プロローグ
「はぁ、はぁ……。」
ダンジョンの中で、少女が荒い息を吐きながら一人で走っている。その背後からは背の丈が少女の倍近くある牛の形をした二足歩行のモンスター、ミノタウロスがその手に巨大で武骨な大剣を握り彼女を追いかけている。その体にはところどころ負傷が見え、片眼からは血が流れている。おそらく少女との戦闘でついたのだろう。残った目は少女に対する怒りのせいで血走っている。
「もう、みんなとはぐれちゃうなんてっ、……。本当についてないなぁ……。」
どうやら少女は一人で来たわけではなく、仲間といたようだ。だからだろうか、彼女の持ち物は魔法使いの右手と言われる木の杖だけで、体力回復用や魔力回復用のポーションも一つも持っていない。当然、このダンジョンの地図も。
戦闘のせいで魔力切れになりかけているのだろう、彼女の体は走りながらも横にふらふらと揺れている。魔法使いだから平均よりも多くの魔力をその体に持っているが、運動神経は平均のそれだ。少しずつ大きくなってくる足音に恐怖を感じながらも前をまっすぐみてその足を動かし続ける。
「……私、死んじゃうのかなぁ?……いやだよ、もっとやりたいことがあったんだから。待ってる子たちがいるんだから。こんなところで死んじゃうわけにはいかないんだ!」
彼女の足に力が入る。体の揺れが収まり、まっすぐその体はダンジョンの中を駆けていく。背後の足音がゆっくりと離れていき、振動が少し聞こえる程度にまで距離がとれた。
「よし、次の曲がり角を曲がって、視線を切れば、」
――逃げられる!!
その確信の元勢いよく曲がった彼女の先にあったのは、……トラップだった。
ダンジョントラップと呼ばれるそれは目に見えるものほど大がかりで危険なものというのが通説であった。逆に気づきにくいものは威力もその分落ちているのだ。踏んでしまっても多少の怪我をするだけで済むことが大半だ。
そして彼女の前にあったトラップは、……地面に大量の細かいひびが走っていて、その上に簡単な魔法陣が描かれている。
つまり、彼女の目の前にあったのはあまりに分かりやすい落下トラップだった。
思わず足が止まる少女。踏んだらほぼ確実に死ぬことが分かりきっているトラップを前に、モンスターに追われているときも若干の余裕を残していた彼女も今の状況を前に思考が固まってしまっている。
『……前に出ろ。生きたければ、このトラップを踏め。』
「……えっ?」
突如聞こえた謎の声に少女の頭が再び働き始めた。一体誰の声か、とか、生きたければ踏めって踏んだら死んでしまうでしょうが、とか言いたいことがたくさんあるのは察せられる。が、同時に背後の様子にも気づいたようだ。
背後の曲がり角からはこちらに近づいてくるモンスターの影が見えている。その本体が見えるのも時間の問題と言えるだろう。
『……貴様程度ではあの門番には勝てぬ。生きたければ、覚悟を決めろ。』
「グギャアアア!!!」
謎の声と共に背後から怒りの咆哮がダンジョンに響き渡る。
「ああもう!分かりましたよ!信じますからね!!」
背後から迫る殺気から逃げるように少女はトラップへとその身を投げ出した。
その足が魔法陣を踏んだ瞬間、ボゴッという不気味な爆発音が地面の中から起こり、同時に地面が崩れ去った。
先の見えない底へと落ちながら少女は自らの死を覚悟した。星の重力に引っ張られグングン加速し、耳に刺さる風切り音がその鋭さを増していく。
その間、少女が感じたのは純粋な謝罪だった。かつて死にかけていた少女を助けた男が彼女に言った一言。彼女の生きる指針となった、運命の言葉。
ーーー困ってる人がいたら、助けるに決まってる。それは善人も悪人もない。人として、当然のことだ。
その大恩ある人の言葉を果たせずに死ぬことに対する謝罪。その身を何度焼き焦がしたとしても消えることのない、あまりに大きすぎる後悔だった。
「あーーー!!!……もっとうまくやれると思ったんだけどなぁーーー!!!」
「なんで、なんでこうもうまく行かないんだろーーー!!??私が弱いからかなぁーーー!!??」
「神様ーー!!今度は、もっとうまくやるから!もっと、困ってる人を助けてみせるから!!もう一回、チャンスをくれないかなぁーー!!??」
漆黒の瞳から流れる雫を宙に置き去りしながら、少女は叫ぶ。
悲痛な叫びを後に残しながら、彼女の体は落ちていく。
「わわっ!!?」
と、その瞬間突如少女の体の落下スピードが落ちた。まるで上から見えない糸に引っ張られるかのように、ゆっくりとその速度を落としていく。
ズンズン速度が落ちていき、とうとう底が見えてきた時にはその耳には風切り音が聞こえないほどになっていた。
「ふう。なんとか、無事に着地できましたね。……なんでかは分かりませんが。」
そのまま、ゆっくりと少女は穴の底に降り立った。少女の目の前に広がっていたのは、小さな神殿だった。壁にめり込む形で存在しているその神殿は中心に小さな扉があるだけで、その周囲一帯は白い石柱によっておおわれている。
周囲を見渡しても同様に石柱で覆われていて、入り口と思えるものはそこしかない。
「……うーん。まあここまで来たら行くしかないですよねぇ……。あそこしか行くところがなさそうですし。ここから上に登るなんて不可能ですよ。」
覚悟を決めた少女が足を動かし、扉へと向かっていく。魔力と体力共に限界に近かった少女はふらふらと体を揺らしながら足を運ぶ。そしてその手が扉に触れそうになった時、扉が勝手に開いた。
『……中に入ってくるといい。生を渇望する、愚かな人間よ。』
頭に響いてきていたが、その声の主が闇に包まれた扉の奥にいるということは疑う余地もなかった。
「……失礼しまーす。」
少女が入ると淡い光が天井に灯り、部屋を照らした。
「……ッ!?」
その部屋には何もなかった。机も椅子もベッドもない。何の匂いもしないし、生活の痕跡がまるで感じられない。
しかし、そんな空間の奥に一人の女性の姿が見える。美しい長い金髪を腰あたりまで伸ばし、その着ている服は煽情的なものでなまめかしい肢体をあらわにしている。しかし瞳は閉じていて、豊満な胸が小さく上下している。少女が入ってきても気づいていないことから随分深い眠りについているのだろう。
――その四肢が背後の十字架から伸びる鎖で拘束されていることを除けば。