11.謁見
昼は馬車に揺られ、夜は宿に泊まり──という日々を繰り返すこと約二週間。
リーナたち一行はレーゲ王国の王都に到着した。
「これが王都……!」
「アグリア家にも王都にタウンハウスを保有していたはずだが、君は王都に連れて来てもらったこともないのか」
行き交う人に、そこらじゅうから聞こえてくる元気な声。
門からしばらく進めば、大通りに面する建物は次第にベランダつきの数階建てのレンガ造りのものばかりになっていく。
晩秋だというのに、アグリア領とは違ってところどころの小窓には可愛らしい花が飾られていて、見ているだけで晴れやかな気分になっていく。
リーナは、はじめて見る王都に興奮していた。
もちろん貴族令嬢としてはしたなくないように、フィリウスから咎められないように、と表面上は頑張って笑顔を浮かべるにとどめている。
「これがレーゲ王国の王都だ。気に入ってくれたか?」
「ええとっても」
フィリウスの質問に、リーナは微笑みと共に頷き返す。
けれど突然、馬車は王城へと向かう大通りの途中で止まってしまう。フィリウスはリーナと反対側の窓の外を覗き込んだかと思うと、そのまま馬車のドアを開けた。
「リーナ嬢はこのまま馬車に乗っているように」
「? はい。かしこまりました」
馬車を降りて扉を閉めたフィリウス。
けれど、彼が馬車を降りることしばらく。手持ち無沙汰になってしまったリーナはマナーがなっていないとはわかっていながらも、聞き耳を立ててしまった。
「ヴァスタム伯爵。ここは私の顔に免じて──」
どこかで聞いたことがあるような──と頭の中を探っていると、ふと思い出す。
現ヴァスタム伯爵はセディカの──リーナのお義母さまの父親だ。
セディカから話を聞いた限りでは丸々と太っていて、美しくないと人物だと聞いた。
でもリーナ自身は会ったこともなければ、肖像画を見たこともないので何とも言えない。今カーテンを開ければ顔を見ることはできるのかもしれないけれど、さすがにそれはやりすぎだと思ってやめにした。
それからしばらくすると、フィリウスは再び馬車に戻ってきた。
「殿下、大丈夫でしたか?」
「君が心配する必要はない」
その言い回しに、これは触れてはいけないことなのだとなんとなく理解する。
アグリア家の日常を見てしまったからなのだろう。その優しさがちょっとつらい。
フィリウスの言う通り、そのまま何事もなかったかのように王城に向かう馬車。
けれど、リーナの心は落ち着かない。会ったこともない相手だけれど、セディカの父親というだけで危害を加えてくる気がしてしまうのだ。
でも、今ここでそんなことを話してもフィリウスに迷惑をかけるだけ。
リーナは心配ごとをまた一つ、心の中にひっそりと隠した。
やがて、馬車は王城に到着する。
馬車を降りる時には、道中の街でもそうだったように、フィリウスがリーナの手を取って降りるのを手伝ってくれた。
「ありがとうございます」
「これから陛下のところへ向かう。疲れていると思うが、もう少しだけ付き合ってくれ」
「はい」
お相手はフィリウスの父親、つまり陛下なのだからリーナに断るなんて選択肢はない。
リーナは宿に泊まった時と同じように、フィリウスから流れるようなエスコートを受ける。
王城の中は、アグリア伯爵邸をもっと豪華にしたような光景が広がっていた。
玄関ホールは石造りで、黄色くて温かみのある光がリーナを出迎えてくれている気がする。
カツカツと響く靴音。
豪華な天井画。壁を飾る絵画の数々。アグリア邸とは違い、絨毯が敷かれているのは廊下の真ん中あたりだけだ。
リーナは今、王城の中をフィリウスと二人きりで歩いていた。
そんな広い廊下の中で時々しかすれ違わない貴族たちは、フィリウスを見るだけで頭を垂れる。
その様子にフィリウスがこの国の王子なのだと、あらためて理解させられたリーナ。
やがてフィリウスが大きな扉の前で立ち止まると、二人はどちらともなく顔を合わせた。
「この先が謁見の間だ。陛下が待っている」
フィリウスが扉の両脇に立っている兵士たちと視線を交えて頷くと、しばらくの後兵士たちが扉を開けた。
「行くぞ」
リーナたち二人が真っ直ぐ進む先にいたのは、赤い布をふんだんに使った、黄金で縁取られた玉座に座っている人物。
彼がこのレーゲ王国の国王ベネディクト・レーゲンスなのだろう。
髪の銀色はフィリウスとそっくりだけれど、首のあたりで切り揃えられているし、何よりくせがあって別物に見える。
一方で瞳の色は紫水晶とは違って青色だけれど、目元を見れば親子だというのは一目瞭然だった。
一方、纏う雰囲気はフィリウスとは違う。アグリア邸で会ったあの日、フィリウスには冷たさの中に温かさを感じたのをリーナは覚えている。
ベネディクトはそれとは逆に、一見寛大な人物に見えるけれど怒らせると怖いタイプだろう。リーナは直感的にそう理解した。
フィリウスがリーナのエスコートを解いて跪く。
「陛下、ただいま戻りました」
「頭を上げよ。……フィリウス。そう固くならんでもよいであろう? 父上とは呼んではくれぬのか」
「まさか陛下ともあろうお方が公私混同をなさるとは」
「堅物め……。一体誰に似たのやら」
呆れの表情を浮かべたベネディクトの言葉に、フィリウスは再び姿勢を正す。
続いてベネディクトの視線はリーナの方へと向けられた。それに合わせて、リーナは淑女の礼をとった。
「リーナ・アグリアでございます」
「顔を見せてはくれぬか。……いやはや、母君の若かりし頃を思い出すな」
ベネディクトの言葉に同じく姿勢を正すリーナ。
けれど、リーナの口はこの場で質問するのはいけないことだとわかっていたはずなのに、勝手に彼に質問していた。
「あの、不躾ではあると承知でお尋ねしたいのですが、母のことをご存知なのですか?」
「ああ。君の母は──」
「国王陛下。今は長旅でリーナ嬢も疲れています。早く本題に入っていただけませんかね?」
「おお怖い怖い。彼女も若い頃のローズマリーについて色々知りたがっているだろう?」
「そのようなことはいつでもできます。今大事なのはリーナ嬢の体調です」
ベネディクトの答えを遮るフィリウス。
もしフィリウスが止めてくれていなかったら、ベネディクトにとんでもない不敬をはたらいていたはずだ。彼には感謝するしかない。
ローズマリーというのは、リーナの母親の名だ。
リーナもかつてはアグリア邸の本館に飾られていた肖像画を見たことが何度かあるけれど、とても温厚そうな顔をしていた。
リーナの茶色の髪は母のローズマリーから受け継いだものだった。
「本当に誰に似たのやら」
「でしたら今ここで、陛下の若かりし頃の洒落にもならない話をリーナ嬢に聞かせてもいいのですが」
「ハァ……。面白くない奴め。では本題に入るとするか。──ヴィカリー公」
「はっ!」
その言葉と共に、ホールに響く靴音を立てながらベネディクトの側に寄った男性。彼は脇に一本の巻物を携えていた。
リーナは、一般的な知識こそアルトに教わっていたものの、さすがに社交関係の知識はない。というわけで、彼が何者かわからずに困惑していたのだけれど。
「彼の名はオクシリオ・ヴィカリー。宰相にして現ヴィカリー公爵家の当主だ。君の母方の叔父だといえばわかるだろうか?」
ヴィカリー公爵家。家名になんとなく聞き覚えがあるな、と思ったリーナは続くフィリウスの言葉に、彼と自身の関係を理解した。
たしかに、髪がリーナと──そして、今は亡き母のローズマリーと同じ色をしている。
オクシリオがベネディクトに巻物を手渡すと、その中身をベネディクトが検める。
満足そうに頷いたベネディクトが立ち上がると、自然とリーナの視線も彼の方を向いた。
「お前たちにはこれから、婚姻契約書にサインしてもらう。ついて来なさい」
ベネディクトはそう言って玉座から立ち上がると、リーナたちの横を通り過ぎていく。
その後について行くためにリーナがフィリウスと共に振り向いた途端、後ろ──玉座のある方から再びカツカツとした足音が聞こえてきた。
思わず振り向いてしまうリーナ。足音の主はリーナのもう一人の叔父、オクシリオだ。
いつの間にか隣に立っていたフィリウスもまた、リーナと同じくオクシリオの方を振り返っていた。
オクシリオは二人の目の前で立ち止まると、リーナに厳しい視線を向ける。
けれどそれは一瞬のことで、すぐにフィリウスの方に向き直ると、先ほどフィリウスがベネディクトにしたように、片膝をついた。
「ヴィカリー公。私に何か用でも?」
「殿下。僭越ながら、ぜひアグリア辺境伯令嬢の行動にはくれぐれもお気をつけください」
「くれぐれも、とは?」
「本人が一番自覚しているでしょう。それでは私には日常の業務がございますので、これで」
再び、ほんの一瞬だけリーナに向けられた視線は、険しいものだった。
けれどそれが嘘だったかのように立ち上がったオクシリオは、足早に玉座の間を立ち去っていく。
自分は何をしてしまったのだろうか。不安に苛まれるリーナはふと、自身の右手に熱を感じた。
視線を向けるとそこにはフィリウスの手が重ねられていて。リーナ自身もまた、自然とフィリウスの方へと向き直る。
「リーナ嬢、心配は不要だ。公爵は愚鈍な男ではないから、君は君の思うようにやればいい」
「思うように、ですか?」
「ああ。これまで共にした旅路から、私がそう判断した。もちろん、余程のことであれば止めさせてもらうが……」
「かしこまりました。不束者ですが、精一杯やらせていただきます」
一度彼に手を解放してもらい、今の自分にできるせいいっぱいの淑女の礼を返す。
その様子に一瞬だけフィリウスの顔が綻んだのだが、本人を含め気づいた者は誰もいなかった。
フィリウスから何度目かの流れるかのようなエスコートを受け、リーナが屋内の渡り廊下を通ってたどり着いた先は、城内の一角にある王家の私的な談話室だ。
「陛下、フィリウスです」