街中決戦 その11
「……随分人相が変わったわね。」
カレンは急変した男の気配に確かな危機感を抱いていた。
彼女は知っていたのだ。深淵の底に広がる無限の闇に魅せられ、自らその中に飛び込んでいくものの末路を。
心身共に死に近づいたときに、そのカウンターとして魂に発現する力が深淵である。言うなれば極限まで強まった生存本能そのものである。
しかし、それらは生に執着する力である同時に死に近づけば近づくほどより効力を増すという矛盾を持っている。そのため、少なからず深淵の力を上げるために自ら死に近づいていくというものがいる。そのような者たちは自身の中で生死の区別がつかなくなり、生物ですらなくなる。
そんな空っぽの器に深淵の化身ともいえる人格が宿ることがある。それは深淵そのものであり、ただただその強烈な生存本能を世界へと放ち続ける化け物となる。
彼女が引き継いだ剣神の記憶の中に何人も深淵の奥深くに自ら身を投げ出したものがいた。そしてそれらは例外なく世界の敵として認知され、秘密裡に処理されていた。
―――おそらく完全に堕ちきったわけではない、わよね。でも厄介なことに変わりはないわ。今度は確実に殺す。確実に、躊躇わずに。
カレンが決意を持ちつつも、しかしそれを隠しきり放った達人の一刀は確かに男の首に吸い込まれ、その首を落としたように見えた。
「……何かしやがったか、小娘ぇ!」
が、その攻撃は当たっておらず、お返しと言わんばかりにギロリと男の視線がカレンを突き刺した。
「ッ!!」
その視線が孕むあまりに強烈な凶兆にカレンは無意識に必要以上に間合いを取ることとなった。恐怖ではなく、不気味さによる厭悪感が彼女の中で大きく広がっていた。
「決めたぞ、女ぁ。てめぇが最初の一人だ!ぐちゃぐちゃにしてやんよ。」
その言葉の直後、男が大きく腕を振りかぶった。踏み込んだ足からにも膨大な力が込められており、それが衝撃波となって周囲に放たれた。そして腕からは魔力と深淵が上乗せされた強烈な拳圧がカレンに襲い掛かった。
―――当然のように攻撃に深淵を乗せているわね。まあ、その化身だから当然だけど。
カレンはその拳圧に対し、刀を振るった。刀から放たれた斬撃は拳圧を切り裂き、男の元へと迫る。
「鬱陶しい!そんな攻撃が俺様に効くわけねぇだろうがぁ!」
カレンの斬撃をまるで虫を払うように手ではねのけると男はイライラしたように髪の毛をかきむしった。
「……仕方ないわね。これ以上街を破壊されるわけにもいかないし、少し本気を出してあげるわよ。」
剣神を始めとした隔世スキルには歴代の知識と力だけではなく、初代が獲得した権能が一つ付与されている。今カレンはそれを解放しようとしているのだ。
そもそも剣神に勇者の聖剣のような特別な能力はない。ただひたすら長年の時を経て培われてきた剣の技とその心得のみが継承されている。
そのため、カレンの攻撃は全て人の域を出ない。確かに人の中では最強、最速であろうが、彼女がこれから生きる世界はその枠には囚われない。そして今がまさにその時なのである。
「行くわよ。」
そのセリフの直後、カレンの姿が消えた。
男ですら追いきれないスピードで消えた彼女は次の瞬間には男の周囲を4人で囲んでいた。
「ああぁ!?」
この手の攻撃は大半が残像で本体は一つと相場は決まっている。なにせ実体と同じ程度の質量をもつ存在を一時的であっても作り出すのは困難を極めるからである。
男はそのありえない現状を前にして、ひとかけらの躊躇いもなく正面にいるカレンに向かって突進した。
カレンの斬撃すら通さない狂気と魔力を纏った男の肉体はもはや鎧という言葉ですら足りない。それほどの強度を持ったものが衝突してくる。
正面に立ったカレンは刀で男の攻撃を受けたが、それでも衝撃を逃がしきることができず後ろに押し戻される。他の3人が男の攻撃が止まった瞬間を見逃すことなく追撃を加えた。
すると、男の右脇腹、左肩、背中に斬撃が走り、血しぶきが上がった。
「いってぇなぁ!クソが!!何しやがった!!?」
思いがけず受けた攻撃に怒りを隠すことなく放つ男であったが、その前に立つカレンは男以上の重傷だった。刀は折れ、膝をついて血を吐いている。おそらく骨は折れ、内臓も傷ついているだろう。
男の攻撃に乗った深淵がカレンの体の中に流れ込み、内側から破壊したのだ。それは深淵を持つカレンですら受けきることができないほど強力だった。
「……ここまでやってようやくあの程度か。まあいいわ。調整はできた。……次で殺す。」
3人に分かれたカレンが一人に集まった。それと同時に刀を収めるとカレンは目を閉じた。
「秘剣、抜刀―――燕返し。」
カレンの呟きの直後、世界が白光に包まれた。その細い光の一条が全てカレンから放たれた必殺の斬撃である。
「ガ、ッ……。アッ……。」
しかもそれらの斬撃にはカレンの権能によって威力が人智を超えた領域に達している。
彼女の権能は“複製”。たとえ武器であろうと攻撃であろうと、そして人体、魂であろうと全てを劣化させることなく複製できる。
彼女の秘剣抜刀、燕返しは瞬きほどの差もなく同時に放たれるたった3本の斬撃である。一つは物体を斬り、二つは魔力を斬り、三つは魂を斬る。対人攻撃の中では避けることはできず受けることもできない、正真正銘の必殺技である。
権能によってその3本の斬撃に同じ斬撃を“複製”によって重ねることで攻撃力を上昇、そしてその攻撃力が上がったその斬撃を再度“複製”することで必殺の斬撃を量産する。その結果、彼女の攻撃は対人必殺技と言うにはあまりに理不尽な攻撃範囲を持つこととなった。
そのため、その斬撃の嵐が止んだ後彼女以外の全ては彼女の周囲にはないはずであった。
「ダメ。この子に死なれたら、困る。」
しかし彼女の攻撃を受けて尚、そこに形を伴って立っている人影が二人存在した。一人はさっきまで戦っていた男。今はもう力なく地面に倒れている。
その側に紫色の髪を手入れすることなく流した紅い瞳の少女が立っていた。年の頃はおよそ15歳ほどだが、その幼さが残る顔には不釣り合いなほど生気が感じられない。感情を失ったかのようにその瞳は冷たく光り、表情の一切を浮かべていない。
「……まさかあんたがここに来るとはね。サーシャ=ヴァレンティ。魔王がこんな辺境の地に一体何の用よ?」




