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12.契約書とサイン

 玉座の間を後にしたリーナがフィリウスに連れられてやって来たのは、王家のプライベートな区画にある談話室だった。

 今リーナの目に見える範囲で廊下にいるのは自分とフィリウスの二人だけだ。


「随分と待ったぞ。まあよい、入れ」

「失礼いたします」


 フィリウスが扉を開けると、そこには優雅に紅茶を飲んでいるベネディクトの姿があった。

 フィリウスの顔を見てムスっとした顔は、リーナと顔を合わせた途端にベネディクトの表情は好々爺(こうこうや)としたものに変わる。


「二人とも座りなさい」

「リーナ嬢、こちらへ」


 リーナはフィリウスに導かれるままにソファに腰掛ける。

 フィリウスが続いて同じように腰を下ろそうというところで、ベネディクトは話を切り出した。


「お前、今日自身の妻となる女性に随分と他人行儀なのだな」

「私は陛下ではありませんので」


 やはりリーナは今日、フィリウスの妻になるのだ。

 もうすぐ十八歳になるリーナはけれど、まだ心の準備ができていなかった。


(フィリウス殿下は「白い結婚」とおっしゃっていたけれど……本当に大丈夫なのかしら? 心配になってきたわ)


「父の儂のことを陛下と呼ぶか。ここは先ほどの場所と違い、私的な場だぞ? もっと親子仲睦まじく……」

「それは陛下の希望でしかありませんよね」

「それはそうかもしれんが……。とはいえ、お主にも儂の血の半分は流れておるはずなのじゃ。──と、いかんいかん。本題を忘れるところじゃったわい」


 先ほどの威厳はどこへやら。

 レーゲ王国随一の身分を誇るベネディクトは、思っていたよりも随分と親しみやすい人物だったらしい。


 この国の全てを取り仕切っている人のはずなのに、少なくとも今の様子を見ていると「逆らってはいけない相手」とは思えないぐらいだ。

 でもやはり怒らせると怖い人物であることに変わりはなさそうだからか、リーナの緊張の糸もぴんと張ったままだった。


 ベネディクトが(ふところ)から先ほどの巻物を取り出している間に、彼の目の前にあったティーカップは、部屋の隅にいたらしい使用人によって下げられていく。

 かわりに筆記用具一式がリーナたちの目の前にある机の上に置かれた時には、ちょうどベネディクトが巻物を開いたところだった。


「婚姻契約書だ。読んだらサインするように。これは国王ベネディクトとしての命令だ」


 リーナに拒否権はないらしい。

 けれど、フィリウスもベネディクトも悪い人には見えないし、何より仮にここで断ったとしても、またあの小屋暮らしに逆戻りしてしまうだけ。リーナにメリットは何一つない。


 リーナもここに来るまでの道中で、当初は「家に帰るべきなのでは? マリアに代わってもらった方がいいのでは?」と考えていた時間もなかったわけではない。


 けれど、リーナは知ってしまったのだ。たくさんの人の温もりや優しさを。

 アルトもこの王城で働くことが決まったわけで。いまさら、あの小屋で誰の手伝いもなく──イモと水だけのひとりぼっちの生活になんて、もう戻りたくなかった。


「リーナ嬢?」

「あっ、ごめんなさい。まだ読めていなくて」

「では私が読み上げようか?」

「いえ自分で読めます」


 そこに書いてあったのは、本日づけでリーナとフィリウスの婚姻が結ばれること。リーナは王族として王城のフィリウスの寝室の隣部屋を寝室とすること。

 前王妃──つまりフィリウスの祖母──が崩御(ほうぎょ)してから一年経過していないので、結婚式は後日上げること──などだった。


 リーナが読み終わった頃には、フィリウスはサインを終えていた。

 特に問題のある内容もなさそうだったので、リーナもフィリウスから受け取った筆記用具でサインしていく。

 字は書きなれてはいないけれど、何とか読める字体にはなっていると信じたい。


「孫の顔を見るのが楽しみじゃのう」

「孫ですか。それでしばらく挙式できないのに、リーナ嬢と先に婚姻を結ばせたと」

「お前の言う通りだ。期待しておるぞ」

「期待は兄上たちにお願いします。私たちは『白い結婚』を貫く予定ですので」

「……何を言うか!?」


 突然大声を上げたベネディクトに、リーナは思わず肩が跳ねてしまう。

 一方のベネディクトもフィリウスと顔を合わせたかと思えば、決まりが悪そうな表情を浮かべて軽く咳払いをした。


 その時、扉がノックされる。

 入口から入ってきた文官に三人のサインが入った契約書を巻物ごと渡すと、何かを耳打ちする様子のベネディクト。


 そして「たまたま」なのかその文官が持っていた白紙を新たに受け取った紙かと思えば。つらつらと文字を書いていき、最後に自身の名のサインを入れた。


「まあよい。たしかにアレよりも先にお前が子をなしたとなれば、国内が二分されかねないからな……。だが、いずれは」

「さすがは我らがレーゲ王国の国王陛下。賢明な判断です」


 その紙を受け取ったフィリウスは内容に目を通したのか、すぐにサインを入れる。

 流れでフィリウスから受け取ったその紙の内容を精査すると、どうやらリーナたちの婚姻関係を「白い結婚」とするといった具合のものだった。


 少し問題があるとすれば、フィリウスとリーナどちらかの意思で「白い結婚」の関係を解消できるというところだろうか。

 けれどリーナ自身は解消するつもりなんてない。解消があるとすればたぶん、フィリウスがもっと「マシ」な相手を見つけた時だろう。


 解消されないように「マシ」であり続ける努力を怠らないように、という国王ベネディクトからの無言のメッセージなのかもしれない。


 あとはフィリウスとベネディクトのサインが書いてあるだけだ。一瞬だけ思い浮かんだ問題点を頭の片隅に叩きこんだリーナは、同じようにサインを書き入れていく。


「女性に一片の興味も示さなかったお前が妻を(めと)っただけでも、よしとしよう。この関係をやめたければいつでも儂に言いに来るのだぞ?」


 自分を納得させるかのように頷いたベネディクト。

 それはさておき。フィリウスが女性にそもそも興味を持っていないというのは知らなかった。


 彼と婚姻を結ぶことになったリーナとて、フィリウスの評価は「マシ」というだけ。

 田舎の、それも小屋育ちのリーナが「マシ」なのであれば、他のご令嬢でもよさそうな気がするけれど、おそらくフィリウスはそうした女性たちとはすでに会っているのだろう。


 その上での「マシ」という発言。

 フィリウスは女性に興味がないという話も納得できた。リーナが「マシ」に感じられるほどということは、よほどなのかもしれない。


 二人のサインが入った二枚目の婚姻契約書も確認し終わったらしいベネディクトは、満足気に頷いた。


「うむ。フィリウスのサインは見慣れているが、リーナ嬢の筆跡はかわい──」

「陛下、今この場で刺してもいいのですよ。陛下には母上がいるでしょう?」


 真面目な口調で「刺してもいい」と言うフィリウス。

 リーナは震え上がったものの、それを冗談だと見抜いていたベネディクトは、盛大に嘘泣きした。


「おお怖い怖い。そしてパトリシアのことは母上と呼ぶのに、儂のことは父上と呼んではくれぬのか?」

「少なくとも今の陛下を父上と呼ぶ気にはなれません」

「そうか……まあよい。くれぐれも、逃げられぬようにな。そして逃がさぬように」


 嘘泣きをやめ、フィリウスを真っ直ぐと見据えてそう告げたベネディクトは立ち上がると、使用人を連れて部屋を出ていった。

 室内に残されたのは、開けたままの扉の向こう側から入ってくる穏やかな風だけだ。


 あれ? さっきと言っていることが違うような。けれどリーナがそんな違和感を覚えたのはほんの一瞬のことだった。


 後には隣どうしで座ったリーナとフィリウスだけが残される。

 この状況は──


「あの! 殿下、この状況はその」

「どうかしたのか?」


 けれど、フィリウスにはリーナが焦っている理由がわからないらしい。

 そこで今度は、もう少し思考を整理してハッキリと告げる。


「この状況では『白い結婚』自体が疑われかねないのではないか、と思いまして」


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