43.届けられたジャガイモ
2024年6月30日
冒頭部分の内容を変更させていただきました。話の大筋に影響はございません。
リーナとフィリウスがエーデリアを今後どうするかの話し合いをしていると、執務室にカールが戻ってきた。
フィリウスが続きを話し始めようとしていたリーナを止めたのは、彼の足音が聞こえてきたからなのだろう。
やはりカールにも知られたくないからだろうか。
先ほどの話をカールの前でして、万が一彼がフィリウスのことを怖い人に勘違いする可能性を考えると、聞かれたくないので助かった。
とひと安心したと同時に、リーナの意識はさっそく目の前のジャガイモへと向かう。
「カール。それが」
「はい、ご確認ください。念のためこちらを」
カールはフィリウスの執務机の上にジャガイモを包んでいるらしい白い布を置くと、どこから借りてきたのか、フィリウスとリーナそれぞれに白い手袋を渡す。
リーナたちに続いてカール自身も手袋を身につけると、机の上に置いた白い布の塊を一枚、また一枚と取っていく。
中から現れたのは、もちろんジャガイモだ。
「カールさん、こちらが本当に毒入りのジャガイモなのですか? 色は普通に見えますが」
「すべてのジャガイモを確認したわけではないので、正確なところはわかりませんがおそらく。実際、聞いていた通り献上されたジャガイモの何割かは緑色に染まっておりました」
「それは誰も食べていないのですよね?」
長年ジャガイモ生活を続けてきたリーナは知っている。緑色になったジャガイモは食べると、お腹をこわしてしまうのだ。
昔は何が何だか分からずに食べていたけれど、緑色のジャガイモを食べた時に体調を崩しやすくなるのだとわかってからは、やめた。
「勿論です。皆一流の料理人ですから、その程度であれば常識ですからね」
「よかったです……」
「リーナは優しいな」
息を呑んだフィリウスには気がつかず、その言葉に気がついて顔を上げたリーナに、慈しむような紫水晶の視線が合う。
「白い結婚」だとわかっているつもりなのに、彼の穏やかな表情が本物に思えてきて、嬉しくて仕方がない。
でも、今はもっと大事なことがあったことを思い出す。
「い、いえそれほどでもありませんっ。カールさん、手に取ってみても大丈夫ですか?」
「すまない。先に私に確認させてくれないか?」
「? ……いいですけど」
フィリウスもジャガイモのことを好きになってくれたのだろうか?
そうだとしたら、それはとても嬉しいことだとリーナは思う。ジャガイモが嫌いだったところで、彼と離れる理由にはならないけれどそれはまた別問題だ。
彼は一見普通に見える、やや小ぶりなジャガイモを手に取るともう片方の手で軽く眼鏡を押し上げ、ジャガイモを近づけたり遠ざけたりしながらつぶさに観察しはじめた。
さわやかな朝の空を背景に、眼鏡越しにジャガイモを見ているだけなのに絵になってしまう。さすがはフィリウスだ。
そんなふうにリーナが感心している間に観察も終わったらしく、彼はリーナの方に向き直った。
「手袋越しに触る分には問題もなさそうだ」
「ありがとうございます。もしかして、フィリウスさまもジャガイモがお好きなのですか?」
「? ああ、君の好きなものだ。嫌いになどなるはずがない」
再び穏やかな表情で眼鏡を軽く押し上げるフィリウス。
一瞬、間があったような気がしたのはたぶん気のせいだろう。
「手を」
両手を差し出し、フィリウスからジャガイモを受け取る。
やや小さめでいびつな形をしたそれに、ついアグリア家の本邸の庭で育てていたジャガイモを思い出してしまう。
結局リーナが育てている途中だったあのジャガイモたちはどうなったのだろう。
庭師の人が面倒を見てくれているのかもしれないし、世話もされず捨てられてしまっているのかもしれない。
いずれにしてもリーナには知りようがないけれど、気がかりになってしまうのは仕方のないことだった。
色々な角度、距離。リーナはジャガイモに夢中になっていたせいで、顎に手をあてたフィリウスに見守られていることに気がつかなかった。
そんなフィリウスにカールは呆れ気味に「そういえば」と口を開く。
「……殿下、少々思うのですが」
「王子妃への贈り物としてはありえないな。献上品というなら、もっと大きく形も整っているものを持って来るはずだが」
「私も同じことを考えていました。それに、誰が献上したかもわからない、となると」
「誰かがどこの馬の骨とも知れない奴を城内に通したということになる」
そんな会話がなされているとはつゆ知らず、どこからどう見てもよく見慣れた普通のジャガイモなのを確認したリーナは、カールが持ってきた布にそっと乗せなおす。
「ありがとうございました。……普通のジャガイモでしたね」
「ああ、見た目はな。だが、毒入りの可能性は否定できないから食事には使わないでおくようにと言ってある」
「緑ではないのに、ですか?」
「君はジャガイモを育てていたのだったな。たしかに変色したジャガイモに毒性があることはよく知られている。だが、繰り返すようだが普通の色だからといって何も仕込まれていないとは限らない」
ふと、フィリウスの言葉に昨日のパーティーで宰相──リーナの母方の叔父のオクシリオ・ヴィカリー公爵から注意されたことを思い出す。
彼いわく王族は「食中毒に見せかけた暗殺」というものに気をつける必要があるらしい。
リーナは王族といっても実際のところはあくまでも「白い結婚」で一時的に王族になっただけだ。
けれど、それを知っている人物はリーナとフィリウスの他にはごくわずか。そうした事情を何も知らない人からすれば、まぎれもなく王族の一員に見えるだろう。
ジャガイモが送られてきた理由は、リーナのジャガイモ好きがどこかから漏れて、リーナを毒殺するという目的だとしても辻褄が合う。
「そう、ですね」
「これは君を守るためだ。折角のジャガイモを捨てることになるのは心苦しいかもしれないが、理解してくれないか?」
「はい。非常に残念ですが、もしかしたらわたしを殺すために送られてきたジャガイモだったら誰が食べても危険な目に遭ってしまいますし、食べ物が必要な人たちのもとに持っていくわけにもいきませんね……」
落ち込むリーナの頭を、温かく優しい感覚が通っていく。
思わず振り返ると、どうやら手袋を外したフィリウスの大きな手がリーナの頭を撫でてくれていたみたいだった。
嬉しいけれど、冬の朝なのに身体が少し熱くなってきて、どう返せばいいのかわからない。
「わたしは子供ではありませんよ?」
「知っている。だが急に撫でたくなった」
ちょっとだけ不機嫌そうに口にするフィリウスもまた顔がほんのり赤く染まっていて。
リーナがそんなフィリウスの表情につられて笑ってしまったからか、フィリウスは再び先ほどよりも強い力でリーナの頭をくしゃりと撫で始めた。
「両殿下、せめて私のいないところでやってくれませんかね?」
照れ隠しで自身の妻を撫でているフィリウスと、撫でられて平常心ではいられないリーナに、カールの言葉が届くことはなかった。