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1999年

作者: 後藤章倫

 1999年、俺は自棄のようなものを起こしていた。

 自分が何者になるのか分からないという今思えば阿呆みたいな悩みの中で、もがいていた。色んな事に手を出して、この年はあろうことか演劇の舞台に立って役者と裏方をやっていた。小さな貧乏劇団で演者は裏方の仕事もこなさなければ成り立たない。

 バンドではもう次の展開を望むことを半ば諦めていた時に、ベーシストがライブの時にお客として連れてきたのが、劇団を主宰する座長の男だった。

「芝居に興味ない?うちで役者やってみない?」

その男はライブの打ち上げの席でこう切り出してきたのだけど、それが社交辞令だということは分かっていた。その劇団が大したことのない劇団だということも分かっていた。なぜならその座長の男は普段、ベーシストの職場でアルバイトをして生計を立てているからで、バンドと言っても大したことのない自分らと何も変わらなかった。なのに芝居とか役者、公演みたいな言葉が新鮮に感じられ、ひょっとしてバンドじゃなくて役者なのかもしれないと、いつしか稽古に顔を出すようになり、しれっと劇団員となり、地方公演の舞台上でアタフタと動き回っていた。どうにか初日を終え二日目の準備をやっている時には、俺は何をやっているんだろう?となり、演技にも全く集中する事が出来ず、台本には無い「儲かりまっか?」なんていう台詞を吐いたりして混乱していた。どうにか千秋楽を乗り切ったあとは二度とこんな事はするまいと劇団との縁を切った。いや、俺は多分クビになっていた。

 

 劇団員として地方公演を行っている間、仕事は親方に無理を言って休まさせてもらっていた。ちょっとした手土産を携えて現場に顔を出すと親方から、話があると言われた。

「楽団の旅行は楽しかったか?」

親方はそんな嫌味混じりの言葉から話を始めた。そもそも親方は俺のバンドの事なんかにも全く興味は無く、しかも今回は劇団の地方公演だったのだけど、そんな事はどうでも良いのだろう。

「社長にも話したんだけど、来月からお前独り立ちしろ。もう大丈夫だ。いつまでも俺とやってたんじゃ駄目だから。そうすれば会社ももっと現場を回せるようになるから」

親方からの突然の話に返答をためらった。

「でも独り立ちしたら今までみたいに楽団とかやってる暇は無くなるからな」

何だか俺がやってきたことを全部馬鹿にされたような気がした。俺は憤って出鱈目を言った。

「アメリカに行くんで」

「は?」

「アメリカに行くことになったんで今月で仕事辞めようと思います」


 新宿の中華屋で餃子とビールをやりながらKの携帯にかけてみた。Kは地元にいる時から連んでいる奴で、数少ない親友というカテゴリーの男だ。

「ハロー、今日暇?今から映画見に行かん?」

「暇って、仕事中に決まっとるやろが。今日火曜日ぞ、昼前やし」

Kは面倒くさそうな声だった。

「映画って、お前仕事休みか?」

「仕事?俺はほれ、ミュージシャンやからCD売って暮らしとる」

「ミュージシャンて、そらアレやろ?趣味つーか目標つーか。現場どうした?」

「現場?そんなもんはやーめた」

「切るぞ、仕事中やからな。ほんならまたな」

そう言ってKは電話を強制終了させた。俺は今日、朝一でコレクションのCDを二十枚ほど中古レコード屋へ売って金を作ったのだから、CD売って暮らしているは間違いではない。

 そんな生活を送っていると、大事に集めた貴重なレコードやCDは直ぐに無くなってしまった。それからアメリカの事を少し考えるようになったけど、少しというのは本当に少しだけなので大した進歩はないままにダラダラとした日々を送っていた。

 そんなだったのに本当にアメリカへ行く事になったのは、売れる物は全て金に換えても全財産が二十万円をきってしまった頃だった。なんだか日本が嫌になって、なんていうしょうもない思い付きからだった。格安チケットでニューヨークへの往復航空券を購入した。あわよくばアメリカに住んでしまおうと思っていたので、往復券を買ったのはちょっと矛盾していたのだけど、入国の際に面倒ごとが増えるのを回避したいからと自分に言い聞かせた。でも本当のところは何かあった時に逃げ帰る事ができるようにと思っている筈だ。格安とはいえニューヨーク往復航空券は持ち金を半分ほどに減らした。


 ついこの前アメリカに旅立ったのに、俺は吉祥寺のパチンコ屋で確変を引いていた。JFK国際空港に着いた時は午後十時を回っていた。乗ったイエローキャブの車窓からDEADENDという標識が見えた。

「マジか、映画みたいだな。行き止まりに連れていって銃で。なら後ろから首絞めたろ」

スピードが落ちてきたイエローキャブの後部座席で俺はそう思って、文字通り手に汗を握っていた。車が止まったのは古いモーテルの前で、黒人のドライバーは親切に宿泊の交渉までしてくれた。

「ああ、首絞めなくて良かった」

 セントラルパークでは丁度ニューヨークシティマラソンというのが行われていて人が多かったけどコースとは関係のない場所はゆったりとしていた。大会には日本からヒロミゴーという往年の歌手が参加しているみたいだったけど、全く興味がなかったし彼が変なテンションで走っている姿を想像すると恥ずかしくなった。セントラルパークは吉祥寺にある井の頭公園を大きくした感じという印象がした。

 屋台でホットドッグを食べ空を見上げる。公園の外に建つビルは、映画や絵葉書の世界みたいで現実味がなかった。俺、そもそも何しにアメリカまで来たんだっけ?タクシーを拾う。ドライバーは中東系だった。話しているのは英語なんだろうけど、発音のせいなのか中東訛りみたいなものなのか全く理解出来なかった。そのままJFK国際空港へ向かい帰国の手続きをした。

「往復航空券で良かった」

 やっぱり井の頭公園はセントラルパークのミニチュア版に感じた。行く当ても無く、手持ちの金も少ないのに俺の思考回路は何でそうなるのかパチンコ屋へ入店していた。ただ、ごく稀にいい方向へ傾く事もあって、引いた確率変動は当たりが止まる気配が無かった。十一月も終わろうとしていた。


 何なんだ1999年。恐怖の大魔王はどうした?世界は滅亡するんじゃなかったっけ?俺はこれからどうすんだ?なんかもうどうにでもなれ。

 1999年も師走へ突入して俺は自棄のようなものを起こしていた。無人島とか、と考えるも無人島じゃなぁ、と考えを改める。


 少しばかりの荷物と、少しばかりの現金を持って俺は佐渡ヶ島を目指した。1999年クリスマスイブの夜だった


                〈了〉


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