120.二人の問題
ヴォクスたちが使っている室内の様子は、昨日彼に連れてこられた時とほとんど変わった様子がなく、せいぜい机の上にお茶が置かれている程度だった。
フィリウスと一緒に二人が滞在している部屋にやって来たリーナだったけれど。
「ごめんなさい。今夫と喧嘩していて忙しいので後にしていただけるとありがたいわ」
「こちらこそごめんなさい……。でもどうしても夕ご飯の時のお二人の様子が気になってしまって」
ノマもいつもよりもつんけんとしていて、リーナが王子妃として目指すべきなのであろうと思っていた普段の落ち着いた様子とは大違いだ。
「わたくしたちのことが?」
「はい。あのチョコレート……というか睡眠薬のデザートが出てきてから、ヴォクスさまがどこか焦っているように見えたんです」
そう言いながらヴォクスの方に視線を移せば、そこには悔しそうな表情を浮かべているヴォクスがいた。
ノマも驚いているので、普段の彼がこのような姿を見せることはないのだろう。
「ヴォクス様……?」
「自分の妻が他の男に媚薬紛いの物を贈ろうとしていると知ったら誰だって悔しいだろう!」
ティーカップの中のお茶がゆらゆら揺れる。
静まり返った室内で、最初に聞こえてきたのは誰かがすすり泣く声だった。
その音にはっとしたヴォクスは、涙を流す彼女の姿を視界にとらえると、ふらふらと一歩、また一歩と足を進める。
そうして自身の妻のもとまでたどり着くと、ノマの背中に腕を回してしっかりと包み込んだ。
「どうしてよ! 貴方はこの国にまで来て他の女と! この浮気者!」
「勘違いだ! 貴女という人がいるのに、女性と密室で二人きりになったりできるわけがない! そんなことをした日には父にも母にも貴女の家族にも嫌われてしまうというのに!」
二人とも感情が昂っていて、話を聞いてくれるかもわからない。
リーナとしてはフィリウスと一緒にいられたら、それだけでよかった。
そのはずだったのに──両方の気持ちを聞いてしまったから。どうにか仲直りしてほしい。
そんな気持ちでいっぱいで、いっぱいで。
「ノマさま、ヴォクスさま」
「私は貴女に──」
「今さらそんなことを言われても──」
「聞いてくださいっ!」
リーナが出せるかぎりの声で叫ぶと、それまで言い争っていた二人の言葉の応酬はぴたりとやんだ。
かわりに、二人は一緒にリーナの方を振り向いた。
「まずヴォクスさま。ヴォクスさまは女性と二人きりになっていないと言っていますが、昨日わたしをこのお部屋に連れてきましたよね」
「……はい」
「その時点で、女性と二人きりになっていないと言うのは違うと思うんです」
「それは──」
先ほどまでよりも落ち着かない様子のヴォクスに、ノマは不機嫌な視線を向ける。
けれど、リーナからみても今のヴォクスは、何か言い訳を考えようとしているように見えるのだから、彼女の気持ちがわかってしまう。
(わたしももしフィリウスさまにこんなことをされたら……。だめだめ!)
「ですが、ヴォクスさまがわたしに尋ねたのは、ノマさまと同じ王族の妻として、夫にどのようなことを求めるかという話でした」
リーナがはっきりとそう言えば、ノマが驚いたようにしきりに瞬きした。
……と同時に、フィリウスの方からは息を呑む声が聞こえてきた。
彼は以前、リーナの願いを叶えたいと言っていた気がするので、何か言ってしまうと気を使わせてしまうかもしれない。
というわけで、今度はノマの方に向き直る。
「そしてノマさま──ごめんなさい」
「どうして貴女が謝るの?」
「その……ノマさまが男性の方にヴォクスさまとのことを相談しているところを、わたし聞いてしまったんですっ」
ノマに正直に告白すると、彼女は顔を赤くしてふいっと顔をそむけた。
その様子は怒っているというよりも、どちらかというと恥ずかしがっているように見えた。
彼女はまた涙を流していて、そんな彼女を慰めるように背中を撫でている。やっぱり、根本的には二人とも仲が悪いというわけではないみたいだった。
「ムスタンティー殿でしたか」
「た、たぶんそうです。その男の人は、ヴォクスさまのことで不安になっていたノマさまに、フィリウスさまにチョコレートを食べさせればいいと」
「やはり『あの男』は二人を仲互いさせたいのかもしれないな」
フィリウスがぽつりともらした発言に、ヴォクスとノマは水に打たれたような表情を浮かべた。
そうして二人そろって、決まりの悪そうな顔になる。
「お二人とも、お互いの言い分を信じることは難しいかもしれませんが、まずは少しだけでも信じてみませんか? あ、ヴォクスさまは今後絶対に他の女性と二人きりになったりとかして、ノマさまを悲しませてはいけませんからね?」
リーナの言葉にヴォクスとノマはお互いの顔を見ると、出会ってはじめて見るほど穏やかな表情を浮かべた。
「今までわたくしを置いて地方で何をしていたのか、しっかり聞かせてもらいますからね?」
「……勿論。私と貴女の間に隠し事はなしですよ。ノマ」
突然近くなった二人の距離に恥ずかしくなったリーナは、思わず目をそらした。この二人はきっともう、大丈夫だろう。
ちらりと二人だけの世界に入ってしまったノマたちの様子を確認したリーナは、フィリウスと顔を見合わせて頷くと、部屋をあとにしたのだった。




