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19.はじめての執務室

 第一章もそろそろ折り返しです。

 引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。

「母上。……それにリーナ嬢も」

「それでは、あとはお若い二人でどうぞ。わたくしにもやることがありますから」

「あっ」


 パトリシアはフィリウスの顔を見て早々、どこかへと立ち去っていってしまった。

 残されたリーナはどうすればいいかわからない。フィリウスを見ても、難しそうな顔をしているだけで、何の解決にもなりそうにない。


「部屋に戻るか? ……この部屋にいてもいいが」


 どちらの方が「マシ」な選択肢なのだろう。

 一瞬そんな考えが頭をよぎったけれど、わからないなら答えはひとつしかない。


「それではお言葉に甘えてこちらで」

「──っ、入るといい」

「お邪魔します」


 穏やかな表情を浮かべたフィリウスに差し出された手。

 それをリーナは軽く握り返した。


 部屋で過ごすにしても、何もないわけで。それにフィリウスと一緒にいた方が自分ひとりでいるよりも、楽しく過ごせる気がしたのだ。

 結局どちらが正解だったのかはわからないままだけれど、彼の表情を見るに間違ってはいないと思いたい。


 フィリウスに手を引かれて部屋の中に足を踏み入れると、まずは年季の入った書物がつまった本棚がリーナの目に入る。古い本の香りがぶわっと鼻の中に広がった。

 その匂いに、つい小屋暮らしになるよりも昔のことを思い出してしまう。


 セディカやマリアの機嫌をものすごく損ねると、よく書庫室に閉じ込められていたあの頃。

 けれど、それは誰にも怒られないで勉強できる時間だったので、リーナにとっては逆にご褒美だった。


 室内に広がる芳香(ほうこう)をしっかりと堪能(たんのう)すると、自然と部屋の他の場所にも目が移る。


 床一面を覆う、重厚感のある青色の絨毯(じゅうたん)

 今朝うっかり訪ねてしまったフィリウスの寝室のものと似ているのに気づいて、急速に恥ずかしくなってしまう。

 その時にフィリウスと目が合ってしまって、リーナはあわてて笑顔でごまかした。彼は濃い青色が好きなのかもしれない。


 あちこちを見回していたリーナの視界にようやく入った、その名前からして執務室の主にふさわしい執務机は、部屋の入口から真っ直ぐ進んだ窓際に鎮座(ちんざ)していた。


 存在感のある机の端には、きっちりと重ねられた紙の束。

 おそらく、フィリウスはそれを処理している最中だったのだろう。


「殿下、仕事中にいちゃつくのは止めていただいても?」

「ただ妻をエスコートしているだけだ」

「今は仕事中──」

「夫婦の関係は仕事中だからといって切れるものではない。カール、其方なら分かるであろう?」


 言葉を交わすフィリウスの様子に、ようやくリーナはこの部屋に自分たち以外の第三者がいたことに気づく。


 室内を見回せば、そこには紺色の髪と瞳をした、リーナとフィリウスの中間ぐらいの身長をした男性がひとり。

 紺色の髪に紺色の瞳。カールと呼ばれたその男性は、真面目を形にしたような人だった。


「エスコート? よくそんな表情で平然と嘘をつけますね」

「其方の勝手な想像で判断しないでもらおうか」


 ふとカールの言葉にフィリウスの表情が気になったリーナはフィリウスを見上げてしまう。けれど、そこにあったのはいつも通りのフィリウスの顔だ。


「寝言は寝てからおっしゃってください。殿下はほぼ一ヶ月の間城を離れていらっしゃったのですから、休憩時間などありませんよ」

「カール其方。さては陛下と手を組んで私を陥れようと」

「殿下こそ変な妄言(もうげん)を私に語っている暇があるのなら、さっさと口よりも手を動かしてください」


 二人の会話にあっけにとられていたリーナ。

 その様子に気がついて申し訳なさそうな顔をしたフィリウスは、すぐにリーナを壁際のカウチソファに案内してくれた。


「リーナ嬢はどうしてここへ?」

「王妃殿下に誘われて、でしょうか。なぜなのかはわたしにもわからなくて」

「……参ったな。やはり母上にもかなわないか」


 何かを呟きながら、突然苦悶(くもん)するように頭を抱えるフィリウス。

 もっと説明が欲しかったのだろうか。けれどリーナにもそれ以外にどう説明すればいいのかわからない。


 フィリウスから座るようにと言われたので、ひとまずそのままカウチソファに座る。

 とても柔らかくて、ともすれば昨日のようにこのまま眠ってしまいそうだ。


 そのとき。突然室内にぶわっと風が吹きこんだ。リーナも咄嗟(とっさ)にドレスの裾を抑える。

 執務机の上に置いてあった紙が室内をひらひらと宙を舞った。先ほどまで机の上に並んでいた紙の山は見る影もない。


 風が収まると、リーナはおもむろに足下の紙を何枚か拾い上げた。

 バラバラのまま返すのは失礼だと思ったリーナは一枚一枚、向きを整えていく。


 その間にも、活字中毒のリーナは久しぶりに目の前に現れた文書に、覗き見はいけないことだと脳が判断する前に目を通してしまった。


 それと同時に、気づいてしまう。


「あっ」

「リーナ嬢、拾ってくれてありがとう」

「殿下。ここ、計算が間違っています」


 そう言って資料の一部を指で囲む。

 リーナが指で指し示したあたりを見つめたフィリウスは、やがて目を大きく見開いた。


「リーナ嬢はやはり──いや、何でもない」

「殿下。妃殿下に手伝っていただいては?」

「は? 何を言っているカール」


 室内の空気が一気に張り詰める。この二人はいつもこうなのだろうか?


 リーナ個人としては、フィリウスには小屋暮らしから救ってもらったし、手伝うことぐらいまんざらでもない。


「リーナ嬢に負担はかけられない」

「そのようなことをおっしゃるとは……やはりのろけていらっしゃるのでは?」

「断じて違う。彼女はこれまで散々苦労してきたのだから、少しぐらい休ませるべきだ。今後は妃きょ──」

「苦労、とは? ……失礼。ご挨拶が遅れてしまいました、妃殿下。カールと申します。以後お見知りおきを」

「リーナ・アグ……レーゲ、ンス? です。よろしくお願いいたしますね、カール」


 結婚したとはいえリーナとフィリウスの関係は「白い結婚」。

 それに婚姻契約書を出したとはいえ、家では小屋暮らしをしていた自分が、この国の王家の家名を名乗っていいのか不安があった。


 そんなリーナの様子を見たからか、カールが溜め息をつく。

 その溜め息のつき方がフィリウスそっくりで、笑いをこらえられなくなってしまう。


「リーナ嬢?」

「失礼いたしました。お二人は何だかんだで似た者同士なのだな、と思いまして」

「私とカールが……そうか。君にはそう見えるのだな」


 先ほどまでカールと言い争っていたフィリウスにとって、この言葉選びは間違っていたのかもしれない。「マシ」ではない答えを返してしまったみたいだった。

 そう思ったけれど、その考えは続くカールからの言葉で中断される。


「で、ん、か? 今はお仕事の最中ですよ? そうしていらっしゃるからどんどん時間が減っていくのです。妃殿下に手伝っていただいた方がよろしいのでは」

「重ねて言うが、リーナ嬢に負担をかけるわけには──」

「……! やります。させてください」


 その言葉に、再びフィリウスがリーナの方へと向き直る。

 驚いたように見開かれた紫水晶。けれど、リーナが真っ直ぐ見つめ続けて降参したのか、ため息をついた彼は穏やかな表情を浮かべた。


「わかった。それが君の望みなら」

「ありがとうございます……!」


 フィリウスは部屋の端の方に折りたたまれていたサイドテーブルをリーナの座っていたカウチソファのところまで持って来て、広げた。

 高さもちょうどよさそうだ。文句を言うのも(はばか)られるぐらいに心地よいけれど、これはちょっと……。


「その、フィリウス殿下の妃として、この場所で殿下のお手伝いをするというのは……」

「私もあの椅子に座る気力が起きない時は、こうしてこのソファで作業をすることがある。だから問題ないと思うのだが」

「わかりましたごめんなさいありません」

「では、ひとまずこちらの資料に計算ミスがないか一通り確認してほしい」


 そう言って机の上に置かれたのは、百枚近くはあるであろう紙の山。先ほどの風に(あお)られてなお無事だった部分だ。


 けれど、これでも先ほどフィリウスの机に平積みされていたもっと高い書類の山がいくつもあったことを考えると、その一割もないぐらいだろう。

 少しだけとはいえ、恩返しをする絶好の機会を逃すわけにはいかない。


「わかりました。不肖(ふしょう)リーナ、殿下の期待に応えられるよう、頑張ります!」


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