51.フライドポテトはゆっくりと
庭園から部屋に戻ったリーナはいつものように、フィリウスと一緒に朝食を取っていた。
なぜか彼が近くに座っている気がするけれど、つい先ほどまで永遠に会えなかったら──と思っていてちょうどフィリウスが足りていなかったからか、心地よい。
そんなリーナたちの目の前の大皿には、細く黄色い揚げ物がどっさりと乗っていた。
フォークではなく指先でつまんでいて、マナー違反をしているはずなのに、その動きさえもものすごく絵になってしまうフィリウスはさすがだと思う。
リーナも彼に続いて一本口に運んでみれば、塩味がちょうどよく効いていて、おいしい。
「フィリウスさま。これは?」
「フライドポテトだ。シャタールに行っていた馬鹿兄は毎日こんなものを」
「! これ、ジャガイモですかっ?」
「ああ。君に送られてきたジャガイモの話を昨夜オーネマン子爵と話してな。その際に聞いたレシピだ。今までシャタールの料理は口に合わないからと食わず嫌いしていたのを後悔しているところだ。最近まであの国に行っていた馬鹿兄に先に食べられたと思うと──」
そこで言葉を切ったフィリウスは、どんどんフライドポテトを口に放り込んでいく。
ペースは落ちていないのに食べ方が綺麗なのは、彼が生まれつき王族だからなのかもしれない。
「シャタールの料理はおいしくないのですか?」
「少なくとも私にとってはそうだった。……が、これはいいな。馬鹿兄も平民の食堂で見つけたと言っていたし、向こうにもジャガイモを専門に扱う店があるのかもしれないな」
「フィリウスさま! いつか絶対行きましょうね!」
リーナの呼びかけに、フライドポテトに再び伸びていたフィリウスの手が止まる。
かと思えば、次の瞬間には二人の間にあったはずの大皿はリーナの目の前にやって来ていた。
「すまない。君の分を残すのを忘れるところだった」
「大丈夫ですし、仕方ありませんよ! ジャガイモはおいしいですから、ついつい食べ過ぎてしまうんですよね」
うんうんと思わずフィリウスの話に頷く。朝から一緒にジャガイモの話をしながら、ジャガイモ料理を食べられるなんて。
間違いなく今のリーナはこの世界で一番の幸せ者だ。
けれどそんなリーナにもひとつ、気になることがあった。
「そういえばオーネマン子爵領はジャガイモが特産だと聞きましたが、まさかそこからあのジャガイモが来ていたりはしません、よね?」
「君は本当に勉強熱心だな。それを昨夜聞いたのだが……少なくとも、彼本人はこの件には関わっていないようだった」
その言葉に安心する。
それと同時に、誰が送ってきたのかがいまだに掴めない現状がちょっと怖い。
「ところでリーナ」
「なんでしょうフィ──」
けれど次の瞬間、リーナの口の中に広がったのはフライドポテトの香り。
当然のことながら、リーナの頭の中からは先ほどまでの毒入りジャガイモのことなんて、どこかに飛んでいってしまう。
こんな素敵なものを食べさせてもらえるなんて。もしかしたら神様がさっきのどこまでも続く一人だけの苦しみと合わせて帳消しにしてくれたのかもしれない。
「やはり君はいつも美味しそうに食べるな」
「はひ?」
次から次へとおいしいフライドポテトが口の中に入ってくる。
気がついた時には皿の中は空っぽになっていた。
「あのっフィリウスさまごめんなさい──」
「なぜ謝る?」
「フィリウスさまの分まで食べてしまっ」
フィリウスの指先がリーナの口に軽く押し当てられる。
続きを口にしようとしても指先が離れていってくれない。そのせいか、身体に熱がたまっていく。
「先ほども言った通り、私は食べ過ぎてしまったし。……何より、君がおいしそうに食べている姿が見られるだけで十分だ」
フィリウスが言っていることがよくわからない。熱が出すぎて頭がぼーっとしてしまったからだろうか。
けれどそんな時間はあっという間で。
リーナの口を塞いでいた人差し指がゆっくりと離れていく。けれどもし、リーナがまた謝ろうとしたらフィリウスの指は一瞬でまたリーナの口を塞ぎにやって来るだろう。
それだけはうまく働かない頭でもなんとなくわかった。
それからフィリウスに手づからフライドポテトを食べさせられ続けることしばらく。
皿が使用人の皆に下げられていくのを見届けると、隣に座っている彼が腰を上げる。
「そろそろ行こうか」
「は、はい」
差し出された手を取り、立ち上がる。
部屋の隅にいるジュリアの方を振り返れば、彼女は慌てたようにお辞儀した。
「っリーナ様、いってらっしゃいませ」
「? いってきます」
顔を上げたジュリアと笑顔を交わして部屋を出ると、城の中はいつもの時間より人がせわしなく行き来していた。
こうしてリーナは庭に行った時に続いて、いつもの執務室までの廊下をフィリウスと手を繋いで歩いていく。
今日は起きてからほとんどずっとフィリウスといることができて、とても嬉しい日だと思う。
できることなら、彼にも同じ気持ちでいてほしいと思ってしまう自分がいる。
でも、そんな感情に気づかれた日には──。
「今日はいい朝だな」
「はい。とてもいい朝です。フィリウスさまが──」
「朝食を取れなかったことは問題ではない」
「……フィリウスさまはそうかもしれませんが、わたしが我慢できないのです」
リーナが伝えたかったことを言い切る前に、続けたかった言葉を返してくれるフィリウス。
フィリウスの方を向く時に、ついうっかり手を離してしまったのは自分のせいなのに、それがちょっと寂しい。
でもこれはリーナの我儘なのだから、これぐらいは我慢するべきだと思うのだ。
こんなふうに、何度でもつい誕生日パーティーの日のフィリウスの言葉に甘えてしまいそうになる。「これも許されるのでは」と思ってしまう自分がいる。
「あんなにおいしいジャガイモ料理を独り占めしてしまって申し訳ないんです……!」
「わかった。これからはジャガイモ料理はもっと用意してもらうことにしよう」
「その時は絶対に食べるんですよ?」
ああ、と短い相槌が返ってくる。
再び差し出された手を取り、廊下を進む。
フィリウスの執務室の前まで来れば、そこにはもうカールが待っていた。
扉に背を向けて、腕を組んで仁王立ちしていた彼は、リーナたちが来たことに気づくと、組んでいた腕を普段通りに戻して二人に向かってお辞儀した。
「おはようございます、両殿下。今日はいつもより遅いとは思っておりましたが──まさか先ほどの庭だけでは足りず、お二人で密会を」
「ヒルミス嬢や他の使用人もいたのだから、やましいことはしていない」
「お二人だけならやましいことをすると言っているように聞こえるのですが」
「そ、そんなことしませんよ!」
「リーナの言う通りだ」
やれやれ、といった様子で肩を竦めるカール。
今日も今日とて、ものすごく呆れられている気がする。
「そうおっしゃるなら早く部屋の鍵を開けてください殿下」
カールの溜息混じりの嘆願に、フィリウスは一瞬寂しそうな表情をしてからリーナの手を離す。
遠くに行ってしまうわけではないのに、手から伝わってくる熱が離れていってしまうのが寂しい。
彼もまた同じ気持ちでいてくれたら──なんて身勝手なことを思ってしまうのが癖になっている気がする。
「ヴィカリー公爵夫人といい、どうして今日は皆様いらっしゃるのが遅いのでしょうね」
言われてみれば、リーナたちがここに来たのはいつもよりかなり遅い時間だ。
普段ならとっくに授業が始まっている時間のはずなのに、いない。
「まだいらっしゃらないのですか?」
「私はここでいつもの時間から待っておりましたが、まだいらっしゃっていません」
きっと偶然なのだろう。
カールと二人で不思議そうな顔をしている間にもかちゃり、と扉の鍵が開いた。
「叔母上も公爵夫人なのだから忙しい日もあるだろう。先に入って待っていれば──」
「あら、おはようございます。殿下方も今到着したところでしたか」
「ユスティナ様!? お、おはようございます」
フィリウスが鍵を開けたのとほとんど同時にどこからともなくやって来たユスティナ。もしかしたらリーナが遅刻して来ることを知ることができる魔法使いなのだろうか。
それはそうと、ユスティナの表情は朝なのに心なしか少し疲れているように見える。
執務室前まで来てからカツカツと足音が廊下にこだましたりはしていなかったと思う。これはもしかして──。
「今日のレッスンは足音を立てずに歩くこと、でしょうか?」
「何をおっしゃっているのですか? 今日はお茶会と社交についての授業ですよ」
「すみません。すっかり忘れていました」
言われてみればそうだった気がする。
昨日はベネディクトやパトリシアと晩餐会があったから、そのことに気が取られて覚えていなかったのだろう。
でも社交の約束を忘れていたらそれこそ大変なので、これは今後直していく必要がありそうだ。
それにしても、どうしてユスティナは遅れて来てしまったのだろう。本当に珍しい。
フィリウスの執務室の一角、いつもの席に腰を下ろしながら世間話の体で尋ねてみれば。
「アリス殿下と廊下でお話していたから、ですわ」
「どちらさまでしょうか?」
「あの馬鹿兄を手懐けた女傑だ。いずれ時が来たら紹介しよう」
「じょけつ?」
フィリウスの言い回しに思わず振り向けば、彼は無言で頷いた。




