4.塗り固められた嘘
マリアよりもリーナの方が教育がなっている。
そんなフィリウスの考えに同意したアルトに声を荒らげたのは、セディカだった。
「アルト! お前裏切ったわね! 今日付けでお前はクビよ! 荷物をまとめて出て行きなさい!」
「お受けいたしかねます。私の主は奥様ではなく旦那様ですので」
リーナは青ざめてしまった。
アルトは首を横に振ったけれど、セディカに「クビ」と言われることすなわち、この邸ではイグノールが「クビ」と言ったに等しいのだ。
気がそこまで強くないイグノールは妻のセディカに頭が上がらないのだから。
「は? わたしがクビと言えばクビなのよ。アグリア家のルールではそうなっているの」
「そうですか。かしこまりました」
駄目だ。絶対にいけない。
今ならまだ間に合うはずだ。リーナなんかのために、仕事を捨てるなんてことがあってはいけない。
フィリウスがリーナの肩に腕を回すが、正直やめてほしい。
自分のためにアルトが仕事をやめなければならないなんて、おかしい。
(殿下がマリアと結婚すれば、すべて丸く収まるのに……。どうして……!)
それに、セディカが憤慨していて、マリアが泣きじゃくっている中でほほえみを浮かべているアルトもどうかしていると思う。地獄絵図とはこのことを言うのだろう。
当主のイグノールも事態の収束を図ることができないといった様子で固まっている。
今思い返してみれば、小屋に追いやられていたのは幸運だったのかもしれないと思うリーナである。
けれど、それはアルトがいてくれたからだ。
でもそのアルトは、リーナに関わっているせいで虐げられていたのだから、このままではいけないと思っていた。思いつつも、自分勝手なリーナは言いだせなかったのだ。
それに、アルトがアグリア辺境伯家──というかセディカ──の嫌がらせから解放されるのは喜ばしいことだけれど、ここをクビになったとなれば、領内で雇ってくれるところなどないだろう。
でも、アルトは悪くない。
だからここはリーナが頭を下げて何とかするのが最善のはず。
「殿下。どうかわたしとではなく、義妹のマリアと結婚してください」
「却下する」
「そこを何とか……!」
「そういえば」
フィリウスの言葉に、室内が再び静まり返る。
マリアもフィリウスの次の言葉が気になっているのか、泣き止んだ。
「リーナ嬢、お前はまだ約束を果たしていない」
「約束、ですか?」
「自分の部屋の中を見せると言っていたであろう?」
「そう、でしたね」
そういえばそうだった。
けれど、自分の部屋があの小屋だと正直に告白すれば、教育が足りていないと思われて、マリアと結婚してくれるのではないだろうか。
もともとリーナのものだった部屋は、マリアに取り上げられた後、長らく放置されているらしいので見せることもできないだろう。
正直に小屋のことを告白するのがいい案な気がしてきたリーナが、正直に答えようとしたちょうどその時。
先に口を開けたのはセディカだった。
「でしたら、わたくしがご案内します」
「夫人は私などにお構いなく」
「王族の方がいらっしゃったというのに、子に相手を任せるなど親として責任放棄もいいところですので」
「……そうか。ならば案内してもらおうか」
「もちろんでございます。旦那様、マリアのことは任せましたよ」
リーナたち三人は、邸の二階の一室へとやって来た。
(ここ、マリアの部屋だわ……)
リーナに厳しい目を向けるセディカ。
きっと「余計なことは言うな」ということなのだろう。
「さあ。こちらです。どうぞご覧ください」
「それでは……」
セディカが扉を開くと、フィリウスが室内へと足を踏み入れる。
あたりを見回しても、おかしなところはないだろう。だってマリアが、年頃のご令嬢がこの部屋で暮らしているのだから。
「リーナ嬢。気に入りのドレスはどのようなものだ?」
部屋の中を見て、リーナに背中を向けたままそう尋ねるフィリウス。
お気に入りのドレス。そもそもリーナはドレスなんて一着も持っていない。
持っているのはせいぜい今着ているワンピースか、それとほぼ同じようなものばかり。自分で縫い上げた小屋の壁にかけてある分で全部だ。
ふと、強烈な視線を感じる。セディカのものだった。
わたくしがかわりに答えるから、何も言うなと言わんばかりだ。
「殿下、リーナは──」
「私はリーナ嬢に聞いている。先ほどの様子からして、口がきけない娘ではないと思うが」
「娘は恥ずかしがり屋ですので、本心を隠してしまうのです」
「本心を隠す、か。……ではリーナ嬢、本心を答えろ。別に好きなドレスの色でなくてもいいが、本心だ」
リーナの方を振り向くフィリウス。まだドレスの話の方がよかった。
これに答えなければ首を飛ばされるかもしれない。けれど、リーナに言わせればこれは卑怯な質問だ。
「殿下。本心かどうかを判断するのは殿下、ということですか?」
「やはり、その事実が理解できる程度には利口らしい」
「お褒めにあずかり光栄です。それで、わたしが好きなドレスですが──」
ここは、マリアの好みを答えておくべきだろう。
そうすれば、万が一クローゼットの中を調べられることになっても誤魔化しがきく。
「わたしが好きなのは薄桃色のドレスです」
「そうか。ではなぜ今日は着ていない」
「もともと来客の予定はございませんでしたので。もし存じ上げておりましたら、とっておきのドレスでお迎えいたしましたが、殿下はそちらの方がよろしかったでしょうか?」
「オンボロ小屋の中で隠れているつもりだった娘がドレスとは……やはりお前も期待外れだったか」
「オンボロ小屋……!」
拳を握り、目を大きく見開くセディカ。これはあとでみっちり叱られるパターンではないだろうか。
せっかくフィリウスとマリアをくっつけようとしたのに、これでは台無しだ。
(殿下のバカ……! さすがに面と向かっては不敬だから言えないけれど……)
怒られたくなかったから。だから、自分を押し殺して嘘までついていたのに。
リーナは本能的に縮こまった。
そんな中、今にも叫びそうになっているセディカを止めたのは、フィリウスだった。
「アグリア夫人、少々よいだろうか」
「義娘が殿下に嘘をつくなどという不誠実な態度を──」
「その話ではない。先ほどの様子と、この目で見たところからして、リーナ嬢は小屋で暮らしているようだったが──」
「いいえ! まさかそのようなこと……ありえません。わたくしはただ、王家に嫁がせるならリーナよりもマリアの方がよいと、そうお伝えしているだけで」
後半は同意だけれど、そのようなことがあり得るのが、アグリア辺境伯家だ。
リーナは自分がマリアとはまったく違う環境に置かれてきたことを自覚している。でも、だからこそ言いだせなかった。
醜聞が広まってしまっては、両親の愛した辺境伯領を守ることができないから。繰り返し、そう自分に言い聞かせてきた。
フィリウスはそんな自分を心の中で責め始めたリーナの異変に気が付いたらしい。リーナのもとにやって来ると、そのまま肩にポンと手を置いた。
リーナのものよりもいくらか大きくて、温かいフィリウスの手。
人のぬくもりに触れたのは、いつ以来だろう? アルトとだって、直接触れ合ったことはない。
もちろん、リーナとて当主の義娘と使用人という関係上、当然のことだとわかっている。けれど同時に、人肌が恋しいのも事実だ。
リーナがセディカの方を見れば、その表情からは怒りの感情が簡単に読みとれた。
けれど、リーナが彼女の顔を見ているうちに、その表情は徐々に青ざめていく。
「アグリア夫人。貴女には失望した」
「失望? 何の話ですか?」
「私は先程、マリア嬢よりもリーナ嬢の方がマシだと伝えたはずだが?」
「わたくしは殿下が間違った選択肢を選ばないように、と再三申し上げているのです。それなのに、殿下が──」
「煩い。失せろ」
フィリウスのその一言はまるで魔法のようだった。
先ほどマリアに言った「失せろ」とも比べものにならないぐらいの圧力。
もちろん、リーナも魔法はおとぎ話の中だけにしかないものだということは知っている。けれど、そのたった一言で廊下の空気が凍り付いたように感じられたのだ。
どうすれば。解決策が一行に思いつかない。
そんな中、三人のもとへと近づいてくる足音。小屋とは違い、石畳の上に薄めの絨毯を敷いているだけだからか、遠くからでもよく聞こえた。
「お取込み中失礼します」
「えっ、アルト……?」
顔を上げると、そこに立っていたのはアルトだった。
本話から1日1話更新となっております。
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