閑話 王都にて
世界樹の側に聳える白亜の城。それを中心に扇形に広がる都市がある。街には上下水道だけでなく魔力灯が張り巡らされ、夜であるにもかかわらず昼間のような明るさを保っている。家から光が漏れることはあれど、街そのものが明るいのは王都をおいて他にないだろう。
時刻は丑三つ時。住人の殆どが眠りに落ち、光は灯れども静寂が街を包み込む。そんな中にコツ、コツと足音を響かせて歩く者がいる。
その人は城の中でも最高部にあたる王族の居住区を歩いていた。謁見の間よりも上に位置するそこは王族の私室が並び、王族以外ではその世話係しか立ち入ることができない。もっとも、赦しさえ得ればその限りではないが。
彼は自身の部屋に入ると灯りをつけた。光によって照らされたそこは落ち着いてはいるものの高級感が漂っている。執務用ではない少し小さな机も、部屋の大部分を占めるベッドも全てが最高級品である。
顔に少し疲労が見える彼であるが、それでもベッドに直行することはなく、机に付属されている椅子に座った。机の上には最近まで読んでいた本やメモ書きなどが置かれている。が、それらを端に片付けて机の上に一枚の書類を置いた。
それはアーサーから送られてきた報告書であり、信じ難い事実が転がっていた。
一つは戦争の開始。それ自体は知っていたが、その詳細や敵の想定戦力などは知らないことであった。そして敵の一部にアーサーですら手こずるレベルの兵がいるというのは、大きく想定からずれていた。
そもそもとして帝国のこれまでの戦争はどこまでも物量頼みで、冗談でも質が高いとは言えないものだったのだ。だからこそ、数では劣る王国や連合が質の部分で優位に立て、結果としては拮抗を保つことができたのだ。
だが、質における優位が失われたら全てが変わってしまう。
そしてもう一つは、妹の生存が確認されたこと。そして彼女は魔王に連れ去られてしまったこと。死亡の知らせを受けていたのに、実は生きていて、しかも魔王に攫われた。正直意味がわからないが、詳しくはアーサーから直接聞いたほうがいいのだろう。
第一王女として生を受けた妹は王女とは思えないほどお転婆だった。幼い頃から屋内よりも屋外を好み、部屋の中にいる時でもじっとしていることがあまりなかった。
成長していくにつれ、才があった魔法だけでなく、剣にも興味を持ち、10歳になる頃には騎士団に混ざって木剣を振っていたほどだ。
何が彼女を駆り立てていたのかはわからない。だが、弱気を助け、強気を挫き、そしてそうでありながら王族としての気品と美しさを併せ持つ彼女は、誰もが夢見る理想の王女だった。
そんな彼女を誇りに思うのと同時に、嫉妬の情を抱いていたのは否定できない。死地に駆け、多くの命を助ける彼女を賞賛する声は時を追うごとに大きくなる。初の女王の誕生を嘯かれるほどに。
何故だと叫びたかった。彼も妹ほどではないが、剣も魔法も扱える。それこそ、冒険者のランクでいうところのAランク程度の実力があった。そして王族のみに伝わることであるが、深淵についても知っていた。心身ともに死の際に至ることで得られるスキルであることも。
だが、彼は王族の中でも二番目に、時には最も優先される存在であった。そのために危険な地に降り立つことは禁じられ、またそうでなくとも王族という軛が彼にそれを許さなかっただろう。
幼い頃は親しかったように思う。兄妹としての言葉では言い表せない信頼関係が確かにあった。だが、彼自身が父である国王や側近と共に成長していく過程で、王女である彼女との関わりが薄れていってしまった。性徴を迎え、男と女にある性差がより明らかになったことも彼らを隔てた。
つまり、嫉妬と性差が彼らを分けた。彼は王族としての執務に、妹は理想の体現に全ての力を注いだ。そして、次の接点は彼女の死ということになる。
彼女の死は彼に大きな絶望と喪失感をもたらした。そして不謹慎ではあるが少しの喜びと安心感も同時に彼の中に芽生えさせ、それがまた彼に絶望を与えた。
その負のスパイラルの中で彼は荒れた。夜に眠れなくなり、それは睡眠不足というわかりやすい不調となって彼に襲いかかった。頬は痩せこけ、食事も細くなった。当然集中力は落ち、執務にも影響が出たために、長期の療養を取ることとなった。
彼が療養から帰ってきた時、ちょうどノアはヨミとして3人の弟子を取った頃であった。それより3年の月日が流れていたが、その程度の時間では、彼の中から喪失感と新たに芽生えた悔恨の情が消えることはなかった。
「はぁ。王太子というのもやってやれんな。
…………早く帰ってこい、我らの英雄。いつまで俺を一人にするつもりなんだ。」




