39.懐古(sideフィリウス) (2)
本日、2話更新しておりましてこちらは2話目となっておりますのでご注意ください。
馬車に乗って移動することおよそ半月。
レーゲ王国最北の地、アグリア辺境伯領に到着したことを伴走する護衛から告げられたフィリウスは、窓の外の景色を眺める。
この季節の王都だと山々の木々はまだ色づいているのだが、この地の木々はもう葉をほとんどすべて落としてしまっているらしい。
窓の外を流れていくのは、ほとんど落ち葉と茶色ばかりの世界だ。
何か楽しいことはないだろうか。やはり執務室で仕事に打ち込んでいた方がよかったのだろうか。
フィリウスは誰にも聞こえないのをいいことに舌打ちした。
(陛下は一体、この地の領主の血縁の者と婚姻を結ばせて何をしたいのやら)
翌日。
フィリウスたち一行は日が昇り始めるよりも早く、アグリア領内一を謳う温泉宿を静かに発つ。
これは国王ベネディクトの指示だ。
出発の直前、馬車に乗ろうとしたところでやって来たベネディクトとの会話がふと思い出される。
『陛下、どうしてそのような家の娘と──』
『お前は豪奢なドレスやら華やかな香水やらをつける令嬢たちとは結婚したくないと言っておったであろう? 最良の相手だ』
『このような悪評の立つ家の娘など──』
『ならば前触れなしで朝一番で尋ねるのだ。さすれば、相手の本質がわかるであろう? 何ならあそこの領主一家は遊び呆けているから、お前が堂々と領地に入ってきても気づかないだろうからな』
たしかに、朝一番の寝起きからドレスを着ている令嬢などいない。
だが、それは当然初対面の時に「豪奢なドレス」を着ていなければいいなどという話ではないのはベネディクトも百も承知だろう。
そんな父親の低レベルな冗談みたいな話を聞かされたフィリウスはしかし──「もしかしたら陛下の言う通りなのでは」と一縷の望みにかけていたのだった。
──わざわざ執務をやめさせてまでも片道半月もかかる道を行かせるのだから、リーナ・アグリアという令嬢は何かが他の令嬢たちと違うのかもしれない、と。
むしろ、同じならその時は──。
そう思っていると馬車が停止した。しかし、フィリウスの予想通りしばらくすると馬車は再びゆっくりと動き出す。
邸には警備の関係上ほぼ必ずと言っていいほど門があるので、フィリウスにとってこのように待たされることは日常茶飯事だ。
「到着しました。殿下」
「ああ」
今度こそ完全に馬車が停まる。
御者の声かけに馬車を降りると、塀の向こうに広がっていたのは辺境伯家の本邸というだけはあり、なかなかに豪華な邸宅だ。
それから間もなくして、異変に気づいたらしく邸の正面玄関から飛び出してきてフィリウスを迎えたのは、やや小太りで腰も折れ曲がった老齢の男。
もしや彼が家令なのだろうか。
突然とはいえ客人を迎え入れるのにこの体たらく。慌ただしいし、おまけにみっともない。
やはりベネディクトの嫌がらせか。
使用人は当主一家を映す鏡だ。
この男の様子からして、ベネディクトがフィリウスにあてがおうとしているこの家の令嬢も、大したことはないのだろう。
フィリウスはもはや今日ここに来た目的は果たされないと結論づけながらも、このまま何もせず帰ってベネディクトに伝わったらそれこそ面倒だ──と自身の不機嫌を目の前のだらしない男にぶつけた。
「陛下の命令だ。リーナ・アグリア嬢はどこにいる?」
はじめこそ不機嫌そうな表情を浮かべていたフィリウス同様に訝しむような視線を返してきた男。
しかし馬車に描かれた王家の紋章に目の色を変えると、すぐに邸に迎え入れてくれたので一応全く教育がなされていないというわけではないらしい。
彼は玄関ホールで「いささか急なお越しでしたから」と少々待つように言い残してどこかに去っていく。
その後怒号が聞こえ──その声が鎮まると共に絨毯に足音を響かせて戻ってきたのでフィリウスはやはり買い被り過ぎであったことを瞬時に悟ったが。
「いやはや。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました」
「さっさと案内しろ」
「こちらでございます」
先ほどまでと打って変わって軽やかな足取りの男について廊下を進んでいく。
一面に敷かれた赤い絨毯、ほとんど等間隔に置かれた芸術品の数々。
しかし、中には描かれた当時からずっと王城に飾られているはずのものと同じ、いわゆる偽の絵画もあるので聞いていた税金の話といい、この家はいよいよ長くないのかもしれない。
しかし、本当の地獄はそこからだった。
「それではこちらでしばしお待ちください。閣下を呼んで参ります」
そう言って去っていった男。フィリウスが机を挟んで暖炉の向かい側のソファに座ると、それからほとんど間を置かずにお茶が運ばれてくる。
毒を警戒しつつも怪しまれないために軽く口に含んでみたが、どうやら飲んでも問題のないものらしい。
応接室と思わしき室内を見渡せば、相変わらず廊下同様に豪華な絵画が飾られていた。
しかしこの絵画については以前母から聞いた話によれば、今の辺境伯であるイグノールが当主となる前から置かれていたものだったらしい。
そうして二杯目を注ぐよう頼もうとしたちょうどそのとき。
「遠路はるばるいらっしゃったと聞きました。第二王子殿下──ふぁ~」
通された応接室のソファに座って出された茶を飲んで待っていると、やがて入ってきたのはアグリア辺境伯その人だった。
襟元のボタンは外れ、寝癖も立っている男はあくびを噛み殺すとフィリウスの向かい側に着座する。
彼は自身の分の茶も入れてメイドに退出するように指示すると、寝ぼけまなこながらフィリウスの方を真っ直ぐと見据えた。
「いやはや、前触れもなくいらっしゃるとは。今リーナを呼びに行かせておりますので少々お待ちを」
「必要ない。この邸に入るまではそのつもりだったが、気が失せた。陛下もこの件については貴殿に伝達次第、私に一任するとのお達しだ」
「一度お会いしていただければわかります! きっと殿下もお気に召すことでしょう」
辺境伯は国王ベネディクトのお墨付きだからかこれ幸いと娘との婚姻を薦めてくるが、もはやフィリウスにはそのような気持ちは一切ない。
これはもう、本人に直接厳しい言葉をかけて彼女の方から振ってもらうのが一番だ。
逆上させてそれを理由にフィリウスの方から振るという手もある。
使用人がだらしない家では当主もまた不出来であることはもちろん、その子息令嬢もそこまで躾けられておらず、少しの言葉で感情的になる者も珍しくない。
カップの茶をもう一口飲もうと持ち上げたそのとき。突如訪れた扉の開く音にフィリウスは再びカップをソーサーへと戻す。
「あなた。……リーナを連れてきたわよ」
「おお! 殿下、こちらが娘のリーナです」
「そちらが──」
立ち上がりながらアグリア辺境伯夫人──セディカと共に入ってきた令嬢に目をやる。
その少女と目が合えば、彼女は目を輝かせてフィリウスの懐へと走ってきたので手で制する。
「わたしマ……リーナ・アグリアです! 王子様って聞きました! 王子様の名前は何ですか!?」
「──っ」
複雑、とはいえ急ごしらえであろうプラチナブロンドのロングヘアを編み込み、空色の瞳をした、これから夜会にでも行くのかというぐらいに豪華なピンク色のドレスを纏った少女。
おそらく彼女の方が当主よりも多少は早起きなのだろう……が、そんなことはどうでもいい。
「マリーナ・アグリア?」
「ちがいますぅ! わたしっ、マリリーナといいます!」
「陛下は『リーナ・アグリア』と言っていたが」
「うっ、それは家族やみんなはわたしのことをリーナって呼ぶんですけど~、本当は──」
「マリア嬢、茶番はいい。アグリア辺境伯、リーナ嬢を出せ。陛下の命令だ」
暖炉にくべられた薪が爆ぜる音が室内に響く。
フィリウスは知っている。彼女の名前は「リーナ」などではない、と。
態度を一変させたことに驚いたらしく、抱きついていたマリアも顔をこわばらせて、フィリウスから離れていた。
辺境伯に視線を向けると、彼は苦虫を噛み潰したような表情でフィリウスから目を逸らす。
補助金の着服以外にも、後ろ暗いことがあるのだろう。彼女の名がリーナではないことをフィリウスが知らないはずがないのに、わざわざこんな茶番を演じたのだから。
「リーナ嬢はどこにいるかと聞いている」
「──っ」
「答える気がないようだな。それならば探すまでだ」
「で、殿下! お待ちください!」
息を呑むばかりで答えを返さない辺境伯にしびれを切らしたフィリウスは、応接室を後にする。
後ろから誰かの早歩きで追って来る足音が聞こえてくるが、フィリウスには知ったことではない。
わざわざ偽ってまで隠すからには、それ相応の何かが裏にあるのが定石だ。
とはいえ、フィリウスには探すべき場所に心当たりがあるわけでもないし、今回の目的はアグリア領の闇を暴くことでもない。
しかし、やりようによっては婚約をなかったことにできるのではないか。
そう考えていたフィリウスの目の前に文字通り救いの手が現れた。
「こちらです」
黒色の髪はまだ若干寝癖がついているようで、一見ぱっとしない青年。しかし眼鏡をかけているということは、それなりに財産は持ってはいるのだろう。
フィリウスを邸の入口で迎えた老年の家令よりも動きがよく洗練されている。
彼に腕を掴まれ、その手に引かれるままにたどり着いた先は邸の裏庭だった。
「こちらで少々お待ちを」
そう言って少々口角を上げた青年は裏庭の一角にある低木のあたりを示す。
おそらくフィリウスの正体をある程度推し量った上での行動だろう。いい性格をしている。
言われた通りフィリウスが大人しく茂みの中で待っていると、青年はそのまま中庭の畑と思わしきところに建てられた木造の小屋へと向かう。
眺めていると、小屋の中から出てきたのは。
「そうか。だが、奴は──いや、今はそんなことはいい。いずれにせよ、これで陛下との約束は果たせるのだから、問題はない」
頃合いを見て茂みの中から出て青年たちのもとへと向かう。
もちろんこのときのフィリウスは彼女のことを「好き」になってしまうなどとは──「白い結婚」とはいえ婚約を飛ばしてしまうなどとは微塵も思っていなかった。
♢♢♢
そこまで思い返して、今はそのようなことをしている暇などなかったと思い出したフィリウスは、昨夜料理長に聞いた話を書き起こしていた。
「殿下? 随分とお早いですね」
「ん……カールか。おはよう」
「おはようございます。最近はリーナ妃殿下に現を抜かしているのかと思っていたのですが一体何を──」
自身の執務机の目の前までやって来た部下に、顔を上げたフィリウスは黙るようにと無言で圧をかける。
「なるほど、そういうことでしたか。やはり寝ても覚めても彼女のことばかり考えていらっしゃるので」
「煩い」
カールのからかいに気を取られていたせいで、決して犯してはならない失態を自身が働いてしまったことにフィリウスが気づくのに、それほど時間はかからなかった。
「おはようございます。フィリウスさま?」
「──っ、リーナ」
自身の執務室を訪ねてきた妻──「白い結婚」ではあるが──に、フィリウスはもうそんな時間になったのかと焦る。
そのせいだろうか。彼女に見せたくない書類を片付けようとしたのに、よりによってそれだけがリーナの足下へと飛んでいく。
カール、と心の中で叫ぶよりも早くリーナが書類を拾い上げてしまう。
これだけは彼女に伝えたくなかった。勢いに任せて書いた文字だから、せめて彼女が読めなければいい──と思っていたが。
「『ジャガイモ、毒入りの可能性あり』、『リーナ宛て』……? 何かあったのですか?」
この件についてリーナには何も知らないままでいてほしい。そう思っていたが現実とはままならないものだ。
愛する妻の深刻そうな表情に耐えられなかったフィリウスは、自身の重い口を開いた。
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