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33.妃教育~重い課題~

 宝石を選んだあの日以来、リーナは日中のほとんどの時間をユスティナのレッスンを受けるのに()てていた。

 朝晩も課題をこなす日々。アグリア辺境伯家の小屋にいた時は予定なんてほとんどなかったけれど、今は充実していて楽しい。


 何より、リーナの頑張り次第ではフィリウスがとんでもないことをして、彼自身に何かしらの悪意を向けられるかもしれないと思うと、より一層身が入った。




「リーナお嬢様は計算や基礎的な知識はよくできているようですが、実践面が足りていませんわね。特に先ほどのダンス──まだ及第点にも程遠いですわ」

「が、頑張ります……!」


 今日は城内の一室でダンスの練習を受けていた。部屋にいるのはリーナにユスティナ、そしてリーナの専属侍女のジュリアの三人だ。

 ダンスのレッスンをフィリウスのいる執務室で受けられないのはどうしようもないので、我慢するしかない。


 ジュリアが男性パートを踊れたのが意外だったけれど、それを褒めたら「リーナ様はご自身のパートに集中してください」と怒られてしまった。


 けれど、どれだけ続けても踊れるような気がしない。やっぱり、フィリウスがいないからなのだろうか?


「少し、休憩にしましょうか」

「はい……」




 休憩時間。

 王城では、暗黙の了解で昼食以外にも昼前と夕方前にそれぞれ一回ずつ小さめの休憩時間が挟まれているようだった。

 リーナもフィリウスの書類仕事を手伝った時に、カールが退出していったのをきっかけに知った。


 それはさておき。リーナがユスティナと共に部屋の壁際に置かれた数人掛けのソファに腰を下ろすと、ジュリアがお茶を()れてくれた。


 ユスティナが切り出した話は、リーナの痛いところを突くものだった。


「リーナお嬢様はフィリウス殿下からどうしてリーナ嬢と呼ばれているのかしら? とても夫婦とは思えない呼び方なのだけれど──よければ教えてもらえると助かるわ」

「それは……。たぶん、わたしが拒んだから、です」

「拒んだ? 何を拒んだのか教えてくださる?」


 こうして改めて問われると、自分の(あやま)ちは本当に重大なものだったのだと思い知らされる。

 リーナがフィリウスに「いや」と言わなければ、当然問い詰められることもなかったはずで。


 もとはといえば自分が()いた種なのだから、自分で刈り取るのも当然だ。

 何しろ、今まで目を背けてきたのは他ならぬリーナ自身なのだから。


「このお城に来た当日、フィリウス殿下はわたしのことを一度『リーナ』と、名で呼んでくださったのですが……。そう呼ばれた時、嬉しかったのに自分がおかしくなってしまいそうで『いや』と言ってしまいまして」

「そう。それでフィリウス殿下はお嬢様のことをリーナ嬢と?」

「はい……」


 消えてしまうようなか細い声に返ってきたユスティナの答えは、リーナが思いもしなかったものだった。


「リーナお嬢様には言っておきますけれど。わたくし、旦那様からお二人の仲はよろしくないと聞いておりましたの。ですから本当は妃教育を延期して、なかったことにしようと思っていたぐらいでしたわ」

「そうなのですか?」


 衝撃だった。

 それはユスティナがとても仮病なんてする人に見えなかったからというのもある。けれど、それ以上にリーナの目には彼女自身がそこまで嫌そうにしているように見えなかったからだ。


 けれど、彼女自身が語るならきっと本当のことなのだろう。


「ええ。わたくし、あなたがとてもいい子だということは知っていましたのよ。お義姉さまからもそう聞いていましたわ。でも、人って相性があるでしょう? 妃教育を受けたのにすぐに離縁だなんてことになっていたら、それだけで人生を棒に振ってしまう可能性がありますから、やめておこうかと思っておりましたの」


 続くユスティナの言葉によれば、妃教育は歴史上これまで受けた者のおおくが途中で音を上げてしまうほど厳しいものなのだという。

 リーナが今受けている妃教育も、長い伝統の間でほとんど変わっていないらしい。


「すぐに離縁するのではと思った最大の理由は、殿下の『リーナ嬢』という呼び方ですわね。どこからどう聞いても他人行儀で、愛する妻を呼ぶ呼び方には聞こえませんもの」


 納得してしまった。

 宰相のオクシリオから冷たい視線を向けられていた理由は、たぶんユスティナが今言っている通りなのだろう。何しろ二人は夫婦なのだから。


 「白い結婚」とはいえ、この状況は「結婚」としてはいかがなものなのか。


「だから、離縁してしまうぐらいなら、最初から辛い思いはさせないでおくべきと思って、お義姉さまからのお願いも最初は拒みましたわ。けれど、貴女たちが本当に仲が良さそうにしていたと聞いてしまったものだからつい、ね」


 情報源は明かせないけれど、とユスティナが扇を開くと、その下に隠した顔の口角が少しだけ上がったように見えた。


「ですからまずは、できるだけ早いうちにリーナお嬢様には『リーナ』と殿下から呼ばれることに慣れていただかないといけませんわ。……いえ、そう呼んでほしいとフィリウス殿下にお伝えするべきですわ」

「えっ」

「それが今度の宿題ですわ。今すぐにとは言いません。ですが、それができないと言うのなら──これ以上貴女に教育を施すことはできません」


 唐突にユスティナから告げられた、リーナを突き放すような言葉。背筋が凍り、時間も止まってしまったみたいだった。

 もし、このまま妃教育を受けられなかったら。リーナに教えているはずのユスティナがずっと王城に上がって来なかったら。


 間違いなく、フィリウスやパトリシアは異変に気づくだろう。

 国王陛下にだって知られるかもしれない。


 そうなれば、リーナは妃教育に耐えられなかったからという理由で、フィリウスとの婚姻関係を解消されてしまってもおかしくない。


 もし、本当にそうなってしまったら?

 リーナは間違いなく、アグリア辺境伯家に送り返されてしまうはずで。──その先に悲惨(ひさん)な未来が待っているのは想像に難くない。


 最悪、アグリア領の解体だってあるかもしれない。


 今まで、フィリウスに嫌われてしまうかもとずっと思っていたし、今でも思っている。

 けれど、彼と一緒にいられなくなったとしたら。


「今日のレッスンはこれでおしまいです。次に会うのはきっと、貴女がフィリウス殿下と仲睦まじい姿を見せていると聞いた時ですわね」

「はい……」

「けれどあまりに時間がかかるようでは、フィリウス殿下は他の、貴女よりももっと『マシ』なご令嬢を見つけるかもしれませんわよ? それでは、ごきげんよう」


 その言葉を最後にユスティナは立ち上がると、部屋を退出していった。


 「マシ」なご令嬢。リーナだってフィリウスから「マシ」と言われただけ。

 それはつまりユスティナの言う通り、もっと「マシ」な人物が現れたら。──その時はリーナが誰からも見捨てられてしまうのだということに他ならない。


 リーナが再び顔を上げても、そこにユスティナの姿はもうなくて。

 部屋に残されたのは心が暗く沈んでしまったままのリーナと、そんな彼女をただ見守ることしかできないジュリアの二人だけだった。


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