新しい生徒
「ねー、瀬凪。さっきすごいかわいい子が受付にいたんだけど、誰だろ?」
「いたね、すごいスタイル良くてモデルかと思った」
「え、やっぱり瑛梛も瀬凪も見た? あ、あとさ、近くにもう一人いたよね」
「え、気づかなかった。良く気がついたね、彩芽。あの子、うちらと同い年そうだよね、転入生かな?」
「「「「「転入生」」」」」
滅多に聞かないそのワードを、一気に皆が言った。その瞬間、
「はい、じゃあ授業始めるから、座って。海凪さんと真夏…さんは、空いてるとこ…そことそこに座ってね」
教室に入ってきてそう告げたのは、永井泰宗先生。この彩桜ゼミナールの難関高校受験対策コースの数学科担当だ。先生曰く、「俺はめっちゃ優しいでしょ」とのこと。まあ優しいけどさ、自分で言っちゃうところが永井先生らしいよね。
今日は春期講習初日。数学と国語がある日だ。この時間割りを聞いたとき、皆が驚愕した。「数学と国語を組み合わせる? マジか!」って。数学は、70分授業を2コマにセレクト60分で、国語は、70分授業を2コマ行う。授業は午後4時から10時まである。しかも、新単元を毎授業で。四日間で4単元も進む。そして、授業の前に自習をして、宿題をやる。ハードだ。ハードすぎる。だって、課題は毎日出されるものだけじゃなくて、通常授業で出されたものもあるんだから。
わたし、神影瀬凪は、ギリギリの成績で去年このコースに入った。ちなみに、基準は塾内模試の偏差値各教科と総合でそれぞれ65以上かつ首都圏最難関の外部模試の偏差値45以上を持つことだ。私はギリギリの65と50だった。だが、いよいよわたしたちは受験生となる。成績が足りないなどと言ってられなくなった。もう受験まで残り一年を切っている。自分の実力を伸ばし、志望校合格を目指して努力しなければならない。この受験という完全実力主義の中では結果しか評価されないが、その結果を出すためには、多くの人が必死になって勉強する必要がある。私もその一人だ。
「じゃあ、海凪さんと真夏…さん、前に出て自己紹介してもらって良い?」
今日初めて教室に入ってきた二人を紹介するためであろうか、真夏さんのところだけつっかえながら永井先生が言うと、二人の女の子が前に立った。最初に口を開いたのは、大人しそうだけど少し自分に自信を持っていそうな子だった。口角が微妙に上がっている。
「高山海凪です。私立那岐学園中学校に通ってます」
なんと、私立に通う子だった。那岐は、そこそこ良いところで、中学受験で人気の私立だ。高校に上がると偏差値が上がるから。大学の系列校ではないので大学受験は必要になるが、四年制大学への進学率は80%と高い。国立にも合格者を毎年数名出している、高校入試では倍率が高い高校だ。何故高校受験するのだろうか。わたしは中学受験に失敗して地元の中学校に通っているが、正直大変に思っているのに。本当は、二度も受験したくないくらいだが、夢を叶えるためにも頑張るしかないと思ってやっている。
次の子は、控えめな子だった。なんか、一人だけ次元が違うみたい。言葉では言い表せないけれど、雰囲気というか、オーラというか、とにかく何かが違う。
「永井真夏です。神流大学附属中学校に通っています」
なんと、国立大附属中学校、しかも屈指の名門校と言われる神流に通っている子だった。一瞬、この場の雰囲気が固まった。神流に通っている子なんて、会ったことがない。それくらい、頭がよくて貴重な集団なのだ、彼女らは。
神流の小学生募集は40人と2クラス分、中学生募集も40人と2クラス分、高校生募集は60人と3クラス分。それプラス推薦が、各学校10名。高校に進学しても1学年200人もいない、狭き門である。あ、1学年200人というのは公立中の1学年とほぼ同じ人数。1クラス20人くらいの少人数制度で知られる唯一の国立だ。しかも、内部進学生は外部受験生より難しいテストを夏休み終了直後に行い、受からなかったら進学できない。このクラスで一番頭が良いと言われている子……鶴岡祈良君でさえ、合格可能性は50%だ。首都圏最難関というより、全国最難関の方が合っていると思う。そんな学校に通っている子がここにいるなんて。
その雰囲気をぶったぎったのは、永井先生。まるで何事もなかったかのようにプリントを配り始めた。一ミリも表情に変化がない。
「とりあえずSCTやるよー、海凪さんと真夏…さんもやってみてね」
そのネーミングに空気が緩み、みんな一気に脱力してしまった。解説しよう、SCTとは、宿題チェックテストの略である。Syukudai Check Test の頭文字をとったものだ。ちなみに、授業終わりにはJCTもある。Jugyou Check Testだ。永井先生はなんでも略そうとして、こうなる。単元が終わるごとにも小テストをやるが、それさえも略す。
どうやら、海凪さんには先生のネーミングが刺さったようで、小刻みにかたが震えていた。きゅっと引き結ばれた唇が僅かに上がっていた。一方で、真夏さんは無表情だった。さっきから、表情に1ミリも変化がない。
……このネーミングを聞いた人は絶対笑うのに、すごいなあ。一年以上聞き続けている私たちでさえ、未だに笑っちゃうのに。
休み時間、皆が海凪さんと真夏さんの方を見ていた。まず、真夏さんに柚暖が話しかけた。
「わたし、寺田柚暖! よろしくね、真夏さん!」
柚暖はすごくフレンドリーで明るいから、みんな最初は驚く。真夏さんもこれには流石に驚いたようで、目を見開きながら言った。
「さっきも名乗ったけど、永井真夏です」
「真夏って呼んで良い? あ、わたしのことは柚暖で良いよ~」
「もちろん、よろしくね柚暖」
真夏はふわり、と微笑んだ。その笑顔の美しさといったら! もとの顔立ちが整っているだけに、すごく魅力的だった。
……危ない、一瞬見とれてしまった。
それを見ていた永井先生が詰めていた息を吐き、心なしか安心したように見えた。
……不思議だね。
偶然か、先生と真夏は名字が一緒だった。いや、英語の大森匠汰先生と大森快都君も一緒だけどさ。(ちなみに、快都はイケメンだ。)なんか、引っ掛かった。