閑話 母が眠る場所
カツカツと石階段を上る音が聞こえる。
しかしある一点を境に材質が石から木へと変わり、その音も消えた。
ここは帝城の最上階。世界樹と半ば一体化している帝城であるが、最上階はもはや木の幹の中である。木の幹を通して僅かに漏れる光がその室内を淡く照らしている。
その神性さすら感じる聖域に足を踏み入れることができるのはただ一人。現魔王、サーシャ=ヴァレンティのみである。
「お母さま。今日も来たよ。」
彼女の視線の先には一人の女性の裸体が浮かんでいる。まるで何か目に見えないものに囚われているかのように空中に浮かぶ彼女は、しかし穏やかな表情で眠っている。
それもそのはず、彼女を捕えているその何かは周囲の世界とは完全に断たれ、その中は一つの独立した世界となっている。いわば一種の神性結界なのである。
「お母さま。ようやくだよ。そこから出してあげられる。」
そう、神性結界なのである。これがある以上、誰かが発動したということ。
発動者は他でもない、アリエルその人である。
この神性結界の名は“始祖の棺”。アリエルが囚われていた“始祖の祠”が時間を捻じ曲げることで外界との接触を阻んだのに対し、“始祖の棺”は空間を捻じ曲げることで外界との接触を断っている。その完成度は3つの権能を持つサーシャでも破ることができないレベルである。
「できることなら私が出してあげたかった。でも私には星鍵の能力を持つことができなかった。」
“始祖の棺”はアリエルの持つ空間、量子、運命。そのすべてを複合させた神性結界である。空間は断たれ、それは量子という最小単位、すなわち空気の移動すら許さず、運命律によって保障されている。ゆえに空間内部は真空状態で、その中に囚われている彼女は仮死状態になっている。吸血鬼である彼女に仮死というものがあるかは不明であるが。
「でも、見つけたんだよ。ようやく。あの資質を持ちながら、叔母様に認められて真祖になった吸血鬼が。私と同じ姫になったのは出来すぎだけど。」
少女は普段からは考えられない恍惚とした表情で女性に語り掛ける。どこまでも楽し気に、どこか興奮した様子である。その正と負の大きすぎるギャップは不安を感じるほどである。
「計画は大詰め。私の願いは叶えるし、お母さまの願いも叶える。
……だから、もう少しだけ、待っててね。私の妹と一緒に。」
宙に浮かぶ女性の隣に、同じく眠ったままの少女が現れた。白銀の髪を靡かせる彼女は悪夢にうなされているのだろう、苦しそうな顔をしている。
「ねえ、ヨミ。あなたが鍵。」
サーシャがノアと戦っていた時、彼女が興味を持ったのは中で眠るヨミに対してだった。
彼女の後に初めて生まれた真祖の姫。それだけで興味を持つには十分であったが、戦いの中でそれは一層強くなった。驚くべきことにサーシャの“平行”を“空間”で中和し、攻撃を当ててきたのだ。
それは言葉で表現できるほど単純なことではない。"平行"は平行世界への干渉を可能とする能力である。つまりこの世界にいるようでいないサーシャに攻撃を当てるには、的確にサーシャがいる世界を知覚し、その世界との空間を繋げる必要があったのだ。
「あなたには、少しの間眠ってもらうね。平行世界、私が作った楽園で。」
あの時ヨミはティターニアから借りていた魔力を使い、一時的に精霊の力を増幅していた。具体的には、遊びに来ていた精霊王その人と感覚を共有したのであるが、サーシャにそれを知る術はない。
「強くなってね。強くなって、空間と星鍵を使いこなせるようになって。あなたには、期待してる。」
しかし、サーシャはヨミの実力こそ見間違えたが、資質は間違えなかった。
彼女の中にある煌々と輝く本質、その最奥を見抜いた。水属性から来た収束、闇属性から来た終焉、その行き着く先を。
そしてそれこそが、この星全ての原型にして原初の金型に干渉できる能力、星鍵なのである。
この能力を持つものは、いわゆるこの星という巨大なシステムに直接手を加えることができるのだ。生物の在り方が複雑に絡み合う生態系や、それらを支える星の環境それら全てを意のままに操ることができる。
まさしく、神の能力なのである。
「……いつかきっと、私たちを助けてね?」
2章はこれで終了です。
3章は次話からです。
王国、帝国、連合の思惑が交錯し、物語が加速する。
アリエルとアーサーの一人の少女をにむけた覚悟、連合の精霊王への祈り、サーシャの数千年越しの願い。それら全ては彼らにとって大義であり、同時にエゴであった。その行き着く先、それこそが戦争である。そしてその戦争に落とされた一つの爆弾によって世界は混沌に包まれた。
しかし、そんな中にあっても時は絶えず流れ続ける。邪神復活へのカウントダウンは1年を切り、その時は刻々と迫っている。




