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23.妃教育は結局延期になりました

 ヴィカリー公爵夫人。

 カールの言葉は、しっかりとリーナの耳に届いた。


 彼が言ったことが事実なら、リーナの妃教育の先生は厳しい視線を向けたあのヴィカリー公爵と結婚したということにほかならないわけで。


 全く心配ではないといったら嘘になる。

 けれど、幸か不幸か今日は妃教育が休みになった。考えたってどうしようもない。


 そう思ったが早いか、リーナはバッとフィリウスの方を振り向いた。


「殿下、つまり今日の妃教育はお休みということでしょうか?」

「ああ。そういうことになるが──」

「でしたらぜひ、今日もう一日だけでもフィリウス殿下のお手伝いをさせてはいただけませんか?」


 リーナはまっすぐと紫水晶の瞳を見つめる。

 こういうのは勢いが大事なのだ。


 リーナ自身はもちろん、叔父のイグノールや使用人の皆がマリアに迫られた時。

 誰もがその勢いのあまり頷くことしかできず、彼女の我儘(わがまま)を聞くことになるというのがアグリア辺境伯邸の日常だったのだから。


 今、リーナはそんなマリアと同じことをしている自覚がある。


 まさか自分がマリアの真似をすることになるなんて思いもしなかった。けれど、人生何が役立つかわからない。

 ちなみに、リーナ自身の体験以外は大体アルトから聞いたものだったりする。


 リーナにまじまじと見つめられたフィリウスが、やがて執務室内に流れていた沈黙を破った。


「わかった。だが、決して無理はするな。君は昨日も一昨日も夕方に眠ってしまっただろう?」

「今は朝ですし、夕方になってからは気をつけますので」

「ああ。気をつけてくれ。ここに来てから……いや、何でもない」

「?」


 フィリウスが何を言おうとしたのかはわからないけれど、大切なことならきちんと教えてくれるはずなので、たぶん聞く必要はないのだろう。


「今日は妃教育があると思っていたからあの椅子と机にしたのだが、昨日のカウチソファにするか?」

「そうですね……。あのソファも天に上るような座り心地だったのですが、明日からこの椅子を使うのでしたら練習というのも兼ねて使ってみるのもいいと思うのです」

「たしかに君の言う通りだ。カール、書類の準備を」

「はっ」


 ダークブラウンの木組みに、座面と背もたれには金色の唐草模様(アラベスク)

 濃紺色で柔らかみのあるクッション生地の一人掛けのソファに腰を下ろす。


 座ってみると、布の張った面積は小さいのにこの王城に来てから座ったソファにも引けを取らない弾力をしていた。


 これが王城。リーナが小屋で使っていたものとは大違いだ。

 ドレスの裾を流すためなのか、左右にひじ掛けのようなものも一切ない。


「フィリウス殿下、本当にこのような椅子に座って妃教育を受けていてもよろしいのでしょうか?」

「私を見てみろ。私がこの椅子に座って執務をしていても問題がないのだから、リーナ嬢の座っている椅子など可愛いものだ」

「そう、ですね。大変失礼いたしました」


 それから、カールから前日の書類の残りの一部を受け取ったリーナは、計算ミスがないか確認していく。

 作業内容をわかっているだけはあり、今日は前日よりも進みが速いような気がする。


 きりが良さそうなところまで終わったのでリーナが立ち上がろうとすると、すかさずフィリウスがやって来る。

 そうしてリーナがまとめた書類を手づから受け取った。


「わざわざ立っていただかなくても持っていきましたのに」

「これは私の仕事だ。できるだけ君の手を(わずら)せたくない」

「フィリウス殿下、僭越(せんえつ)ながらそれは私の仕事です。昨日同様に私が運びますゆえ、何かありましたらどうぞお申し付けを」


 リーナとフィリウスがカールの方を向いたのは、ほぼ同時ぐらいだったかもしれない。

 最初は断ろうとしていた二人。けれど重ねて「側近の仕事を全部は取っていかないでほしい」と言われては、頷くしかなかった。


 フィリウスは王子だからカールに命令することもできるのかもしれないけれど、リーナがフィリウスの立場だったら彼の厚意はきちんと受け取るだろう。

 カールの嘆願(たんがん)を受け入れている彼もきっとそう考えているのだと思うと、ちょっと胸のあたりが温かくなった。




 ♢♢♢




「まさかここまで早くすべて片付くとは思わなかった。当初は一週間ぐらいかかると思っていたのだが……。やはり君は優秀だな」

「そんなこと……いえ、ありがとうございます。お褒めにあずかり光栄です」


 もうすぐ日も沈むであろうという夕方。

 椅子から立ち上がったリーナは、フィリウスに向かって淑女の礼を披露した。


 否定するのは、もうやめよう。

 褒め言葉や感謝の気持ち。それらを何でも否定してしまうのはリーナの悪い癖だ。


 フィリウスは本当にそう思っているからこうしてリーナに言ってくれているわけで。

 否定するというのはリーナ自身を否定するだけでなく、彼の思いまで否定するということに他ならないのだから。


「殿下。今日はわたし、眠らずにきちんと最後まで起きていられましたよ」

「……ああ。よくやった」


 そう言ってフィリウスが近づいてきたかと思えば。

 大きな(てのひら)がリーナの頭に下りてくる。それがちょっとこそばゆい。


「妃教育は辛いと思うが……」

「いいえ……あのっ、その。この部屋でということは、フィリウス殿下が見ていらっしゃる横で妃教育を受けるということですよね?」

「そうなるな。非常にやりづらいだろう」

「いいえ、逆にやる気が湧いてきます」


 冗談のように聞こえるように。フィリウスが気に留めないように。

 リーナは笑顔でそう答えたけれど、実際本当の話なのだ。


 今のリーナの立場はフィリウスの妃とはいえ、感情で結ばれているわけではない。あくまでも書面上の事務的な関係でしかない。

 その関係も、リーナが他の令嬢より「マシ」だからというだけで、いつこの関係が解消されるとも限らないわけで。


(フィリウス殿下はここでわたしのことを見極めようとしているのかもしれないわ……。執務室で妃教育を受けるのは、わたしが殿下のお邪魔になるとかとは関係なく、本当に殿下が心の底から望んでいるのかも)


 そう思うと腑に落ちる。


 自分のことでいっぱいいっぱいのリーナは、フィリウスの気持ちが全然違うところにあることに、ちっとも気がついていないのであった。


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