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29.昼食はジャガイモで

「──っ! どれもおいしそうですね」

「君が喜んでくれてよかった。ジャガイモ専門の食堂と聞いたからどんなものかと思っていたが、これはいい」


 リーナはフィリウスと共に下町の貸衣装店で平民同然の服を借りて、王都の一角にあるジャガイモ専門の食堂へとやって来ていた。


 城と同じように今はちょうど昼の休憩時間のようだ。

 大声で今朝はどうだったとか話している青年から、隅の方でリーナたち同様に向かい合っている老夫婦まで、幅広い世代の人々で賑わっている。


 周囲からただよってくるジャガイモの香りと目の前にいるフィリウスのせいか、まるで天国にいるような錯覚におちいる。

 そんな店内の真ん中あたりの席に向かい合って座った二人は、料理が出来上がるのを待っているところだった。




 なぜこうなったのかといえば、時は一時間ほど(さかのぼ)る。

 ドレスショップを出て馬車に揺られていた二人は、ある問題に直面していた。


「リーナ嬢。何か食べたいものはないか?」

「?」

「実はもともと午後から出発する予定だったから、昼食の店を予約していなくてな……。すまない」


 昼食。

 リーナはアルトから聞いたことすらなかったので知らなかったけれど、レーゲ王国では本来貴族が街で丸一日を過ごす場合、どこかしらの店を予約しておくのが普通なのだという。


「いえ、大丈夫です。それで食べたいもの、でしたっけ? お城のごはんがおいしいので特には──」

「ならば、食べた中で好きなものは何かないか? 別に食べたものでなくてもいいが、パン以外で」

「以前お伝えしたかもしれませんが……。イモです」


 イモ。食べるとお腹を壊してしまうことこそあったけれど、お腹をいっぱいにしてくれるし、畑でどんどん増えてくれる嬉しい食べ物だ。


 アルトが本館から持って来てくれた柔らかいパンに比べると微妙だったけれど、これがなかったらきっと小屋暮らしなんて続けられずに死んでしまっていただろう。

 リーナにとって、イモはまさに命の恩人だった。


「イモ、か。」

「はい、ジャガイモです。あっ、もちろんお城の他の食べ物がおいしくないというわけではないのですが」


 リーナが「イモ」と呼んでいたものが一般的には「ジャガイモ」と呼ばれているらしいと知ったのは、昨日の朝食でジュリアと話していた時のことだ。

 リーナはこの時まで、ジャガイモ以外にもイモと呼ばれる食べ物があるとは知らなかった。


「ジャガイモか。それならカールが言っていた店があるのだが……」

「何か問題が?」

「ああ。そうだな──」


 言いよどむフィリウス。けれど、話を聞いてみればリーナとしては気にすることでも何でもなかった。


「平民が住む地域のお店ですか。でもジャガイモの専門店なのですよね? 行ってみたいです」

「君ならそう言うと思った。だが、このままでは浮いてしまうから着替えるぞ」

「はい?」




 というわけで、途中貸衣装店で地味な服装に着替えた二人は歩いてジャガイモ専門の食堂とやって来たのであった。

 ちなみに馬車の運転だけでなく護衛もしてくれている御者の男性は店の外で二人を待っていた。


「あの、フィリウス殿下」

「殿下呼びはナシだ。折角着替えた意味がなくなるだろう」

「そ、そうですね。ではフィリウスさまで」

「さまも取ってくれていいんだぞ?」

「それだと逆に怪しまれてしまうのではないか、と思いまして。誰がどう見ても高貴な方がお忍びしているといったようにしか見えませんし」


 リーナの正面に座っているフィリウスは、貴族のお忍び感を隠しきれていない。

 帽子は被っているし、眼鏡も普段の繊細なものからちょっと安っぽい黒縁の丸メガネに変えているけれど、そんなものでフィリウスのオーラをごまかせるはずがないのである。


 そもそも、よく整えられた銀色の髪に紫水晶の瞳なんて、見る人が見ればすぐに誰かわかるはずだ。


「リーナはよく似合っているぞ」

「それってわたしが地味ってことですか?」

「ああ。だが、その方がいい。あまり目立ちすぎると危険な目に遭うかもしれない」


 貸衣装店でリーナは飾り気のない生成りの長袖ブラウスに、緑単色のスカートという非常にシンプルな服装を選んだ。

 フィリウスと違ってリーナの髪は平民にも多い茶色。似合うというか、ある程度平民らしく見えるのも当然だった。


 もっとも、リーナもまたここ最近はお風呂のおかげで髪にツヤが出ているのと整った容姿もあって、とても平民とは思えない容姿になっているのだが本人にその自覚はない。

 さらにいえば、フィリウスの言葉の裏には「リーナがかわいすぎて目立って他の男に盗られたらどうしよう」という気持ちがこもっているのだが、言われた本人はやはりその意図にはまったく気づいていなかった。


「はい! そこの銀髪の兄ちゃん! 嬢ちゃん! できたぜ!」


 そんな二人のもとにカウンターの方から聞こえてきたのは、二人を呼ぶ大声。

 「王族のフィリウスの手を(わずら)わせるわけには」とリーナが立とうとしたけれど、そのフィリウスに制止されたので、大人しく座り直した。


 フィリウスによると、こうした下町の飲食店ではまず席を選んで席料を支払ってからメニューを受け取り、注文した料理ができたらその代金をまたカウンターで支払ってから席で食べるという仕組みなのだとか。


 二往復して飲み物まで買ってきてくれたフィリウス。

 目の前に置かれた料理はどちらも見たことがないものだけれど、ジャガイモを使っていると聞いただけでとてもおいしそうな気がしてきた。


「こっちがクロケットで、こっちがクネーデルらしい。飲み物はぶどうジュースだ」

「ありがとうございます」


 以前宿に泊まった時もリーナのために、とぶどうジュースを頼んでくれていた気がするけれど、本当はフィリウス自身が飲みたいのではないだろうか。


 そう思うと、やはりかわいい気がする。

 今日のフィリウスはかわいいの安売りをしすぎでは、とリーナがちょっと心配になってしまうけれどこれは仕方がないのだ。


 けれどその気持ちが口から出る前に、リーナの視線は二枚の大皿の上に転がる料理たちに釘付けになった。

 フィリウスがクロケットと呼んだ方は、橙色の衣で食感がサクッとしていそうな円柱状の揚げ物だった。


 一方、クネーデルはジャガイモや色々な具材をこねて団子にしたような見た目の料理だ。

 こちらはリーナも似たようなもの──もちろん、具はなかった──を気分転換に作った覚えがあるけれど、それよりもずっと柔らかそうな見た目をしている。

 湯気も立っているし、匂いをかいでいるだけでお腹がすいてきた。


「リーナ嬢。焦らなくても料理は逃げない」

「は、はい」


 苦笑するフィリウスに見守られながら、リーナはまずクネーデルをゆっくりとひとつ手に取った。

 周囲に目を向けると、このお店では王城のようにカトラリーを使うことはなく、手掴みで食事を取るらしい。

 リーナも小屋に住んでいたころはどの食事も手掴みだったので懐かしい。けれど、フィリウスは戸惑っているようだった。


「フィリウスさま?」

「カールからは聞いていたが、本当にカトラリーがない店が存在するとは……」

「皆手で食べていますし、ここはそういうお店なんですよ」


 そう言って手に持っているクネーデルをまずはひとくち。

 途端にほろほろとくずれていく優しい食感と、ジャガイモ特有の味わいが口腔(こうこう)にふわりと広がった。


「おいしい……! ほら、フィリウスさまも食べてみてくださいっ」

「自分で君に聞いておいてあれなのだが、これは……」


 戸惑いを隠せないフィリウス。

 けれど、このまま何も食べなければフィリウスのお昼はぶどうジュースだけになってしまう。


「わかりました。そこまで言うならわたしが食べさせて差し上げます」

「──っ。しかし、それではリーナじょ」

「つべこべ言わずフィリウスさまは食べればいいんです。本当においしいんですから!」


 そう言って自分の食べている分を大皿の端に置いたリーナは、新しく手に取ったクネーデルをフィリウスの口元へと差し出した。


 けれど、フィリウスはリーナが差し出したクネーデルには口をつけず、顔を赤くするばかりだ。


「食べないのですか?」

「私は君よりも年上だ」

「だからどうしたって言うんですか? こんなにおいしい料理を食べないのはもったいないですよ」

「だから君は──んっ!」


 なかなか食べてくれないことにしびれを切らしたリーナは、クネーデルを無理やりフィリウスの口元に押し当てた。

 突然のリーナの奇行に面を食らったフィリウス。しかし一度口につけた食べ物を食べないというのはマナーに反するからか、しぶしぶといった様子で少しずつ咀嚼(そしゃく)していく。


「──おいしい」

「でしょう? ……え?」


 直後、リーナは指先に知らない感触を覚えた。

 温かく、柔らかいそれ。フィリウスに軽く()まれていると気づくまでに、それほど時間はかからなかった。

 フィリウスがより一層顔を赤く染めたのはもちろん、一緒にリーナまで顔が上気してしまった。


「あのそのごめんなさいわたし」

「……気にするな。問題ない」

「そんな顔で言われると逆に気になってしまいます──っ!」

「ヒュー! 若いねぇ!」

「ハハハッ! いいもん見せてもらったよ!」


 周りのお客さんたちがリーナたちをはやし立てる。

 お忍びで下町の食堂にやって来ましたと言わんばかりの初心(うぶ)なカップルに、下町の食堂は大はしゃぎだ。


「今度はリーナ嬢の番だ」

「ひひひひとりで食べれます~~~~~っ!」


 クロケットを手にしたフィリウスが顔を赤く染めたまま、笑顔でリーナに差し出す。

 恥ずかしさのあまりそれを全力で拒否したリーナは、食べかけのクネーデルの存在も忘れてクロケットをひとつ握ってそのまま口にする。


 恥ずかしさをごまかすために口に放り込んだはじめてのクロケットは、下町のぬくもりがたっぷりとつまっていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 女性の指を食むってソコハカとなくエロティックですね^^; 夫婦だから問題ない? いやいや、あるでしょ。殿下、理性、理性!
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