45.ジャガイモの産地
「では最後に。オーネマン子爵領の特産品は覚えていますか?」
「宝石、ですよね?」
「はい。その通りです。今後の授業でもたびたび振り返ることがあるかもしれませんから、気を抜かないようにしてくださいね?」
カーンカーン。
ユスティナがそう言い終わるかどうかというぐらいで、城の一日の終わりを告げる鐘が鳴った。
文官たちはおおよそこの鐘を合図に仕事を切り上げて家や寮に帰っていくのだという。
ユスティナももちろん、帰路につく準備をしていた。
とはいえそれは一般的な官吏たちの話で、フィリウスは王族としての仕事が残っているからか、まだペン先を走らせているようだった。
それはさておき。
「ユスティナ様。あの」
「? いかがなさいました?」
突然の質問なのに荷物をまとめる手を止めて、リーナの方を振り返ってくれた。
「どうぞ」という表情をした彼女に、リーナは続きを口にする。
「今日の授業とは直接は関係ないことなのですが、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「お答えできるのは、わたくしの知っていることだけですがどうぞ」
「ジャガイモを特産としている領地はあるのでしょうか」
リーナの質問が予想外だったのだろう。顎に手をあてて考え込むユスティナ。
髪色も相まって、フィリウスと血の繋がりを感じてしまう。
このような質問をしてしまったのも、フィリウスの言っていた毒入りジャガイモが気になったからだ。
やがて、心当たりがあったようで、彼女は顔を上げた。
「ジャガイモで一番有名な領地でしたら、オーネマン子爵領ですね。今しがたお聞きしたように宝石の産地でもあるのですが、それだけではないのですよ」
オーネマン子爵。彼は宝石のことについてかなり詳しい人物だったとリーナは記憶しているが、もしかしてジャガイモについても詳しいのだろうか。
「ジャガイモは我が国にとっては舶来品なのですが、原産地の近くでは宝石も取れると聞きますし、もしかしたらジャガイモと宝石は相性がいいのかもしれないとの噂もあるくらいです。とはいえ、明確な根拠があるわけではないのでそのあたりの事情については話半分に聞いていただければよろしいかと存じます」
「そうですか……ありがとうございます。帰り際なのにお尋ねしてしまい、すみませんでした」
「このくらいのこと、大丈夫ですよ。これからもその調子でこの国の様々なことに興味を持ってくださると教師冥利につきます」
リーナが謝罪の言葉を口にしたけれど、彼女は気にしていないようで、むしろ勉強熱心なことに喜んでくれているらしい。
彼女がお辞儀をして退出していけば、室内にはちょうどフィリウスが書類に押印する音が響いたところだった。
ユスティナは「様々なことに興味を」と言っていたけれど、リーナの頭の片隅にあるのはもちろん、今朝のジャガイモのことだ。
彼女の期待にも応えたいけれど、はたしてリーナにそんなことができるのだろうか。
いつものように自己肯定感が下がりそうになっていると後ろから聞こえてきたのは「リーナ」という優しい呼びかけだ。
「フィリウスさま?」
「今日の授業はどうだった?」
リーナが振り返れば、いつの間にかフィリウスはペン休めにペンを置き、リーナの方をその紫水晶の瞳でまっすぐに見つめていた。
「はい。北部や東部についてはまだ比較的存じ上げていたのですが、南西部の半島が別の国だったとは思いませんでした」
「そうか。あの国は馬鹿兄の行っている──まあいい。君も勉強で疲れただろうし、また今度にしよう」
「ありがとう、ございます?」
「それから、」
そこで一度言葉を止めたフィリウスは視線をリーナから壁際の方へと移す。
それにならってリーナもまた彼が視線を向ける先を追うと、リーナたちに背を向けて肩を震わせているカールの姿があった。
「カール。真剣なリーナを笑うなら、もっと忙しい部門に飛ばしてもいいのだが」
「おや、お戯れを」
フィリウスに咎められたからか、カールは肩をすくめるとリーナたちの方へと振り返る。
「私は本気だ。いくらお前とはいえ、リーナを笑うというならこちらにも考えがある」
「私が笑っていたのはフィリウス殿下、貴方様のご様子がここを発つより前の頃には考えられないものになっているからですよ」
二人の会話についていけない。そんな自分が情けないと思うと同時に、もっとフィリウスの過去が知りたくて仕方がない。
ジャガイモのこと、フィリウスのこと。
ユスティナのいう「様々な」ことに興味を持たず、自分勝手に興味を持つリーナは──いや、この考えはもうやめよう。
さっきから気がつかないうちにネガティブ思考になってばかりだ。
「まあいい。好きにしろ」
「というわけで好きにしてよいとの殿下のお許しが出たわけですが、妃殿下。どうしてフィリウス殿下は第二王子なのにこの部屋にはこうも人が少ないのかとか、気になっていませんでしたか?」
「それは、」
「待てカール」
気になる。リーナとしては、フィリウスがどんな人でどんなことを経験してきたのかとか、彼のすべてを知りたいのだ。
けれど、心なしかフィリウス本人は知られたくなさそうなオーラを放っているし、彼が自分から言ってくるまで尋ねるのはマナー違反だろう。
「それは気にはなりますけど……フィリウスさまから聞かなければわからないことだって、ありますし……それをいつ言うかはフィリウスさまのご自由ですし」
「妃殿下は随分と殿下のことを……。くれぐれもそのまま我が主を信じていてくださると、部下冥利につきます」
「カール。先ほどからお前は随分とお喋りが過ぎるのではないか?」
「妃殿下のおかげで助かりましたね。『フィリウスさま』」
「お前にその呼び方を許した覚えはない」
楽しそうな声が響く室内。
こうして一緒にいなければ決して見られなかったであろう彼の言葉や表情のひとつひとつが愛おしい。
けれどカールしか部下がいないのはなぜなのか。口ではどんなことを言ったところで、心の中では一度気になりはじめたせいか、考えが止まらなくなってしまう。
たしかに、この部屋は執務用の部屋といった様子をしているが、言われてみればどちらかというとフィリウス個人の書斎といった方が正しい気がする。
つまり、この部屋は彼個人が使うもののように思われて、文官たちと共同で執務にあたることが想定されていないというか。
そもそも、部屋の真ん中あたりにはフィリウスの執務机が四つぐらいは並べられる空間があるのに、そこは絨毯が敷かれているだけだ。
「リーナ」
「いかがなさいました?」
フィリウスに呼びかけられたことで、ふと顔を上げる。
リーナのもとまで歩いてきた彼の紫水晶のような瞳と目が合った次の瞬間には、リーナは彼の腕の中にいた。
「君は何の心配をする必要もない」
「っ、ありがとうございます。ですが、わたしもフィリウスさまの力になりたいのです……」
「その気持ちだけで十分だ」
そう言ったフィリウスの温かな手が、リーナの髪を愛おしげに梳いていく。
けれど、リーナはそんな言葉を望んでいるわけではないのだ。
──そこまで考えて、自分の身勝手さに気づく。
フィリウスとの結婚はあくまで「白い結婚」。何度でも自戒しなければ、つい忘れてしまいそうだ。
たった一日の間なのに、何度道を踏み外しそうになったことだろう。
誰でもここまで優しくされたら、勘違いしてしまうではないか。
そう伝えたかったけれど、優しい彼のことだからきっと傷ついてしまうだろう。そう言い聞かせて、自身の欲望から目を背けて。
──結局、今日も今日とてカールに「そろそろやめてはいかがです?」と言われるまで、リーナはフィリウスの腕の中にいたのだった。




