49.国王陛下と食事会
二人が入室したホールには、先に国王陛下夫妻が席について待っていた。
誕生日パーティーの日に会ったばかりのはずなのに、ジャガイモのことばかり心配していたからか久しぶりに会った気がする。
「フィリウス、リーナ。待っていたぞ」
「早く席について頂戴な」
アルトから昔、こういう場では普通身分が低い者の方が先に入室すべきなのだと聞いたことがある。
フィリウスがもともと急いでいたのは国王陛下夫妻より先に入室するためで、リーナが着替え終わった頃にはもう間に合わないと分かっていたからゆっくり来たのかもしれない。
そう思うと、どうしても申し訳ない気持ちになってしまう。
「リーナが萎縮しているではありませんか。陛下も母上も少々気が早いのでは?」
「お前は相変わらず儂のことを陛下と呼ぶ癖をやめにしないか」
「フィリウスさ、殿下。余計に待たせてしまっていますから早く行きましょう。ね?」
うっかり「フィリウスさま」と言いそうになったけれど、すんでのところで止まる。
リーナの言葉に、再び歩きだしてくれたフィリウス。けれど椅子を引いてくれたその時、突然彼の顔が耳元まで近づいてきたかと思えば。
「ここは陛下と母上しかいないから、殿下と呼ぶ必要はない」
と言われてしまった。
呼吸が聞こえるぐらいの距離からのささやきに、思わず背筋も伸びる。
彼は何事もなかったかのような顔で元通りの距離に戻ると、そのまま普段通りの表情でリーナを席まで導いてくれた。
二人でまだ空っぽの皿が並べられたテーブルの前に腰を下ろしたところで、突然国王のベネディクトが頭を下げた。
「へ、陛下!?」
「リーナ嬢、フィリウスと一緒にいてくれてありがとう」
「あ、あああ頭を上げてくださいっ!」
「リーナ」
正面に座っているパトリシアの咎めるような声に、今度こそリーナの背筋は勢いよくピンと伸びてしまった。
「陛下のご意志で頭を下げているのですから、貴女が気にする必要はありませんわ」
「はい……」
フィリウスに頭を下げられる以上にいたたまれない気がする。
ここが舞踏会の会場でないことが救いかもしれない。
「今日の料理は君が好きなものだ」
「リーナが好きなものは有名だから、陛下なら知っていて当然でしょう」
「陛下、殿下方。料理をお持ちしました」
聞こえてきた──つい最近ばったり会ったけれど──懐かしい声に思わず振り向けば。
夕暮れ時に畑を耕しているとよく聞こえてきたあの頃のことを思い出す。
「紹介しよう。フィリウスも知っていると思うが、アグリア辺境伯領の──」
「お気になさらず。陛下が説明せずとも、私は知っておりますので」
アルトの登場に一瞬周りの空気が冷えた気がするけれど、本当に寒くなったわけではない……と思う。
そんな状況でも好々爺とした笑みを浮かべるベネディクトはきっと、リーナの想像もつかない何かを用意しているのだろう。
そう期待して待っていると、どこからか漂ってきた香りはこれまた懐かしいものだった。
「これは……アグリア辺境伯領のパンと同じですね」
「その通り。一番の好みだと聞いたが何も思わないか?」
「うーん……たしかにアグリア辺境伯領にいた頃は一番おいしかったのですが……。おなかを壊さないジャガイモばかり食べているからか最近は……」
「陛下はリーナのことをあまりご存知ではないようですね」
得意げなフィリウスがかわいい。
給仕が一通り全員分の料理を並べ終えると、ベネディクトの言葉にそれぞれカトラリーを手にして晩餐会が始まった。
テーブルに最初に並べられたのは、葉物野菜中心のサラダに淡く桃色がかったソースがかけられているものに、斜めに切られたパンが半分。
そして賽の目状に切られた、ジャガイモに似た何かが入っているスープだった。特に、きちんとした形になっていないものには紅色の皮みたいなものがついている。
「フィリウスさま。このフィリウスさまの瞳をちょっと赤くしたような皮のついたものは何でしょう?」
「私の瞳の……ああ、これはサツマイモだ」
食事中だというのにカトラリーを置くと、突然頭を抱え始めたフィリウス。
向かい側から聞こえてきた明るい笑い声にそちらを向けば、パトリシアがいつもと違って穏やかな表情を浮かべていた。
その様子が、「家族」の温かさがまぶしくて。
もしもリーナも両親を喪っていなかったら、こんな温かい光景がアグリア辺境伯邸にも──リーナの周りにも広がっていたのだろうか。
「リーナさんはサツマイモを見るのもはじめて?」
「はい。わたしにとってイモといえばジャガイモのことでしたから」
「味はどうかしら?」
「……! 甘い、です」
食事の、それもはじめに並べられた一皿なのにまるでデザートのよう。
繊維状の食感も新鮮だ。
パトリシアの方に笑顔を向けたちょうどそのとき、かわりに彼女の顔からすっと笑顔が消えていく。
「リーナ。以前も貴女に言ったはずですがそのような笑顔は──」
「ここは私的な場、ではないのですか?」
「分かっているならいいのです」
ふと、斜め向かいに座っているベネディクトの方を見れば、彼もまた満面の笑みを浮かべていた。
「リーナ嬢、サツマイモは若い頃からできるだけ食べておくのだ。儂は年を取ってから後悔しておる」
「つまり、若い頃は召し上がらなかったのですか?」
「ローズマリーに失礼だから、と」
「えっと、そのローズマリーという方はもしかして──」
「君の母君じゃよリーナ嬢」
やっぱり。というか、同じ名前の人はたくさんいると思うのだけれど、リーナは自分の母親以外にローズマリーという名前の人物を知らない。
「わたくしの瞳の色の食べ物だからって、どうしてそんな考えに至ったのかわからないわ。今ではすっかり好きになってしまうなんて」
「今思えばあれは黒歴史じゃった。彼女には悪いことをしたのう」
「本当に思っています? わたくしも貴方のことを強くは言えませんが」
「あの……」
「リーナは気にしなくていい」
この親子はいつもこうなのだろうか。
アグリア邸でリーナが爪弾きにされたのに比べたらとても居心地のいい場所だとは思う。
でも何というか。自分の母に関わりのある話題なのに、どこか置いてきぼりにされている感は否めない。
フィリウスに至ってはリーナの母であるローズマリーとまったく面識がないわけで。
「あの、フィリウスさまが置いてきぼりになっている気がするのですが……」
「! やはり儂の目は間違っていなかった。あのフィリウスのことをここまで」
「あら」
パトリシアのいつもより少し低い声に、この部屋に入って何度目かの背筋まっすぐの時間が来てしまう。
パトリシアはスープの中にフォークを差し込んだだけのはずなのに、その先端にそれぞれ一つずつサツマイモが並んで刺さっているのがちょっと怖い。
「ここは私的な場ですが、公的な場では直接話題に苦言を呈するのはやめなさいな。これはわたくしからの忠告よ」
「そう、ですよね。ごめんなさい」
「母上はいつもリーナを虐めてばかりですよね。叔母上だけでも十分どころか過剰だというのに」
「人聞きの悪いことを言わないで頂戴な。そうやって大事だからと閉じ込めてしまうのは貴方の悪い癖よ、フィリウス」
「閉じ込める」。言われてみれば、リーナはここに来てから一度フィリウスと城下町に行ったきり外に出た覚えがない。──それこそ城の敷地内ですら。
「あの、フィリウスさま」
「どうした?」
「わたしにこの城の庭を案内してはくれませんか?」
フィリウスの顔をまっすぐ見つめれば、彼は一も二もなく首肯した。