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21.反故の理由

 リーナがフィリウスの手伝いを申し出て、そしてカウチソファでぐっすり眠ってしまった翌朝。


 今日もジュリアに着替えさせてもらい、化粧で印象が明るくなった自身の表情を見つめると自然と口の端が上がる。


「リーナ様、楽しそうですね」

「そう見える? 実は、フィリウス殿下のお仕事のお手伝いをさせてもらえることになって──」


 フィリウスの役に立てることが嬉しい。

 リーナは思わず昨日の出来事をジュリアにたくさん話した。ただ、部屋に帰ってくるまで二人で廊下を歩いた話は口にする気になれなかった。


 そんな間にも、朝食の時間が来たらしい。


「リーナ様、朝食が届いたようですので、一旦隣室を見てまいりますね」

「ええ。お願い」


 到着三日目の朝も、前日の朝食同様に自室で取ることになった。

 今のところリーナは二日目──昨日の昼食がフィリウスの執務室だった以外、食事は全部この部屋で取っている。


 料理の準備が終わったと告げられ隣室で朝食の席につくと、ジュリアから今日の予定を詳しく聞きながら朝食を取る時間だ。


「本日も殿下の執務室へ、とのことです」

「わかったわ」


 呑気(のんき)にイモのスライスを口にしていたリーナは今日、フィリウスとはじめて喧嘩をすることになるなんて思いもしなかった。




 ♢♢♢




「リーナ嬢。君には今日から妃教育を受けてもらいたい」

「どうして……!」


 はじめてのフィリウスからのお願い。彼の役に立ちたい。彼の喜ぶ顔が見たい。そう思っていた。


 なのに。


 来るようにと言われたフィリウスの執務室に到着して早々に告げられたのは、リーナにとって耐えがたい言葉だった。


 「近日中」とは言っていたけれどまさか翌日からなんて。やはりフィリウスにはリーナの助けなどいらないということなのだろうか。

 リーナは目の前が突然真っ暗になってしまったかのような感覚に(おちい)った。


「どうして、お手伝いをさせていただけないのでしょうか……!?」


 感情に任せてフィリウスに問いかけてしまったけれど、リーナは薄々わかっていた。

 じっさい、リーナは前日に自分の我儘でフィリウスに迷惑をかけたのだ。


 一緒にいたいからと執務室にお邪魔して。

 あげく熱を出して。心配させたくない──そう思っていたのにフィリウスに気を遣わせてしまったわけで。


 そんなことをしたのだ。願いが叶うわけがなかった。

 迷惑をかける人間の手伝いなんて、それこそない方が「マシ」。


 そもそも、リーナは妃教育を受けることになっているという説明はフィリウスからあった。始まるのが予想より早かっただけ。


 でも。それでも。自分勝手なリーナはフィリウスの迷惑にしかならないような願いを口にしてしまう。


「殿下……っ!」

「……リーナ嬢?」

「わたしは、そんなにも役立たずでしたか?」


 フィリウスが困ることが分かり切った上での質問。本当に醜い。


「そんなことはない。リーナ嬢はとても優秀だ。これからも私の仕事を助けてほしいぐらいだ」

「だったら、どうして……!」


 一粒、また一粒と涙がこぼれていった。

 とても優秀。これからも助けてほしい。そんなやさしいことをリーナに言うフィリウスが、まだ片付いていない仕事の手伝いではなく、妃教育を受けるようにと言う。


 リーナがフィリウスの邪魔をしてしまったこと以外に、どんな理由があるのだろう?


 このまま彼に迷惑をかけ続けてしまっては、離縁を言い渡されて家へと追い返されかねない。

 だって、この婚姻関係は一方が望めば簡単に解消されてしまうものなのだから。


 あの小屋での生活が辺境伯令嬢としてありえない待遇だと、家を出てからのこの二週間で知った。

 けれど、婚姻を解消されてしまえば、リーナに帰る場所なんてあの小屋ぐらいしかない。


 もう二度とあんな生活に戻るのは嫌だ。

 だからこれ以上迷惑をかける前に、彼の言うことに頷かなければだめ。


 自身が口にした言葉が、自分勝手な思いに基づいているのはわかっている。わかってはいる──けれど。

 何度自身にそう言い聞かせてもなお、リーナは諦めきれなかった。


「私もリーナ嬢にはできれば手伝ってほしいと思っている」

「でしたら妃教育などではなく、わたしにお仕事を──」

「リーナ嬢、頼む。聞いてくれ」


 フィリウスの切実な声に、リーナも言葉を呑んで顔を上げる。

 目の前のフィリウスは、とても悲しそうな顔をしていた。けれど、リーナが顔を上げた途端、ほんの少しだけではあるものの嬉しそうにする。


 リーナには、どうしてフィリウスがそんな表情を浮かべたのかが理解できなかった。


「どれだけ私を恨んでくれても構わない。できるだけ君の願いを叶えたいとも思っている」

「だったら、どうして」

「私だって本当に君に手伝ってもらいたいぐらいだ……! だが、同時にそれではいけないと思っている」

「どうして──」


 どうして。どうして。リーナの口はただひたすら、それ以外の言葉を忘れてしまったかのように、幼子のようにただ同じ言葉を繰り返すだけになってしまう。


 けれど、そう口にしかけてフィリウスの考えていることがなんとなくわかってしまった。

 今まで自分のことばかりを考えて、フィリウスの事情に思い至らなかった自分が恥ずかしい。いや、自分のことが見えていなかったのかも。


 そう思った。


「君にはこれからも私の妻でいてもらいたい。だが、妃教育を終えていない今のままでは、君が馬鹿にされかねない。だがそうなれば──」

「そうなれば……?」

「私は、その者を許せないかもしれない」

「っ、あの」


 けれど、返ってきたのはリーナが予想していたのとは、全く異なるもので。

 思いもしなかった返答に、固まってしまう。


 フィリウスは王族だ。当然、その妻となるリーナも恥ずかしくないような振る舞いを身につけないといけないはずだ。

 ──だから手伝いよりも「妃教育を受けるように」と言ってきたのだと思っていた。


 けれど実際(ふた)を開けてみれば、リーナのことを恥ずかしいとは言わずに、誰かがリーナを馬鹿にしたら、その相手をどうこうするといったような口ぶりだ。


 でもフィリウスがそんな理不尽な理由で怒ったとすれば、相手によっては逆恨みされかねないわけで。

 逆恨みされて彼がもっとひどい目に遭ったら。そんなことを考えると、おのずと彼をそんな感情に駆り立てはいけないという考えに至る。


 となれば、リーナは妃教育を受けるしかない。

 なのに、その意思を伝えるようとするよりも早く、身勝手なリーナは嫌味を口にしてしまっていた。


「フィリウス殿下は、わたしが邪魔だから妃教育を受けるように、とおっしゃっていたのかと」

「──!? そのようなことなどあるはずがない! 私の妻はリーナ嬢、君一人だ。私だって邪魔だと思うような相手と結婚などしない」


 フィリウスはただ事実を述べているだけなのに。

 それだけで、リーナは身も心もたちまち温かくなっていく。


「っ。フィリウス殿下……」

「もしやまた体調不良か!? やはり、今日も休むべきではな──」

「いいえ! この通りわたしは元気ですので殿下のご心配には及びませんっ」

「……そうか。なら、いいのだが」


 そこで言葉を切ったフィリウスは「あー」とか「むー」といった、らしくない声を上げる。


「殿下? 殿下こそお加減は」

「問題ない、が。リーナ嬢」

「はい」


 あらためたように告げるフィリウスに、リーナもつられて背筋が伸びてしまう。

 何を言われるのか内心ドキドキしているリーナは、アルトに教えてもらった通りにその感情が外に出ないように気をつけるので精一杯だ。


 次にフィリウスが紡いだ言葉は、リーナにとって嬉しいものだった。


「リーナ嬢に手伝いではなく、妃教育を受けるようにと言った上で、さらにお願いを重ねるのもあれなのだが……。ダンスや作法以外の教育を、できるだけこの部屋で受けてはもらえないだろうか?」

「えっ。──よろしいのでしょうか?」


 一瞬戸惑ってしまったリーナは、けれど次の瞬間には破顔した。

 まさかここまで自分の望んだことが形になるなんて。


 願ってもいないことだった。それと同時に、今まで自分の本音と向き合えていなかったことにも気づいてしまう。恥ずかしい。


 リーナが嫌だったのはフィリウスと一緒にいられる時間がなくなってしまうことだったのだ。どうして昨日はわからなかったのだろう?


 もし妃教育が始まってしまったら、きっとこの部屋にいられる時間も長くはない。

 昨日は朝も夜も一緒にご飯を食べられなかった。この部屋に来なければ、彼と一日中会えなかったかもしれない。


 そこまで考えて、あれ? とリーナの心の中にふと疑問が浮かんでくる。

 どうして自分はそこまでしてフィリウスと一緒にいたいのだろう。昨日はただ「離れがたい」と思っただけだったけれど、一緒にいない時でも会いたいというのは──。


 けれどそう思ったのは一瞬のことで。アルトが側にいない今フィリウスが一番信頼できるからではないかと結論づけたリーナは、その考えを頭の隅へと追いやった。


「あっ──そういえば」

「どうした?」

「アルトは今、どうしているのでしょうか?」


 リーナがそう尋ねると、フィリウスは()ねた子供のように、むすっとした表情を浮かべた。


(えっ、もしかして「マシ」ではない質問をしてしまったのかしら──?)


 いい感じのサブタイが思いつきませんでした…

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