42.「怖い」という気持ち
2024年6月30日
本話の大幅な内容変更をさせていただきました。
ただし、内容変更前後どちらの内容をお読みいただいた場合も、続きの内容はお楽しみいただけるようになっております。
いつもより朝早くフィリウスの執務室を訪ねたリーナは、カールが廊下への扉を開け放ったまま出ていったのを見送った後、執務机のそばで二人きりで話をしていた。
そんな中で彼の口から出てきた名前は。
「エーデリア様、ですか?」
「様をつける必要はない。君は王族で彼女は平民の、それも罪人なのだから」
それはそうかもしれない。
けれど、リーナが聞きたいのは様をつけるかどうかという話ではない。
「それではエーデリアさん、がどうかしたのでしょうか?」
「ああ。彼女の処遇が近いうちに決まるだろう。何か希望はあるか?」
「希望、ですか?」
リーナが再び不思議そうに首をかしげると、フィリウスは苦笑しながらも続きを切り出す。
「私は国に対して問題を起こし没落し、平民となった娘が今度は王子妃に暴行を振るったのだ。私は後腐れのない極刑が一番だと思うのだが、君はどう思う?」
「極刑?」
それはリーナの知らない言葉だった。
同じようにフィリウスの言葉を繰り返し尋ねていくリーナに、フィリウスは再び首肯した。
「ああ。そうすれば彼女が今後君に害を及ぼすことはないし、何なら他の者たちも君をどうこうしようなどということもできないだろう」
「つまり、どういうことですか?」
「彼女にはこの世界での償いなど生ぬるいから、あの世で償いをさせるべきだと、私はそう思っている」
フィリウスの言葉から、彼がエーデリアをどうしようとしているのか思い至る。
けれど同時に、それでは駄目だとも直感した。どうして彼がそんなことをする必要があるのだろう。
「それは、そうかもしれませんが……」
そう口にして、気づく。
無意識に彼の話に乗せられそうになっていた。
彼はいつもリーナに寄り添ってくれていたけれど、彼も違う考えを持っているひとりの人間なのだ。
フィリウスの妻でありたいと思ったのはリーナもエーデリアも同じだった。
けれど、リーナだけが今の立場が担保されているのは、フィリウスがリーナの思いに寄り添ってくれたからで。
ただ、いつもリーナとフィリウスの考えが同じになるとは限らない。じっさい、今回のリーナとフィリウスの考えは違うらしい。
首を横に振ったリーナは、途中で止めていた言葉の続きを口にした。
「わたしは、そのような罰がいいとはとても思えません」
「なぜ? 君を守れるのに。何より──」
「ちょっとしたことでフィリウスさまに迷惑をかけてしまって。──そのたびに誰かが死んでしまうと考えると、怖いん、です……」
自分の本当の気持ちがわからない。
だからだろうか。伝える勇気が少しずつすり減っていってしまったせいで、後半の方は声が小さくなってしまったけれど、ひとまず黙り込んだりせずにきちんと口に出せただけ及第点だと思う。
だって、ここでフィリウスの要望を無視して自分の想いをきちんと伝えなかった方がきっと、後悔してしまうから。
ふと、フィリウスの方を見れば、彼はまだ廊下の方をまっすぐ見つめていた。
「私が怖いか?」
その言葉にどきり、と胸が鳴った気がする。
フィリウスのことが怖いわけではない、と思いたい。
何かがあるたびにフィリウスに人殺しを決断させて。そんな人の妻として生きていくのは、たとえアグリア家に戻されずに王族としてずっと生きていけるとしても嫌だ。
フィリウスはこんなにもいい人なのに。
もしかしたら、リーナがそうしたことをフィリウスに求めれば彼は何のためらいもなくするのだろうか。
とても本当の夫婦とは呼べない関係なのに。
けれど、こんなにも優しい彼にそんなことをさせるのは──こんなにも優しい彼が、他の皆の間では恐怖の象徴と思われるかもしれないと思うと、とても怖くて。
だんだん、彼をそうさせてしまっているのではないか──と自分の存在が恐ろしくなっていく。
「いいえ。わたしは、わたし自身が怖い、です……」
「なぜだ? 君はこんなにもかわいいというのに」
リーナがおそるおそる答えを返せば、先ほどまで廊下の方を見つめていたはずのフィリウスは、はじかれたようにリーナと顔を合わせる。
突然の甘い言葉に、頬が上気した。
けれどすぐに、今の状況でこんな言葉に乗せられていてはいけないと思い出す。
「そ、それとこれとは別ですっ」
「かわいいというのは否定しないのだな」
「えっとそのあの」
「私は君がどうして君自身を怖がっているのかわからない。教えてはくれないか」
一瞬、思いがけないフィリウスの言葉に頭がパンクしそうになったけれど、なんとか落ち着きを取り戻せた。
彼の要望に、慌てずゆっくりとリーナは続きを口にする。
「フィリウスさまにすぐに極刑にするという言葉を言わせてしまう自分が怖いんです……」
エーデリアが犯した罪は、リーナに手を上げたことだ。
けれど、もしリーナのせいで彼女が死んでしまうとしたら、リーナは間接的にではあるけれど、人殺しをしてしまったということになってしまうのではないだろうか。
そしてそれは、リーナがエーデリア以上の罪を犯しているように思えてしまって。
もしかしたら、王族としては失格なのかもしれない。それでも、リーナにはとてもその選択肢がよいことだとは思えなかった。
そんな気持ちをこめれば、フィリウスは安心したような表情と共に指先で眼鏡を軽く持ち上げた。
「そんなことを私に言わせることができるのは君だけだ」
「それが怖いんですっ! どうしてそこで笑うんですか!?」
一生懸命に伝えたはずなのに、まさか笑顔を返されるなんて。この表情はわかっていない顔なのでは?
真剣な気持ちをぞんざいに扱われているようで、やっぱりリーナは彼にとってはどうでもいい存在だったのではないか。
そう感じてしまい、言葉もついきつくなってしまう。
「何がおかしいんですか!?」
「悪い。そういうつもりではなかった。だが、私が極刑にしたいと思ってしまうのも、それでも君にこうして意見を尋ねたくなってしまっているのも、全部君が特別だからだ」
「だったら──」
そのとき。
フィリウスが突然「しーっ」とリーナが口を開かないように人差し指で塞ぐ。
こんな状況なのにほんの少しだけ胸が高鳴ってしまったけれど、どうしてフィリウスはこんなことをしているのだろう……。
と思い五感を研ぎ澄ませていると、廊下からは足音が聞こえてきた。
きっと、彼の様子からしてこの話は一旦ここでお預けだ。
次に続きを話す時までに、彼に極刑を諦めさせる何かを考えておかなければ。
心の中で、リーナはひとり決意する。
そんな間にも、足音はよく聞き慣れたリズムを刻みながら、そのままフィリウスの執務室内へと入ってくる。
「おかえり、カール」
「ただいま戻りました、殿下。ご要望通り、昨日妃殿下宛に届いたジャガイモをお持ちしました」
リーナが予想した通り、入口の方を振り返るとそこには、中にジャガイモが包まれているのであろう包みを抱えたカールが部屋に戻ってきていた。