52.お茶会の練習のために
「こう、でしょうか?」
「中指を持ち手の下にあてること。親指と人差し指でつまんでいるだけでは不安定になりますから」
庭に行ったりフライドポテトを食べたりしていたせいか、いつもより執務室に到着するのが遅くなってしまったその日の午後。
お茶会の座学を一通り終えたリーナは、城の一角にある談話室でユスティナと向かい合って紅茶を飲んでいた。
座学の次は実践、といったところなのだろう。
けれど二人の会話の内容は、午前中の座学で話題とされていたものとは異なる方向の世間話に逸れていた。
「アリス妃殿下のことが気になっているのなら、お茶会を主催してはいかがでしょう?」
「わたしが主催するのですか?」
「わたくしの授業を聞いていたのですから、できないことはありませんよね?」
「それは、そうですけれど……」
ユスティナの授業の内容にはお茶会を主催する時に気をつけるべきこと、招待状を送る相手の選び方や時期などなど、多岐に渡っていた。
リーナにしてみれば一日で詰め込む内容ではない気がするけれど、ユスティナの授業は毎回ハイペースなのだ。
今日はフィリウスの執務室とは違う部屋でのレッスンということで、ジュリアが部屋の隅に控えてくれている。
けれど見守ってくれているだけで、助けてくれそうにない。
「でしたら、招待状の書き方も学ばなければなりませんね。毎年、年明けの前後は忙しくなりますから、その時期を避けてお茶会を開くのもいいかもしれませんわね」
「あの、わたしお茶会を開いたことがなくて」
「まずは練習がてら、準備するところまでやってみましょう? 準備の手順さえわかれば、本番は年明け以降でもいいから、実践あるのみですよ」
ユスティナの圧がすごい。
やっぱり逆らってはいけない相手なのだと、改めて頭の中のメモ帳に書きこんだちょうどそのとき。
「やはり叔母上はリーナを虐めるのが趣味のようだ」
「あら。殿下もなかなか人聞きの悪いことを言いますね」
思わず振り向けば、部屋の入口にはカールを連れて扉にもたれかかるフィリウスがいた。
リーナの隣までやって来ると、彼は座っているユスティナをまっすぐに見つめる。
「以前も同じようなことをおっしゃっていたと思いますが、わたくしの記憶違いでしょうか? それとも、わたくしの甥は鸚鵡のように同じ言葉を繰り返すしかできないのでしょうか?」
「何度でも言います。リーナに嫌がらせをするというなら、叔母上であろうと容赦しません」
お互いに相手のよくない点を指摘し合っているのに、どちらも表情は怒っているようにすら感じさせない。
今朝の座学の時に、お茶会ではどんな話題を振られても落ち着いて微笑みを浮かべないといけないと言われたけれど、たぶんこういうことなのだろうと思う。
「義姉上との時間は私が作るからリーナは気にしなくていい」
「フィリウス殿下は妃殿下を甘やかしすぎですわ」
「ユスティナ様のおっしゃる通りです!」
「リーナ?」
リーナの言葉が予想外だったのか、目をしばたたくフィリウス。
ユスティナには知られていないと思うけれど、今朝だってそうだ。自分の我儘を通してフィリウスに迷惑をかけた。
「白い結婚」でしかないのに、そんなリーナを許してくれるフィリウスは心が広すぎると思うのだ。
というわけでリーナに言わせてみれば、この場でより正しいことを言っているのはユスティナで。
この話術には一生追いつける気がしない。
「そうか。それがリーナの意志なのだな」
フィリウスがリーナの隣のあいている席に座ると、リーナもまた腰から上で彼の方を振り向く。
彼の紫水晶の瞳をここまでの至近距離で眺めたのは、はじめてな気がする。
「はい。わたし、お茶会を開いてみたいですっ!」
「わかった。それならば茶葉と菓子を買いに行かないといけないな」
「殿下、少々よろしいでしょうか」
今度は後ろの壁際に控えていたカールが挙手をしながら、リーナたちの斜め前あたりまで歩いてくる。
お茶会の実践練習に参加していないからなのか、彼は普段通り訝しむような表情を浮かべていた。
「何だ?」
「今の殿下はこうお考えですよね。妃殿下と共に王都の下町に行きたい、と」
「行きたいではなく行く必要がある、だ。私の妻の評価は私の評価に、ひいては王家に対する評判に関わる」
「はいはいわかりましたよ明日でいいですね?」
フィリウスが「ああ」と短く返事をすれば、カールは盛大な溜め息をつきながらも、どこかから取り出した手帳のようなものにメモをしていく。
それと同時に、向かい側の空気がガラリと変わった気がしたかと思えば。
「あら、でしたらリーナ殿下。本日はお茶会について、よりしっかりと学ばないといけませんね」
「あ、あははははは……」
「まずは、午前中の復習からいきましょうか。お茶菓子を選ぶ時に大事なことは何か覚えていますか?」
この日、夕暮れの少し前までフィリウスは隣にいてくれて手取り足取り細かいところまで教えてくれた。
けれど、彼が執務室に戻っていった後も、授業は日が沈むまで続く。
夕方。やっとの思いで部屋に戻ると、夕食には山盛りのフライドポテトがついていたけれど、どうしても食指が伸びない。
「リーナ様、いかがなさいましたか?」
「いいえ。ちょっとパーティーの日に届いたというジャガイモが……毒入りかもしれないという話を思い出してしまって」
もちろんとっさに思いついた嘘だ。
けれど、あまりにジュリアが心配そうな表情を浮かべるものだから、ものすごく申し訳ない気持ちになる。
「左様ですか。確認させましょうか?」
「い、いいの。この前、カールさんに見せてもらったから」
気にならないと言えば嘘になる。けれど、そこまでやってもらうのも申し訳ない。
そうしていつも通り、ネガティブな話からはなかなか抜け出せないようで。夕食を終えてお風呂に入ってからも、そしてベッドに寝転がってからもひとつ心配なことを思い出すと次から次へと気になることが湧いてくる。
こういう時は無理にでも、少しでも楽しみなことを考えるに限る。
何かいいことはないかと思えば、明日はフィリウスと王都に行けることぐらいだろうか。
けれどそれと同時に「さすがに子供すぎるのでは」と恥ずかしさと共にこみ上げてくる熱を抑えるのに必死になってしまうのも仕方のないことなのだ。
ようやくリーナが意識を手放した頃には、とっくに真夜中を回っていた。