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1.突然の来客

新連載はじめました。

よろしくお願いいたします。

 レーゲ王国の北の端、アグリア辺境伯領。

 紅葉した山々の葉が散り、そろそろ雪が舞い始めようという季節。


 その領主館に突如現れた、黒塗りに金獅子の装飾がついた馬車。王国に住む者なら誰もが知っているであろうそれ。


 辺境伯邸の入口に停車した馬車の中から降りてきたのは、銀色の長髪を首あたりで軽く結んだ、長躯(ちょうく)の青年。

 神秘的な紫水晶の瞳をした彼は自身のかけている眼鏡を指で軽く押し上げると、邸から飛び出るように現れた老齢の家令に非常に不機嫌そうな表情で告げた。


「陛下の命令だ。リーナ・アグリア嬢はどこにいる?」




 ♢♢♢




「んん──っ。騒がしいわね……。お客様かしら?」


 レーゲ王国の北の果て、アグリア辺境伯領の領主館。

 その広大な庭の一角にある畑の物置小屋では、今日も一人の少女が目を覚ました。


 少女の名はリーナ。

 背中まである茶色の髪に、空色の瞳。色合いこそ平凡ではあるものの、比較的整った容姿をしている彼女はしかし、その自覚がこれっぽっちもなかった。


 リーナは幼くして両親を亡くした。

 本来なら邸を追われ、孤児となってもおかしくなかったはずの彼女を引き取ってくれたのが叔父夫婦だった、らしい。


 叔父のイグノールは結婚して、リーナの父母が事故死するまでは辺境伯領の一部を管理する子爵をしていたらしいのだけれど、リーナもその頃のことは詳しく知らない。

 物心がついた頃にはもう、義妹──正確には従妹──のマリアのお世話係として叔父一家と共に辺境伯邸で暮らしていたのだから。


 そうして幼い頃は叔父一家と共に邸で暮らしていたリーナも、十二歳の誕生日に敷地内の畑近くに誕生日プレゼントと称して小屋をもらって以来、邸の中で寝泊まりすることは禁じられた。


 王国の北の果ての、どんな寒い冬の夜でも。

 それでも家があり家族がいて、孤児ではないリーナは幸せ者なのだ。


 それはさておき。そんなちょっと領主館から離れた小屋の中にまで邸内の騒がしい声が聞こえてくるのだから、ただごとではない。


「やっぱりお客さまかしら? けれど、そんな予定があるならアルトがお義母さまの言葉を昨日までに伝えに来てくれたはずよ。きっと急に誰かが来たのね」


 ──旦那様も言ってるけれど、みずほらしくて地味なアナタは我が家の恥よ。だから、明日は小屋の中から出てこないでね。いい子なアナタならわかるでしょ?

 そんなふうにお義母さま──叔母のセディカからの伝言を持って来てくれるのは使用人のアルトだ。


 けれど、普段なら前日までに彼はそうしたことを伝えに来てくれている。

 というわけで自身の考えはそこまで間違っていないのだろう、とリーナは結論づけた。


「……うん、そうに違いないわ」


 そこまで言ってしまって、リーナはつい今まで自分がついうっかり独り言を口にしてしまっていたことに思い至る。

 でも朝早くから畑まで来るような物好きな使用人はそうそういないので、誰にも聞かれていないはず。そう信じたい。


 自分の失態を反省しようとしていたちょうどそのとき。

 コンコンと小屋の扉を叩く音が聞こえて、リーナは思わず背筋を伸ばした。


 この叩き方をする人を、リーナは一人しか知らない。


「リーナ、起きてる?」

「あっアルト!? ごめんなさい、待ってて。今起きたところなの」


 小屋を訪ねてきたのは、使用人のアルトだ。

 平民出身の彼は、領主一家の姪であるリーナに親しく接してくれる唯一の人だ。他の使用人の皆はリーナが話しかけても答えてくれないし、逃げられることだってある。


 リーナのことを快く思っていないらしい叔父のイグノールとはほぼ会わないし、叔母のセディカやその娘のマリアからは一方的に色々言われるばかり……。


 というわけで、ここ数年まともに話し相手になってくれるのはアルトぐらいしかいない。

 彼と喋っている間だけがリーナにとって、唯一人間らしい時間だった。


 昼も夜も区別なく、自分で縫い上げた何着かのワンピースを着回しているリーナは、起きたままの服装で入口に立つと、そのまま鍵を開けた。


「おはようアルト」

「おはよう。いい天気だな」


 よく晴れた空の下、冬も目前に迫ったアグリア辺境伯領に、山から冷たい風が吹き下ろす。


 外開きの扉を開けると、そこに立っているのはリーナの予想通り、彼女がよく知っている線の細い青年だ。

 けれど男性というだけはあって、リーナよりは頭ひとつ分背が高い。


 リーナよりも少し年上の、いつも世話を焼いてくれる兄のような存在。それがリーナにとってのアルトだ。


 黒いぼさぼさの髪に眼鏡姿でパッとしない彼は、リーナと仲良さそうにしているせいか、家じゅうの面倒事をほとんどすべて押し付けられているらしかった。

 しかし、その見た目とは裏腹に中身はかなり明るい人物らしいというのは、数年来の付き合いでリーナもわかっている。


「奥様から伝言だ。『突然だけれど、大事なお客さまが尋ねてきたから今日は一日じゅう小屋の中に引き()もっているように伝えてちょうだい』だってさ」

「やっぱりお客さまがいらしていたのね」

「ああ。いつも通り、食事は俺が持って来ることになっているから。俺が来た時だけ鍵を開けていいってさ」


 いつも通り話し込んでいるリーナとアルトは、そこに近づく足音があることに気がつかなかった。


 ここは国境の防衛も任されている辺境伯家だ。もしもの時に城下町の皆を受け入れるための広い裏庭がある。

 そんな広い庭の中の、一見農具小屋にしか見えない小屋に近づいてくる足音。


 今日のお客さまは、そんなところに住んでいるリーナを訪ねて来ていたのだが、当然本人はそんなことなど予想だにもしていなかった。


 そしてそのお客さまがもうすでに、すぐそこまで来ていたことにも、二人は気がつかなかった。


「それじゃあ夕ご飯楽しみにしているわ」

「もちろんだ。それじゃ──」

「談笑中、失礼する」


 笑顔で話を切り上げようとしていた二人は、急に聞こえてきた知らない男性の声に、思わず声のする方を振り向いた。

 リーナの目にまず入ってきたのは、紫水晶の色をした綺麗な瞳だった。


 今一瞬、見とれていた? そんなことはない、と思う。目の前に立っていたのは銀色の髪を首の後ろでひとくくりにした、長身の男性。

 整った顔立ちに、引き締まった体躯(たいく)。リーナよりちょっと背の高いアルトよりも、また頭ひとつと少しぐらい背が高い。

 それから、アルトがつけているよりも数倍は繊細な技術で作られたのであろう、フレームが細い眼鏡をつけていた。


 とてもかっこいいのだけれど、同時に美しいと表現した方が正しい気がする容姿。

 目の前のアルトの反応を見る限り、彼がお客さまなのだろう。


「君がリーナ・アグリア嬢か?」


 視線でアルトに助けを求めるリーナ。

 「お客さまと会ってはいけない」と言われたことは何度もあるリーナだけれど、直接目の前で会うことになったのは今回がはじめてなのだ。どうすればいいかわからない。


 リーナの意を汲んでくれたらしいアルトが、いかにも高貴そうな青年に向き合った。


「彼女は──」

「お前には聞いていない。それに先ほどお前は彼女のことをリーナと呼んでいなかったか?」


 リーナは、その視線がアルトに向けられたものだと理解していても、それでもなお身震いしてしまう感覚に襲われた。

 この視線を正面から受けているアルトなら、なおのことだろう。今度は、いつも助けてくれるアルトをリーナが助ける番だ。


「あの、はい。わたしがリーナですが、あなたは?」


 恐る恐る声をかけると、青年の視線がリーナの方を向く。

 今度は正面から受けているはずなのに、怖くない。少しだけ不機嫌そうには見えるだけだ。


「まだ名乗っていなかったか。私の名はフィリウス・レーゲンスだ」

「フィリウス・レーゲンス? ──レーゲンスって、えっ!?」


 レーゲンス。このレーゲ王国の中では平民の子供ですら知らない者はいないであろう家名。

 彼が言っていることが正しいとするなら、今リーナの目の前に立っている青年はこの国の王家の一員だということになる。


 けれど同時に納得した。こんなに美しい人なんてそうそういるはずがないのだから。


「どうして殿下がここに?」

「君を迎えに来た。……非常に不本意だが」

「はい?」


 今、銀髪の青年──フィリウスの口から、信じられない言葉が発せられた気がする。

 目の前に鏡はない。けれどリーナの顔は今、間抜けだと思われても仕方のない状態だった気がしたので、慌てて表情を引き締める。


「リーナ・アグリア嬢。私は国王陛下の命令で、君を妻として迎え入れるようにと言われてここに来たのだ」

「ええっ!?」


 いけない。王族の前で変な声を上げてしまった。

 不敬罪に問われてしまうかも。リーナが冷や汗をかきながら彼の次の言葉を待っていると、遠くの方から再び足音が聞こえてきた。


「フィリウスさま~! 見つけましたわ~!」


 一同はその声がする方を振り向いた。

 リーナたちの視線の先にいた少女の名はマリア。現辺境伯夫妻唯一の子にして──リーナを領主館から外の小屋へと追いやった張本人だった。


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