狂乱に落つ
「……どうして、こうなった?」
茫然自失したように男が呟いた。
その男の前には原型をとどめていない街並みと魔物との戦闘で倒れた仲間の姿があった。
魔物の群れはもうここには居ない。人知れず街を徘徊しているのだろう。
「何でだよ?何が、あった?」
仲間は例外なくうつ伏せに倒れており、その背中に刀や魔法の攻撃の跡が生々しく大量に残っている。
「何で、突然裏切った?」
男には何が起こったのかが全く分からなかった。
最初は魔物こそ知っているものよりも遥かに強かったが、順調に進んでいた。
だが、この街の空気が突然変わってから全てがおかしくなった。
呼吸をせずとも息苦しく、次第に体に力が入らなくなった。
パーティーメンバー全員に似た症状が出た。段階こそあれど、半数がこれ以上の活動は不可能になった。剣は取れず、魔力の操作はままならず、とてもではないが戦力換算できない状態だったのだ。
当然リーダーは撤退を決めた。だが、それは遅すぎたのだ。功名心を抑えて、もっと早い段階で撤退の選択ができていれば未来は変わったのかもしれない。
彼らの前に明らかに異質な存在が屹立していた。巨大な体躯に狂気に染まった顔。それに手に持った包丁のような何か。だが、彼にとっては包丁かもしれないが、人間からしたら大剣も真っ青な代物である。
異常はそれに止まらなかった。小さな唸り声と共にその包丁を握った右腕が明らかに肥大化していった。
スキルの使用である。恐らくは瞬間的に物理的パワーを跳ね上げる"剛力"だと状況から推察されるが、問題はそこではない。魔物らしきものがスキルを使ったのだ。
スキルを保有する魔物は確かに存在する。だが、それは高位の魔物に限られ、オーガはその中に入っていない。想定外に想定外が重なり、冒険者から判断力を一瞬奪った。
運が悪く、その一瞬とオーガらしきものの攻撃が重なった。その攻撃は魔力を纏っていないために斬撃となって飛んでくることはなかったが、圧倒的な風の暴力となって冒険者たちに襲いかかった。
その場にとどまることすら困難なレベルの強風に、万全の状態ですらない彼らは抗う術がなかった。流されるままに吹き飛ばされ、建物に叩きつけられた。
「ウガアアア!!」
その直後のことである。男の近くから狂気じみた咆哮が放たれた。
おかしい。まだオーガのようなものはこんな近くにいなかったはずだ。それに恐らくだがヤツならここまで声は小さくないだろう。
だが、吹き飛ばされた時に打ちどころが悪かったのか、男は起き上がることができなかった。
それは幸か不幸か男の命を助けたのだ。咆哮の直後から仲間の怒りに狂ったような声と悲鳴が断続的に響き渡った。
悲鳴を上げる体を無視して男は何とか顔を上げた。するとそこには、信じ難い光景が広がっていた。
さっきまで体調の悪化を訴えていたはずの仲間が動き回っている。
そしてそれだけでなく、倒れている仲間におもちゃを扱う子供のように無邪気に攻撃を加え続けているのだ。剣や魔法であえて急所を外して痛ぶり、その反応を楽しむように嗤っている。かと思えば突然怒り出し、思い切り切りつけ魔法の雨を浴びせた。
怖かった。ただただ恐ろしかった。仲間が裏切ったことにも仲間が殺されかけていることにも、怒りすら感じることができなかった。偶々倒れた場所が周囲から死角になっていたためにまだ気づかれていないが、もし自分の存在がバレたら仲間と同じ目に遭うだろう。
そう思うだけで思考が恐怖に染まっていくようだった。
暫くすると仲間から悲鳴が聞こえなくなり、狂ったような笑い声だけが残され、それも次第に消えていった。
誰もいない。敵も味方も。裏切った冒険者も、それ以外の冒険者も、いつの間にかオーガのようなものもいなくなっていた。
誰もいなくなった戦場跡で男はゆっくりと起き上がった。その体は恐怖で竦み、小刻みに震えている。
だが、それでも男の中にはその体を突き動かすものがあった。仲間を助けられなかった無力感でも、冒険者としての義務でもない。
ただ助かりたい。その生存本能のみが彼を突き動かす。
彼が本部にもたらした情報は激震を与えた。この状況で裏切ったところで何も益がないこと、明らかに異常であったことから操られているのだろうという結論は早い段階で出た。
そして恐らくそれは街に充満しているいるだけで精神的に疲労する空間か空気が原因であることも。領主館の敷地内はティターニアの魔力が色濃く染み付いているために男の深淵の支配から逃れていたが、その理由を知らずとも中が安全であるということを皆が察していた。
だが、この戦場は生き残りがいた分まだマシな方であった。イチゴのスキル、追跡によってわかっている中でも6つのパーティーの内、3つは壊滅した。死者を出さなかったのは1つのみで、それ以外の2つのパーティーは安否自体が分からない。そして壊滅したパーティーに生き残りはいない。死んでしまったか、狂気に染まり裏切ったか、どちらにせよ戦力に数えることはできない。
そして指揮をとっていたセロのパーティーの安否が不明であることが彼らの崩れかけの精神に更なる追い打ちをかけた。
セロの立てた作戦は決して愚策ではなかった。スキルを用いて現状を正しく整理し、同時に冒険者たちの鬱憤を晴らすような考えうる中でも最善に近い作戦を立てた。
しかし、知らぬ内に守られていたという事実に気づかなかったこと、そして守っていたのがセロのスキルに完全にレジストできる数少ない存在であったことがその作戦の核に穴を空けてしまった。
その結果、たった数十分で彼らの主戦力の大半を失った。これが示すのはただ一つの事実のみである。
即ち、もう打てる手は彼らに残されていないということである。




