2.泣きじゃくる義妹
領主館の方から走って来る、小屋の前にいる三人の視線を集めているプラチナブロンドの少女は、リーナの従妹で今は義妹のマリアだ。
淡いピンク色のふわふわしたドレスが汚れることもいとわず、まっすぐリーナたちのもとへとやって来る。
ようやく三人のもとへと到着した彼女は、すっかり息が上がっていた。
リーナとは違い、艶のある肌に白魚のような手。背中まであるプラチナブロンドも複雑に編み込まれ、よく整えられている。
この世界の愛を一身に受けた少女は妖精のように無邪気で、それでいてまだ幼さも残るというのにバラのような華やかさ。
地味な色をしていると言われているリーナとは大違いだ。
「やっと、追いつきました、わっ! フィリウスっ……さまっ!」
「失せろ」
ハアハアと息を切らしているマリアに投げかけられた言葉は、おそらく彼女に向けられたことがない言葉だった。
「そんなぁ! ひどいです~!」
そう言って泣き崩れるマリア。
幼い彼女は涙を流せば何でも許される。それがアグリア辺境伯家の暗黙のルールだった。
リーナもこの涙のせいで、思い出の自室を追われたのだ。
「おねえさまのおへやもほしいです」というマリアの言葉に笑顔で頷いたのはセディカだった。
彼女は当初こそその日の気分で二つの部屋から好きな方で寝ていた、らしい。
けれど、アルトによればそれは最初の数週間だけで、それでも部屋を返してもらえなかったリーナは小屋に住み続けているのだ。
「ひどい? 泣けばどうにかなるとでも思っているのか?」
「うぅ……。わぁぁぁ~!」
とうとう号泣してしまったマリア。
こうなったら彼女はとことん泣き止まない。
「マリア。お客さまにご迷惑をかけてはだめよ」
「ぐすっ……。おねえさまのいじわる~!」
「いじわるではないわ。あなたはお客さまを困らせたいの?」
「わたしと結婚してくださいって言っただけなの! フィリウスさまがわたしと結婚してくれたらみんな幸せになれるの!」
「私はお前を妻として娶るなどまっぴらごめんだ」
「~~~っ!」
さらに泣き出すマリア。
ここまで泣くと本当にどうしようもない。この展開だと叔母のセディカに──お義母さまに叱られることになるのだろうけれど、リーナももう慣れてしまった。
マリアが泣いたらすべてリーナのせい。リーナが悪い。たとえその場にリーナがいなくても。リーナが関係なくても。
これも、アグリア辺境伯家の暗黙のルールだった。
「マリア。一度お義母さまのもとに行きましょう? せっかくのドレスが台無しよ」
「~~~っ!」
今度はリーナに泣きつくマリア。
今朝は着替えていないから、昨日の土埃がまだついているかも──と言おうとして、やめた。今の彼女に聞かせたら、ドレスが汚れたとかで余計に泣いて本当に手がつけられなくなってしまうだろうから。
「フィリ、いえ殿下。先ほどは義妹が大変失礼を──」
「なぜ君が謝る?」
「身内がしたことですし」
身内。リーナとマリアは同じ家の血を引いている従姉妹なのだから間違いではない。
けれど、リーナの答えに不満があったのか、フィリウスは深く考えるように顎に手をあてた。
「身内、か。アグリア辺境伯は片方の娘に全ての愛を注ぎ、もう片方には目もくれない非道の領主、というところか」
「あのっ、そういうわけでは」
「では君がそこから出てきたのは、どういうことだ? 説明してもらおうか」
いけない。このままでは大好きな──両親の愛したアグリア辺境伯家がお取り潰しされてしまうかもしれない。
ここで「辺境伯家の令嬢が王族に嘘をついた」という理由でお取り潰しになるのも、「領主が義娘を虐待していたから」みたいな理由でお取り潰しになるのも絶対ダメだ。
アルト以外についていえば、この邸にいる人でリーナが親愛の情を持っている相手は誰もいない。
けれどリーナは、自分を虐げているはずの家族を擁護するような発言を自然と重ねていた。
「ここは作業小屋ですわ。中は畑の作業途中で仮眠を取れるようにベッドなども置いてあるのですが……。殿下にはお見苦しいかと」
「では見せてもらおうか。リーナ嬢、君は先ほど一日じゅうその中で閉じこもるといった旨の発言をしていたと思うが、辺境伯の娘として相応しい生活なのかを確認させてもらう」
「あの、普段からここで生活をしているわけでは──」
「では、君の部屋に案内してもらおうか」
繊細な眼鏡をクイッと指先で持ちあげるフィリウス。
押し問答。このまま彼の怒りを買ってしまっては元も子もない。
王族に怒られて、両親が愛した辺境伯領が解体されたら。マリアに何かを取られるよりも、セディカに怒られるよりも、それが一番怖い。
けれど、リーナが悲観的になったのは一瞬のことだった。
フィリウスは、リーナを迎えに来たと言っていた。そして、マリアはフィリウスの婚約者になりたがっている。
──これは、自分が嫌われてマリアと婚約してもらった方が身のためなのでは?
正直、何の情もないオウジサマのもとに嫁ぐなんて、リーナにとっては不自由な籠の鳥として一生を終えろと言われているようなものだ。
……綺麗でカッコいいのは認めるけれど。きっと誰に対しても紳士で優しい人なのだということはわかるけれど。それでも、である。
それに、リーナでなくともマリアが王族に嫁いだとなれば、両親が愛した辺境伯領が蔑ろにされるということは、ひとまずなくなるはずだ。
けれど、どうやってこの状況を打開すればいいのか。リーナには考えが思い浮かばない。
そんな彼女を見かねてか、再びアルトが助け舟を出してくれる。
「リーナお嬢様。マリアお嬢様のことを奥様にお任せするためにも、一旦お部屋に戻りましょう」
「ええ……そうね。マリア、お義母さまのところへ行きましょう? ──お義母さまなら、わたしたちよりもずっといい方法をご存知かもしれないわ」
「ぐす……っ」
肩をさすってあげると、マリアも徐々に落ち着いてきたらしい。
義姉が義妹の面倒を見るのは当然。義姉が義妹に譲るのは当然。義姉が義妹に頑張っているところを見せるのは当然。
そう言われて育ってきたリーナには、それ以外の「せいかい」がわからない。
けれど、今すべきことはわかる。あらためてフィリウスの方へと向き直ったリーナは、深々と謝罪の気持ちを込めて礼をした。
「殿下。この度は義妹がご迷惑をおかけして、大変失礼いたしました」
「……もういい。謝罪は聞き飽きた。ひとまずお前の部屋に案内してもらうぞ」
「もちろんでございます」
リーナは、つい先ほどはじめて会ったばかりのフィリウスから「君」ではなく、呆れたように「お前」と呼ばれただけなのに傷ついた自分に、内心驚いてしまった。
いつも顔を合わせている使用人に相手にされないから慣れているはずなのに。はじめて会う相手に、このような感情が浮かんでくるとは思いもしなかった。
やっぱり、彼がリーナを人として扱ってくれたからだろうか?
けれど、どちらにしてもこれはただの夢。目を覚ませばすべてが幻。地味な自分に求婚する物好きなんているはずがない。ましてやフィリウスは王族なのだ。
できればそうであってほしい。むしろそうでなくては、リーナは理不尽な理由でお義母さまに怒られてしまうのだから。
そんなふうに現実逃避しようとしたけれど、目の前の光景はまさに現実で。晩秋のアグリア領を吹き下ろす冷たい風がリーナの痛覚を刺していった。
心までちくりと痛んだのはいつ以来だろうか?
自身の中に起こった小さな異変。そこから目を背けたリーナは、誰にもその気持ちを悟られないようにとひとり心に蓋をした。