってもよいだろう。
そうしてひと安心したら、今夜のジャガイモ料理は何だろう、と考えられるぐらいまで落ち着いてくる。
ちょうどそのとき。ぼそり、と隣から呟きが聞こえてくる。
「君は優しいから、強がって彼女に命をもって償わせようとしていないだけなのだと、そう思っていたが」
「はい?」
「君の心に負担をかけていたのは、どうやら私の方だったようだ」
「そ、その通りですっ。ですから、反省してくださいね?」
「勿論だ」
その言葉と共に左の方の毛先が動いていく感覚に、ついそちらに視線を向ければ。
ちょうど、彼がリーナの毛先に口づけを落とすところが目に入る。
「ぜ。絶対に反省していませんよね……!?」
「これは誓いの証だ。きちんと反省するし、あの女を極刑にしたりはしない。君の気が変わらない限りはな」
「絶対変わりませんからねっ!」
「ああ。君ならそうだろうな」
ゆっくりと頷くフィリウス。
いつものように穏やかな空気が戻ってくる。
ひとまず、エーデリアの処遇については、ほぼ全面的にリーナに任せてもらえるということになった。
リーナがどうするか決めるまでは通常通り王城の牢屋で過ごしてもらって、また何か思いついたらリーナがフィリウスに伝えるということで合意することになったのだ。
こうしてリーナがほっとした気持ちに浸っていると、どんどんと馬車が速度を緩めていく。
そのままほとんどゆっくりになると、ついには完全に止まってしまった。
「もうすぐ到着だ。あと少しで降りるから準備をしておくように」
「そう、ですか。わかりました」
そんな会話が終わるのと同じぐらいに、馬車が再び動き出す。
今止まったのは、もしかしたら何かの確認だったのかもしれない。
再び馬車が止まり、今度こそフィリウスにエスコートされて馬車を降りると、目の前にあったのはちょっとしたお城のような、素敵なお屋敷だ。
馬車の後ろの方を振り返ってみれば、先ほど止まったのは入口の門を開けてもらうためだったのだろうということがわかる。
「茶葉や茶菓子を買うならここが一番だろう。ここでは──というか、今日は私のことはフィルと呼べ」
「わ、わかりました」
「それから敬語も禁止だ。以前町に来た時と同じようにすれば問題ない」
「は、はい。ではなくて、ええ」
けれど、そこから先でフィリウスが手を繋いでくれることはなかった。
それがちょっと寂しいけれど──もしかしたら最近はちょっと彼に近づきすぎたのかもしれない。
だって、リーナのフィリウスとの関係は「白い結婚」でしかないのに。ちょっと言い合いがあったとはいえ。
つい先ほどまで誰も見ていない場所で隣どうしで座っていたのだから。




