37.誕生日パーティー
第一章最終話です。
よろしくお願いします。
「リーナ嬢。入ってもよいだろうか?」
「ど、どうぞ」
「失礼する」
カチャリとドアが開く音がして、リーナのもとへと近づいてくる影。
顔を上げれば、そこにいたのはいつもよりも盛装したフィリウスだ。
黒のトラウザーズに白のジャケット。淡い青色のネクタイを留めているピンには、大粒のサファイアがあしらわれていた。
「よく似合っている」
「ありがとう、ございます。ですがそれを言うならフィリウス、殿下の方が」
「ありがとう」
「あの、ところでこのスカートについている宝石は、以前見た時はなかったのですが……殿下は何かご存知ですか?」
「私がつけさせた。金を積んだらオーネマン子爵もウェスティンも快く了承してくれたぞ」
「はい?」
まってほしい。今、衝撃的な事実を聞かされた気がする。
つまり本来なら親が用意するはずのデビュー用のドレスに、血縁上でも婚姻上でもリーナの親ではないフィリウスが……?
「正直な話、リーナ嬢との結婚の話はずっと前に上がっていてな。私がアグリア辺境伯領に向かう前に既にそのドレスの作成は進んでいた」
今出来上がっているということは、少なくとも一ヶ月以上前には──つまりリーナがあの小屋暮らしを終えるよりも前には注文されたのは事実なのだろう。
「君と顔を合わせるまでは、私も結婚に乗り気ではなかった。だからすべて母上に任せていたのだが。……君と出会って、君と共に過ごして少しはと思ったのだ」
まさかフィリウスがそんなことを思っていたなんて、リーナは考えたこともなかった。
けれど彼の表情はいたって真剣で。きっと嘘はついていないのだろう。
何せ「マシ」と言われたのだから。
リーナとしては「少しは」の後が気になるのだけれど、ここで話を切るのはまずい気がしたのでやめた。
それはさておき。
フィリウスの感情で「白い結婚」を解消されることはないのかも、とリーナもひとまず安堵できたけれど、まだ問題は解決していない。
「リーナ嬢。君をエスコートする権利を」
「も、もちろんですっ。フィリウス殿下は私のだ、旦那様ですから。そ、それと」
今しか言うタイミングはない。それもフィリウスにとっては迷惑な話。
けれど、今言わなければリーナはユスティナから妃教育を受けられず、フィリウスとの婚姻関係も解消されてしまうかもしれないのだ。
たぶん今のフィリウスは、リーナのことを多少なりとも認めてくれている。
けれど、妃教育を受けられなければこの先はどうなるかわからない。
今我儘を伝えたら、フィリウスはどう反応するだろう?
──嫌われてしまうかもしれない。一瞬だけそう思った。
でも、どうせ同じ結果になるなら今言ってしまいたい。
このまま待つだけ待って、何もできないまま婚姻が解消されるなんて、リーナにはとうてい受け入れられないものなのだから。
「このような素敵なドレスをいただいた上で言うのもおこがましいのですが。……た、誕生日プレゼントをいただきたいのです」
勇気を振り絞って、ひとこと。
フィリウスの返事はない。
やっぱり我儘なんて言うべきではなかったのかも。……とリーナが思ったのもつかの間。
フィリウスの顔を見上げれば、彼はたちまち破顔した。
「君が私に何かを強請ってくれる日がくるとは思いもしなかった。何がいい?」
紫水晶の双眸が柔らかに細められ、心なしかいつもより輝きが増している気がする。
なけなしの勇気を出してよかったと、心の底から思う。
「何がいい」と言われても、リーナが今望むものはただひとつだ。
「その……。わたしのことをリーナ嬢ではなくリーナ、と」
「そんなことでいいのか? だが……それでは不平等だ」
「えっ?」
フィリウスが受け入れてくれた──と喜んだのも束の間。
彼の声に突然不機嫌が混ざったようで、思わず縮こまってしまいそうになってしまう。
「私はまだリーナから誕生日プレゼントを貰っていない。君と会ったあの日、私は誕生日だったのだが。ああ、嘘だと思うなら陛下や母上に聞いてもいいぞ」
初耳だった。けれどフィリウスはこんなことで冗談を言う人ではないので、本当のことなのだろう。
「わ、わかりました。何をご所望でしょうか?」
「私のこともフィリウスと呼べ」
「そ、それは不敬すぎますせめて王都に行った時と同じでフィリウスさまでしたらっ!」
「……わかった。君がそう言うなら」
「自分で言っておいて何なのですが、わたしのお願いは全面的に聞いていただいたのにフィリウス、さまは……」
「君と私は夫婦なのだから。それとも、やはり今日からフィリウスと名で呼んでくれるのか?」
「フィリウスさまでお願いいたします……っ」
夫婦。今までただの言葉としてしか認識していなかったそれが、自然とリーナの中にストンと落ちた。
今ならフィリウスの妻だと皆に胸を張って言えそうな気がする。
「君が言うならそうしよう。だが、いつでもフィリウスと呼んでくれてもよいのだぞ?」
「はいっフィリウスさま」
「そう面と向かって──それも笑顔で呼ばれると恥ずかしいな……。行こうか、リーナ」
(わたしも恥ずかしいですっ!)
幸せそうな笑顔のフィリウスに、リーナはただ顔を赤くして頷いて返すことしかできない。
フィリウスはリーナの心の中が恥ずかしさとか喜びやら嬉しさといった色々な感情で大渋滞していることに気づいているのかいないのか、グローブ越しの手に口づけを落とす。
たちまち、もともと顔が赤くなっていたリーナが熟れたリンゴのように真っ赤に染まってしまったのは、言うまでもない。
足取りも覚束なくなってしまったけれど、フィリウスにエスコートされて何とか会場へと移動することができた。
「誕生日おめでとう、リーナ。我が義娘よ」
「ありがとうございます、陛下」
「陛下とは他人行儀な……お義父さまでもよいのだぞ」
「あまりリーナをからかわないでいただきたい、陛下」
「フィリウス、お前まで……」
パーティーが開かれたのは、広い王城の中のちょっとしたホールだった。
荘厳な玉座の間とは違って、温もりすら感じられる場所。まるで皆がリーナのことを歓迎してくれているようだった。その中には。
「ユスティナ様……!? どうしてここに」
「次にレッスンを施すのはお二人の仲が──とは申し上げましたが、社交はまた別ですわよ?」
「叔母上もあまりリーナを虐めないでいただきたい」
「あら? この様子でしたら大丈夫そうですわね。ねえあなた」
「……だな」
ユスティナの隣に視線を向ければ、そこにいたのは彼女の夫、宰相のオクシリオ・ヴィカリー公爵その人だった。
「妻の言っていた通り杞憂でした。王の右腕として、悪い噂が立ってもなお国王陛下夫妻や妻を動かすほどの何かが裏にあると初対面の時から踏んでいたのですが」
「リーナがそのような女なら、道中で本性を見せたでしょうから」
「殿下のおっしゃる通りです。好物はジャガイモとのことですが、両殿下におかれましては食中毒に見せかけた暗殺の可能性を──」
食中毒。そんなものがあるなんてリーナは知らなかった。
もしかしたらお腹が痛くなりすぎて死んでしまうのだろうか──と一瞬間抜けなことを考えかけたリーナは頭の中で首を振る。
でも、王を補佐する宰相が言うのだから、そのような危険性はあるのだろう。
リーナは「食べ物には毒が紛れ込んでいることがあるかもしれない」と頭の片隅に書き込んだ。
「あなた。嘘はついていないのでしょうけれど、本当はわたくしがこの子の話ばかりしたことに嫉妬していたのでしょう?」
「はい?」
リーナは、ユスティナの言った言葉の意味がわからなかった。
けれど、話しかけられたオクシリオは咳払いをするときっぱりとそれを否定した。
「私がそのようなことをすると思うのか?」
「ええ。何年一緒にいると思っているのですか? そもそも、妃教育の指導の話が来た時に──」
「その話は過ぎたことだろう?」
「……仕方のない方ですわね」
ハァ、とリーナたちにも聞こえるような大きな溜め息と共に扇を開くユスティナ。
彼女が一体リーナに何を言おうとしたのかはわからないけれど、彼女が夫に向けるその視線と溜め息には親愛の情が含まれているように見えた。
ヴィカリー公爵夫妻が去っていくと、次から次へと二人のもとへとやって来る貴族たち。
彼らの挨拶を半ば流れ作業で受け終わると、ダンスの曲が流れ始める。
「リーナ、心配はいらない」
「心配はしておりません。わたしもフィリウスさまを信じておりますから」
「それは嬉しいな」
クツクツと笑うフィリウス。
けれど、リーナはこれまで一度も曲に合わせてきちんと踊れたことがなかった。
そのためか、流れ始めたのも初心者向けのゆったりとした曲調の円舞曲。
隣に立つフィリウスが眼鏡を軽く指で上げる。
彼の紫水晶の瞳には、リーナが無事リズムに乗って踊れている未来が見えているのだろうか。
「だが、何よりもまず君自身を信じろ。大丈夫だ」
「──! はいっ」
より一層深い笑みを浮かべるフィリウスにつられて、リーナまで笑顔になってしまう。
思わず「白い結婚」だということを忘れてしまいそうだ。
「お手をどうぞ」
差し出された手に自身の手を重ねると、グローブ越しに感じられるのは温もり。
フィリウスと共に、リーナは今日の主役を待っているホールの中央へと一歩を踏み出した。
第一章、これにて完結です。
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