プロローグ 下
意気揚々と女性の背後に向かったヨミであったが、いざ鎖を壊そうとした時にふと思った。
ーーーこれ、私に壊せるんですか??
と。少し考えればわかることだが、目視しただけで恐怖を覚えるほどの圧倒的強者に壊せないものをひよっこ魔法使いの自分に壊せるはずがないのだ。
自分の流儀をペラペラと喋ったことで気をよくしていたヨミはそのことをすっかり忘れていたのだ。
一縷の望みをかけてヨミは鎖に手を伸ばす。
ーーーほら、もしかしたら外からの衝撃に弱いとかあるかもしれませんし。あの女性を抑え込んでいるんですから、それくらい不思議があってもいいはずです。
しかし、その望みは一瞬で絶たれることになる。手を触れただけでヨミはその鎖の放つ鉄壁のような拒絶感を肌で感じてしまったのだ。
ーーーわかってましたよ。そんな弱点なんてあるわけありませんよね。……困りました。詰みですね。正直全快な時でも不可能ですよ。どうしましょう。ジャンプしながら土下座したら許してくれますかね?
開始数秒で諦めの境地に至り、なんと言って謝ろうか考え始めていたヨミであるが、そんなヨミに女性が怪訝な声を向けた。
「何をやろうとしてるのかは知らんが、この鎖は解く事はできても壊すことなどできんぞ。なにせ私が作った最高傑作だ。」
ーーー先に言ってよぉーーー!!!
「これは唯一属性を付与できる特殊な金属、オリハルコンに私の魔力を長年かけて染み込ませたんだ。この鎖は半ばこの世界の道理からずれた存在になっているんだ。
その上で特定の動かし方をしないと絶対に解けないように物理的にも細工したんだ。すごいだろう?」
自信満々に自らが作ったという鎖の自慢を始める女性だったが、その背後に立っているヨミはかなり場違いな怒りを抱いていた。
そして、
ーーパシン!
という乾いた音が女性の頭から響いた。
「なっ、何をする!?なぜ頭を叩いた!?」
「なんでそれを早く言ってくれないんですか!?危うく私はここでジャンプしながら土下座する羽目になるところだったんですよ!?」
「訳がわからん!!なんで貴様がジャンプして土下座をするんだ!?しかもそれが私のせいなのか!?」
「うるさいですよ!!いいから早くその解き方というのを教えてください!」
勝手に先走った挙句、鎖を解けないことに気づいて絶望したヨミが悪いのは誰が見ても明らかであるが、そのことを気づかせぬようにペチペチと頭を軽く叩きながら捲し立てる。
「わ、わかった!わかったからその痛くもない暴力をやめろ!!敵意も感じないからどうすればいいかわからん!!」
先に女性が音を上げた。その声を聞いて自分が何をしていたのか思い至ったのか、ヨミも若干顔を青ざめさせながらその手を止めた。
「ど、どうやったら解けるんですか?」
「そんな声をうわずらせるならそんなことをするな、まったく。
まあいい。まず十字架のほうの鎖の付け根に何かボタンみたいなものがあるだろう?それを押してくれ。」
言われた通りに十字架をよく見てみるとたしかにスイッチのような何かがある。
「ああ、ありました。これですね。」
ポチっとそのスイッチをヨミが押した瞬間、ジャララランッ!という音ともに張っていた鎖から力か抜けた。十字架から鎖が外れたのだろう。
それを確認するように女性が手をグーパーグーパーさせている。
「ふむ、あとはもう大丈夫だ。私一人でできる。」
そしてそう呟いた直後、彼女の体の中へ体の自由を奪っていた鎖が吸い込まれ始めた。
「え?ちょっ大丈夫なんですか!?」
ヨミが心配そうに声をあげている間にも鎖は止まることなく吸い込まれ続け、ついにはその全てが女性の体に収まった。
「ふう、なんとか全部保存できたな。よかったよかった。
……さて、それより貴様、名前を何と言う?」
「え、ヨミですけど。それよりも大丈夫ですか?」
「それは私のセリフだ。ヨミ、貴様は現状をしっかり把握できているか?」
「「貴様、死にかけていますよ(るぞ)?」」
二人は同時にお互いの状況について口に出した。
ヨミは落下の時にどこかに体をぶつけたのか、腹部から大量に出血している。彼女の適性が治癒も使える水系統であったことが幸いしてまだ生きながらえているが、それでも死に一歩ずつ近づいているのは確かだ。
対する女性は、体の端部から崩壊が始まっている。ヨミが鎖を吸収している女性に大丈夫か聞いたのはこのためだ。鎖を吸収しながら女性の体に少しずつヒビが入っていたのだ。そのヒビはどんどんつながっていき、今では亀裂とも思えるほど大きさにまでなっている。
両者ともに死への秒読みが始まっているのに違いはないが、同様にその点について気づいていた。
「はあ、いいか?もう気づいているだろうが私は吸血鬼だぞ?こんなの傷ですらない。直に治る。それより貴様だ、ヨミ。
それほど大量に血を流せば死ぬぞ?」
「そうでしょうねぇ。でも私にはどうやってもこの傷は治せませんよ?つまりすぐにでも死ぬわけです。ならあがいたところでしょうがないですよね。
それよりもせっかく助けた人が死なずにすむようでよかったです。」
諦めたように笑うヨミを驚いたように赤い瞳を見開き見ていた女性だったが、ヨミが本心から死を受け入れているということに気づいた。
「……そうか、貴様はもう死ぬのか。」
「はい。……おっと、急に体が重くなりましたね。
……いよいよですか。」
その場に座り込むようにうずくまったヨミを前に女性はあえて不敵な笑みを浮かべる。
「なあ、私が貴様に最初に言ったことを覚えているか?」
「……え?ああ、生きたければこの鎖を外せ、でしたっけ?」
「ああ。そうだ。ヨミ、貴様はこの鎖を外した。そう、ヨミが外したんだ。貴様は約束を守った。ならば、私も約束を守らねばなるまい。」
「……はは、別にいいですよ。死者との約束なんて守っても仕方ありませんよ。」
「いいや。すまないが私の長い生の中で一度も約束を破ったことはなくてな。それにもしそれを犯してしまえば私は生きてられない。いわば生きる指針、グランドコーパスだ。ヨミ、貴様にもあるのだからわかるだろう?
―――要はお前の命だけは絶対に助ける。安心しろ、私はこう見えても伝説に名を遺した吸血鬼、アリエルだ。」