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34.重ねてしまった失言

 ダンスのレッスンの最中に突然ユスティナから「妃教育係を降りる」と言われてしまってしまったその日。


 その翌日、翌々日、翌々々日──。リーナはフィリウスの執務室の定位置にずっと座っていたけれど当然、待てど暮らせどユスティナは戻ってこない。


 フィリウスもリーナの置かれた状況を薄々感じ取っているようだった。

 時は(くだん)のレッスンの翌日。リーナは朝食を終えると、いつも通りフィリウスの執務室に来ていた。


「リーナ嬢、昨日は──」

「フィリウス殿下のご心配には及びません」

「……そうか」


 リーナはフィリウスを安心させるために嘘をついた。

 なのに、本来ユスティナが来ることになっていた時間になっても彼女が姿を現さないとわかると、フィリウスは執務室内の本を持って来てくれた。


 いたたまれなかった。

 けれど、フィリウスに「呼び捨てにしてほしい」と伝える勇気もなくて。


 かわりにリーナはフィリウスの親切を無下にして「手伝わせてほしい」と言ってしまうのだ。


 ──リーナがそう言ったその日以来、フィリウスはかわりに仕事を割り振ってくれるようになったのだけれどそれがまたつらい。


 ユスティナはフィリウスと急遽(きゅうきょ)行くことが決まった王都散策も知っていたし、いよいよこれは本当にリーナがフィリウスから名で呼ばれるようになるまでは来ないつもりなのだろう。


 自身の置かれている状況を変えられないことに不甲斐(ふがい)なさを感じるけれど、仕方がない。

 リーナが「いや」と言ったせいなのに、名で呼んでほしいと伝える努力を怠っているのだから。




 そのまたさらに数日後。

 その日は珍しく曇り空で強い風が吹いていたからか、執務室の窓も閉め切られていた。


 リーナがいつも座っているところに、今日もいつも通り書類を持ってきてくれたフィリウス。

 カールがいない今、執務室の中はリーナとフィリウスの二人だけだ。彼が浮かない顔のリーナを励ますのが、最近の日常的な光景になっていた。


「叔母上が来ないのを気にしているのか? 私はリーナ嬢が手伝ってくれて助かっているぐらいなのだが、君がそう思うなら王族命令で叔母上を──」

「そ、それだけはやめてください……!」

「っ──。君がそう言うなら」

「ありがとうございます……」


 よかった。

 ユスティナはフィリウスだからといって命令に従うような人ではないだろうし、そんな日には逆にリーナに見切りをつけるだろう。

 いくらなんでもそんな理由で離縁するなんてことになるなんて考えたくもない。


 フィリウスの厚意を無下にしてしまった。

 けれど、今のリーナにはそれ以外の選択肢がないのだ。


 結局、自分の思いを伝えられていないリーナは、カール共々フィリウスの仕事を手伝うばかりの日々になってしまっている。

 けれどいよいよ明後日はリーナの誕生日の夜会、デビューの日だ。


 だから。リーナは今日こそは、とほんの少しの勇気と共に声を振り絞った。


「あの……っ!」

「リーナ嬢?」


 駄目だ。フィリウスの顔を見ただけで降参してしまう。

 フィリウスの隣で王族としての責務を果たすなら、伝えなくてはいけないのに。その一言が、その一歩が踏み出せない。


 だから、リーナはかわりに今日も全く関係のないことを言ってしまった。


「わたしの誕生日パーティーってダンスがある、んですよね?」

「ああ、一応伝統に(なら)ってな。リーナ嬢が嫌ならなくすこともできるが」

「そうではなくて──! でもわたし、上手に踊れなくて」

「なら練習しよう。君は努力のできる人物だと──私は知っている。……思えば叔母上にはあの部屋に近づくことすら禁止されていたが、今は僥倖(ぎょうこう)かもしれないな」

「?」


 フィリウスの言っている言葉の意味──特に後半──がわからくて、思わず首を傾げてしまう。


 リーナの勘違いでなければ、今回の「白い結婚」は「マシ」という理由だけで結ばれたもののはずだ。

 本来おさめるべき成果をおさめられなかったのに、それを僥倖(ぎょうこう)と表現するフィリウスはやはり懐が広すぎるのではないだろうか。




 昼食後。帰ってきたカールも合わせて三人で移動したのは、以前リーナがユスティナやジュリアと共に来ていた大部屋だ。

 今はジュリアも仕事でいないので、フィリウスとカールとリーナの三人だけだ。


「リーナ嬢の相手役は私がするから、カールは出て行っても大丈夫だ」

「殿下はリーナ妃殿下と『白い結婚』をなさったと聞いておりますが。今朝は私が不在だったとはいえ、私がいる時にも追い出そうとは一体何を考えていらっしゃるので?」

「……そうだったな。最近、リーナ嬢との距離が近すぎて忘れていた」


 リーナには「白い結婚」があまりよいことではないらしいということ以外わからない。

 けれど、今の関係性を心地よいと思っていることもまた事実だった。


 フィリウスは近すぎるというけれど、「白い結婚」らしくない「白い結婚」になっているのかもしれないけれどそれでも、である。


「練習を始めようか」

「は、はい」


 リーナが向かいに立つフィリウスに差し出された手を取ると、彼のもう一方の手がリーナの背中へと回される。

 途端に、彼と触れ合ったところから身体じゅうに熱が広がっていった。


「リーナ嬢、怖いのはわかるが足下を見ていては上達しない。私の方を見るんだ」


 ユスティナにも言われた。胸を張って前を見るのがコツだと。二人が言うのだから間違いないはず。

 そう思って視線を合わせれば、フィリウスはさらに笑顔になる。


 ダンスが上手になるための練習のはずなのに身体が熱くなるばかりで、リーナは足が回らなくなってしまいそうな気がしてきた。


「そのまま、君は私にすべて任せてくれたらいい」


 おずおずと頷くリーナ。


 最初は身体をゆったり揺らすところからはじまる。

 フィリウスに言われるままに足を動かし、リズムに合わせて身体を揺らす。


 曲はかかっていないけれど、それは問題ではない。むしろ問題があるとすれば。


(フィリウス殿下のお顔、綺麗……やっぱり無理っ!)


 慈しむような、大事な人を見るような笑顔。

 「白い結婚」なのに期待してしまう自分がいて。


 きっとそんなことに気を取られていたせいだろう。

 リーナの足、もとい全身がフリーズする。それでターンが成功する──はずもなく。


 気がついた時には、リーナはフィリウスの腕の中にいた。

 リーナは今彼の顔を見てはまた固まってしまう気がして、俯く。


「リーナ嬢。急ぐ必要は──」

「あ、あります。わたしのせいで殿下の評判を下げるわけにはまいりませんし」

「頑張ってくれるのはものすごく嬉しいのだが、本当に──」

「もういいです」


 しまった、とリーナが思った時にはもう遅くて。

 思わず顔を上げれば、そこにはフィリウスの曇ったような表情。


 一度口にした言葉は、なかったことにはならないのだ。

 たとえ自分の思いが伝わらないからと言って、余計なことを口にするべきではなかった。


 最近ユスティナに指摘されたばかりだったのに、また同じ過ちを繰り返してしまった。

 「リーナ嬢」という呼び方のせいで、不仲に思われていること。その上にこんなことを言った日には、どう思われることか。


 そこまで思い至らないリーナではなかった。

 けれど今すぐにその言葉を取り消す勇気は、やはり今のリーナにはない。


「ごめんなさい、殿下。少し頭を冷やしてきます」

「……わかった」


 リーナは心の中でフィリウスに謝罪を繰り返しながら、王城の廊下をひとりトボトボと自室へと帰る。


 扉をノックして入ると、部屋の中ではジュリアが窓を拭いていた。

 彼女は動きを止めると、リーナの方を振り向く。


「──リーナ様!? 大丈夫ですか!?」

「え、ええ大丈夫よ。でも、少し休ませて」

「かしこまりました。今ご準備いたしますので、少々ソファの方でお待ちください」


 ソファに座ったぐらいで気持ちが晴れるわけでもなく。リーナの心の中は、フィリウスに対する罪悪感でいっぱいで。


 外を吹きすさぶ風だけが、ひどくリーナの耳にこだました。


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