14.物置部屋ではありませんでした
(ここは、どこ……? わたしはフィリウス殿下と一緒にアグリア邸の小屋を出て、宿に泊まりながら王都を目指して、王城で──!)
見知らぬ天蓋つきのベッドに寝ていたリーナはそこまで思い出して、ガバっと上体を起こす。
リーナは気を失っていたらしい。どれくらいの時間が経ったのだろう?
今リーナが身に纏っているのはフィリウスやジュリアと別れた直後、ソファに座った時に着ていたはずのドレスではなく、ゆったりとした寝間着。
どちらかといえば、ドレスというよりもリーナが小屋に置いてきたワンピースの裾を長くしたようなものといった方が近い。
ジュリアが着替えさせてくれたのかもしれない。眠っているリーナを起こさないように気をつかってくれたのだろうか。だとしたら申し訳ない。
自分の置かれた状況を確認するためにベッドの周囲に下ろされた布を横に開けると、部屋の中はカーテンが閉まっているせいか、うっすら見えるぐらいの暗さだった。
カーテンの下には外光がわずかに差し込んでいるようで、色合いから少なくとも夕方や夜ではないということだけはわかる。
少なくとも一晩の間は眠っていたのだろう。
それを思い出すと同時に、夕食を一緒に食べるというフィリウスとの約束を果たせなかった罪悪感がリーナを襲う。
謝罪するのは一刻も早い方がいい。けれど、今すぐ謝罪のためだけにフィリウスに会いに行くのは、彼に迷惑をかける気がするわけで。
……気持ちを入れ替えるために自身の両頬をパチンと叩いたリーナは、ひとまずベッドの周りを確認してみた。
ベッドの横を見ればスリッパが用意されていたので、履いてまずは窓の方へと向かう。
カーテンを開けてみると、窓の外に広がっていたのはリーナの知らない景色だった。
まだ昇り始めたばかりの朝日が、手入れのよく行き届いた庭一面を照らしている。
もう晩秋だというのに、見る人を和ませるような萌黄色の庭。この時期のアグリア辺境伯領ならありえない光景だ。
続いてそのまま振り返ってみれば、日の光が差し込んだ室内には、リーナがアグリア邸でも見たことがないような豪華な調度品ばかりが置かれていた。
先ほどまでリーナが眠っていた天蓋つきのベッドしかり、ランプしかり、物置棚しかり、床一面を覆う赤い絨毯しかり……その他もろもろしかり。
そんな部屋には、左右それぞれに大扉が備え付けられていた。
窓辺から見て右側は普通の扉だ。一方左側の扉は、リーナが今いる部屋の側から鍵が開けられる仕組みになっているらしい。
扉の横の壁際の衣装掛けにぶら下がっている、大きめの鍵を使って開けるのだろう。
「鍵の管理がずさんな気がするけれど物置部屋、かしら?」
本当は、ジュリアに聞いた方がいいのかもしれない。
けれど同時に、こんなことのためにジュリアを呼ぶのは憚られるわけで。けれど、リーナの心は「扉の向こう側が知りたい」という気持ちに傾いた。
「少しぐらい、いいわよね。もし危なそうなら、もう一度鍵を閉めればいいだけなのだし」
扉の側まで寄ったリーナは、鍵がどのようにかかっているのかを確認する。
普通の鍵だったので、これならリーナにも開け閉めできそうだ。
扉の横の衣装掛けから鍵を取り外し、ゆっくりと音を立てないように差し込む。
一番奥まで入れたのを確認すると、リーナはとりあえず鍵を時計回りに回してみた。
カチャリ、という音がリーナの耳に届く。
差し込んだ鍵をゆっくりと取り出し、もう一度壁際の衣装掛けに戻す。錠前を外して適当な棚の上に置けば、あとは扉を開けるだけだ。
「大丈夫、よね。ええ」
覚悟を決めたリーナは扉に手をかける。
少しずつ、誰にも気づかれないように。そう思いながら少しだけ扉を開けると、扉の向こう側からはどこかで嗅いだことがあるような、爽やかな香りが漂ってきた。
この様子なら扉を開けても音は立たないはず。
そう思ったリーナはゆっくりと、けれど大胆に扉を目一杯まで開けた。
思っていたよりも簡単に開いた扉の向こう側に広がっていたのは、リーナの寝室と対になるような造りの部屋だった。
どうやら、さらに奥の方にはまだ別の部屋があるらしい。
青い絨毯が部屋一面に敷かれているそこは、普段は使われないせい(?)なのかカーテンが開かれていない。
だから細かいところまでは見えないのだけれど、少なくとも物置部屋ではなさそうだ。
足を踏み入れたリーナはひとまず、光を取るためにこの部屋の窓辺のカーテンも開けてみた。
そうして部屋の奥の方を振り向けば、端にあったのはリーナが使っているものと同じベッドで。
そこでリーナはハタと思い出す。
(わたしの部屋の隣にはフィリウス殿下のお部屋があって。ベッドということは──っ!)
まずい。この状況では「白い結婚」がどうという以前に、まだ十八歳にもなっていないリーナがフィリウスと一夜を共にしたと思われかねない。
そのことに気づいたリーナは、慌ててカーテンを閉め直そうとする。けれど。
「私の寝室に堂々と入って来るとは……。お前は何者だ?」
リーナの後ろから聞こえてきたのは、まぎれもなくフィリウスの声だ。聞き間違えるはずがない。
でも、その声はリーナが今までに聞いたことがないほど、怒りの色に染まっている気がした。
「一体お前はどのように──。リーナ嬢?」
「ひゃ、ひゃいっ!」
うっかり舌を噛んでしまったせいで、ものすごく痛い。
振り返ると、ちょうどフィリウスがベッドから起きてきたところだった。
いつもとは違い髪は結ばれることなくそのまま流されていて、眼鏡もかけていない。こんなフィリウスは見たこともない。ともすれば色気すら感じられた。
服もゆったりとした寝間着のローブを着ていて、まるでリーナとお揃いのようで。
そう思うと、よけいに顔が熱を帯びていく。
「おはよう、リーナ、嬢」
「おはよう、ござい、ます殿下」
リーナがスカートを軽くつまんで淑女の礼を披露すると、突然顔をそむけたフィリウスは普段眼鏡のある鼻頭のあたりを指で押し上げる動作をした。
「……リーナ嬢。今の自分の服装を忘れたのか?」
「いいえ。この通りですよね」
リーナが寝間着のスカートを軽く持ち上げると、フィリウスはさらに視線を明後日の方へと向けた。
「ならせめて、持ちあげる力は考えた方がいい。もっとも、一応とはいえ夫婦なのだから問題はないとも言えなくはないが……」
そう言われてアルトに言われたことを思い出す。素足を晒すのは、淑女として恥ずべきことなのだと何度も言われた。
少なくとも目の前のフィリウスにものすごく呆れられているのは間違いないので、貴族社会ではご法度なのだろう。
「部屋の外ではするな。他の男には絶対に見せるな。わかったか?」
「っ、かしこまりました」
再びリーナの方に向き直ったフィリウスはほんの少しだけ怒気の混じった声でリーナに注意する。
ちなみに、口ではわかった風を装いつつも、心の中では普段はかなり長めの靴下を履いているからフィリウスの心配は杞憂なのでは、と反論していたリーナである。
「それから今は朝だ」
「そう、ですね」
「君はまだ十八歳になっていないだろう? それとも、『白い結婚』が我慢ならなかったか?」
「い、いいえ。まだ十七歳ですし、『白い結婚』が嫌だとは一切思っておりません」
フィリウスの質問に首を振って否定する。
節操のない女だと思われたのかもしれない。自業自得だ。
これは隣の部屋がフィリウスの寝室だと説明を受けていたのに、忘れてしまったリーナ自身が悪いのだから。
「……なら戻れ。今すぐ自分の部屋に」
「はい。鍵もかけておきますね」
フィリウスの部屋を後にして、鍵を元通りにかけたリーナ。
それからほどなくして、フィリウスの寝室とは反対側の扉の向こう側の部屋に、誰かが入室してきた音がした。
やがて、その足音はリーナの寝室へと向かってくる。
一瞬、扉の向こう側で止まったかと思ったけれど、それから間をおかずに扉は開かれた。
「リーナ様、おはようござ……。もう起きていらっしゃったのですね」
「お、おはようジュリア」
囁き声で始まったジュリアの挨拶は、リーナがすでに起きていたことに気づいたからか、普段通りの大きさになる。
リーナは先ほどの失敗を悟られないように、満面の笑みを返した。