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28.ドレスショップにて(2)

 はじめて足を踏み入れたドレスショップの中は、リーナにとって未知の世界だった。


 そもそも、一生縁がなかったはずの場所。こんなところに来られるなんて、小屋暮らしをしていた頃の自分に言っても信じてもらえないだろう。


「こういうところははじめてといった顔をしているな。辺境伯はドレスすら買い与えなかったのか?」

「そう、ですね。普段着ならアルトにもらったことはあるのですが」

「またアルトか」


 フィリウスはやはりアルトのことが苦手なのだろうか。

 出会ってから今日まで、アルトの話が出るたびに苦い顔をしている気がする。


 アグリア邸では、リーナに服が買い与えられたことなど一度もなかった。

 それこそ、誕生日ですら何も貰った覚えがない。せいぜいあの小屋ぐらいだ。


 そんなリーナのことを不憫(ふびん)に思ってくれたのか、アルトが服をくれたことがあった。使用人が買うにはかなり無理をしたのではないかと思うようなそれ。

 けれどそれはすぐにマリアの知るところとなり、一度も袖を通すことなく取られてしまったのだ。


 というわけでそれ以来、アルトは針と糸とシンプルな布をくれるようになった。

 生成りの糸を使って自分で縫い上げて刺繡(ししゅう)した服は、ドレスに比べれば飾り気もなかったからかマリアに取られることもなかったし、何より愛着も沸いた。

 もちろん畑作業で汚れてしまったし、そのせいでフィリウスの馬車を汚してしまったのは記憶に新しい。


 ちなみに、今リーナの手元にあるのはアグリア邸から着てきた一着だけだ。思い出の品なので捨てずに洗って取ってもらってある。それはさておき。


「……リーナ嬢?」


 回想に浸っていたリーナは、フィリウスの声でようやく今自分が置かれている状況を思い出す。

 リーナの目の前にいる彼は少し不機嫌そうな表情だ。


「す、すみません! アルトからもらった服ですが、わたしが袖を通す前にマリアに取られてしまいまして。それ以来、服は自分で──」

「そうか……。私の方こそ不機嫌になって悪かった」


 申し訳なさそうに答えるフィリウス。リーナよりも背が高いはずなのに、年上のはずなのにまるで子供のようだ。


 そんなかわいい返答をされてしまっては、許すしかないではないか。


「わたしなら大丈夫です。ですが、どのようなドレスを選べばよいのかわからなくて。あ、いえ……。マリアやお義母さまのドレス選びの話なら使用人から聞いているのですが」

「そうか。それなら──こういったものはどうだ?」


 そう言ってフィリウスが指し示したのは、赤いイブニングドレスだった。


 これもアルトから聞いた──また口にしてフィリウスが傷ついたら嫌だから言わない──話だが、夜のパーティー用のドレスは首回りが比較的開いたものを選ぶのがマナーなのだとか。


 そういう場に着て行くためのものだからか、目の前にかかっているドレスは最近リーナがジュリアに毎朝用意してもらっているものよりもデコルテが大胆なものになっていた。


 それでもまだ、セディカが着ていたものと比べると落ち着いた印象を受けるのだから恐ろしい。

 そもそも今回のドレスは冬に着るものなのだし、もう少し首回りを温かくしてもらっても罰は当たらないのでは、ともリーナとしては思うわけで。


「そう、ですね……。少々難しいかもしれませんが、冬ですし首元が見えるのはちょっと。あと色も他のものがいいです」

「そうか。もちろん今回のドレスはフルオーダーなのだから、品格を失わない範囲であればリーナ嬢の好きにするといい。君の提案はむしろ喜ばしいぐらいだ。たとえば、このあたりに──」


 フィリウスと相談を終えたリーナ。

 いつの間にかフィリウスがウェスティンに目配せをしていたらしく、リーナたちのもとへとやって来ていた。


 何度見ても、ウェスティンの所作は王城の使用人にも引けを取らない。まるで平民ではないのではと思うほどに洗練されている。

 アルトがいなかったら、アルトから「貴族は自己紹介の時に普通家名を名乗るもの」と聞いていなかったら、きっとリーナは彼のことを貴族だと思っていただろう。


「おおよそお決まりになったようですね」

「はい」

「それではこちらへ──」


 そう言われた二人は二階の個室へと案内される。

 到着した途端に、女性従業員の方にパーテーションの向こう側へと流れるように連れて来られたリーナは、ドレスの上から巻尺で身長やら何やらをパパパっと測られていく。


 マリアやセディカのドレスの採寸を見た時には、二人ともシフトドレスと呼ばれるものに着替えていたので、特に着替えていないのに上から測れるこの人はその道のプロなのかもしれない。


「やはり王妃殿下から聞いていた通り……いえ。今の言葉は忘れてください」

「わかりました忘れますね」


 そう答えただけなのに、怯えられてしまってリーナは内心困惑した。


 ちなみに、この時の女性従業員は(この早口は「忘れませんよなぜ知っているのですか?」と後で言われるのでは)と思っていたのだが、特に情報を悪用するなどといったことなど思いつかなかったリーナには、なぜ怯えられているのかわからなかったのである。


 さらにいえば、ジュリアのメイクのおかげでリーナが少し口角を上げただけでかなりにこやかに見えてしまったのも遠因(えんいん)だったりはする。それはさておき。


 若干震えたままの女性従業員の方に案内されてフィリウスの方へと戻ると、そこはウェスティンが紫系の──けれど色や質感が異なる布を机の上に並べている最中だった。


 紫系なのはリーナの希望だ。

 一階でドレスを見て回っている時に、フィリウスの瞳の色を着ていれば安心できる気がするから、と本心を伝えたところ「無意識か? 無意識なのか?」と頭を抱えながら言う彼にリーナは首を傾げてしまった。


 傾げたら傾げたで今度は「私を殺すつもりか?」と言われてしまったので、そこはきっぱり否定しておいた。


 それはさておき。リーナがフィリウスの隣に座ると、ウェスティンもまた正面の椅子に腰を下ろす。


「ご結婚おめでとうございます。殿下」

「ありがとう」

「本日は今度のシーズン初めの夜会用のドレスというご用件でよろしいですね?」

「伝えた通りだ」

「デビュタント用だけではなく、今回のドレスも王妃殿下に全てお任せなさるのかと思っておりましたが、アテが外れたようで嬉しい限りです」

「私が彼女を選んだわけではない。陛下と母上が勝手に動いた結果だ」


 陛下(ベネディクト)母上(パトリシア)が動いた結果。フィリウスが淡々と告げる言葉は本当のことなのに、少し残念に思ってしまう。


 それにしても、ウェスティンはニマニマと人好きのする表情でフィリウスをからかっている。ずいぶんと仲がいいみたいだ。

 身分も年齢も違う二人の関係が気にならないわけではないけれど、今は聞いて水を差す時ではない。


「かしこまりました。妃殿下もこのような方に捕まって災難でしたね」

「あはははは……。わたしはとても素敵な方だと思います」

「それなら安心できそうですね。では、本題に入ることにいたしましょうか──」




 ♢♢♢




 結論から言うと、はじめてリーナが希望を込めたドレスは、年末の少し前ぐらいに王城に届く予定になった。


 リーナははじめこそお金がかからないように「できるだけお金がかからないドレスで!」といった方向性の要望を口にしていたものの、ウェスティンからも「王族ならもっと豪華なドレスが必要」だと聞かされ、さらにフィリウスの希望まで入っていった結果。


 ──たぶん、アグリア辺境伯邸にあるどのドレスよりも高価なものになってしまった。きっと、目玉が飛び出してしまうぐらいの値段なのだろう。

 「特急料金」という言葉まで聞こえてきたし、恐ろしいことになっている気がする。


 リーナはそこまで目利きのする方ではないが、今回ばかりはそう断言できた。アグリア邸ならマリアに見られた時点で間違いなく取られてしまうはずだ。

 王族というのはリーナが思っていたよりもずっとお金持ちだったらしい。


 そんなことに気を取られていたからか、席を立って馬車までのエスコートも今度は自然に受け入れることができた。


 ──というよりも。先ほどからフィリウスの新鮮な姿ばかり目にしてしまっていたせいなのか、リーナの頭の中は他のことを考える余裕がなかったのであった。


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