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 影がよぎった気がした。それに気づいて、ついで目の前が真っ暗なことが分かる。瞼が閉じている。目を開けると、白い光が視界一杯に突き刺さった。

「……朝だぞ」

「なに言ってるの、朝じゃないわ。夜よ」

 隣に、誰かいる?

 身体を起こそうとしたけど、何故か動かない。なにか重い物に押し付けられてる感じだ。仕方なく目だけを声のした方に向けた。

 白衣を着た女性がいた。しばらく見つめていると視界の曇りも晴れて、段々その姿が浮かび上がってくる。腰まで伸びた白みが掛かったブロンドの髪に彫の深い顔立ちで、座っていても分かるほど背が高い。白衣のポケットに両手を突っ込み、口元に笑みを湛えてこちらを見下ろす不遜な態度が様になっている。それだけの自信と力をその女性は纏っているように見えた。

 これだけ特徴的な人というのもそうそういない。すっと頭の中に名前が浮かんできた。

「……パルサ」

「正解。久し振りね、ダフネ」

 パルサ。本名はパルサティラ。召集されたあと、しばらくの間僕と一緒に軍医研修を受けていた同期だ。パルサが一足早く第一兵団に軍医として転属してからもう一年以上会ってなかったけど、まさかこんなところで会えるとは……あれ? パルサがいるってことは、ここは……。

 今度は目線を下に向ける。そこにあるはずの僕の身体は、真っ白な布に覆われてこんもりとした弧を描いていた。病院によくあるシーツだ。

「これ……」

「なに、自分の状況も分かってないの? もしかして、記憶が飛んでたりする?」

「えっと……」

 確かに飛んでいる。僕は十三小隊の初任務でゲリラ部隊の拠点に無謀な偵察に行って……そこで案の定襲われて……ローザがおかしくなって、酷い怪我をして……あれ……ローザは?

「ローザはっ⁉」

 僕は搬送された。ならローザは。酷い怪我をしていたローザはどうなった⁉

 僕が急に跳ね起きると、パルサはびくっと肩を震わせて僅かにのけぞった。

「……落ち着きなさいよ、怪我人なんだから」

「僕は怪我なんかしてない! それよりもローザがっ、ローザの怪我の方がっ、」

「えいっ」

 パルサは僕に取り合わず、僕の脇腹に人差し指を突き立てる。

 その瞬間、突かれた脇腹から全身に電撃のような痛みが走った。

「──っ!」

 思わず倒れ込んだ僕に、パルサはすかさず布団を掛け直す。おまけに布団の端をベッドの下に折り込んで僕が起き上がれないようにしてしまった。

「んで? 誰が怪我をしてないって?」

「……なんで、いつの間に、こんな……」

 確かにこの痛みは治りきってない傷を刺激されたときの痛みだ。でも、これほどの怪我を、それも全身に負った覚えは僕にはない。

「覚えてないなら私が説明してあげるわ。だから、絶対安静。いいわね?」

 わざわざ念を押されなくても、痛みに苛まれている今の僕には動く余裕なんてとてもない。脂汗だらけの頭を縦に振るしか選択肢はなかった。

「ダフネとローザ二位戦術工作官は、北部辺境地域で勃発した反乱勢力の鎮圧作戦に参加。結果、ダフネは全身打撲、骨折三か所、筋肉断裂五か所、それと大量の失血で瀕死の状態。ここの病棟に運ばれてから、今日で三日間昏倒してたことになるわね。ローザ二位戦術工作官もかなりの重症と聞いてたけど、ここにはいないわ。別の場所に運ばれたみたい。ただ、生きてはいるみたいよ。戦死報告が来てないから」

「そっか……」

 生きてはいるのか……よかった。

 斧の一撃を受けたときには、絶望的な状況だった。怪我の程度に対して用意があった薬は全く足りていなかったし、落ち着いて治療を出来る環境でもなかった。そんな状態からここまで持ち直しただけで奇跡のようなものだし、本当に良かった。その経緯には些か疑問点もあるけど、この結果を考えれば安いものだ。

「……はあ。あのさあ」

 テンションが上がり気味の僕とは反対に、隣のパルサは見るからに肩を落としている。どうしたんだろう。ため息なんか吐いて。

「ダフネも医者なんだから、私がさっき説明した怪我がどういうものかくらいは分かるでしょ? 人の心配する前に自分の心配をしなさいよ」

「いや、でも僕はこうして生きてるわけだし……」

 それに、仮に僕が死んでいたとしても、ローザが生きているなら僕は同じ反応をしたはずだ。いやまあ、死んだら反応は出来ないけど。それでも、ローザが死んで僕だけ生きているというよりはマシだ。

 パルサはもう一度大きくため息を吐いて、眉間を指でほぐす。その指の合間から覗く目には不気味な光が宿っていた……あ、まずい。

「生きているのが不思議だ、と言ってるの。いい? よく覚えておきなさい。私に呪われたくなければ、くれぐれもその命を大事にすることね。私は、ダフネに死なれると困るのよ。私がいいと言うまで、勝手に自己犠牲に散るなんて許さない……返事は?」

「……はい」

 その目はいつの間にか紫の光を帯びている。比喩ではない。本当に帯びている。そのことが、この言葉がただのこけおどしでないことのなによりの証拠だ。

 パルサは、実は僕と同じ人種ではない。もちろん人ではあるけど、パルサとその一族は人里離れたところに住み、ある変わった特徴を持っていると言われている。ただ、その特徴がなんなのか知っている者はいない。ただ分かっているのは、その一族はみんな長寿であることと、強い感情を抱いたときにその目が不穏な色を湛えることくらいのものだった。

 パルサについても、多くを知っている人はいない。もちろん僕も知らない。ただ、敵に回してはいけないということだけは僕も含めたみんなが分かっていることだった。

「分かったなら宜しい」

 パルサは目元の不気味な光を引っ込めて、代わりに口元に満足気な笑みを浮かべた。

結局その後、退院のお許しがでるまでにもう二日かかった。そしてその許可は、総指揮官からの呼び出しと同時にやってきた。

「あ、そうだ、ダフネ宛にお手紙が来てるわよ」

 問題なしとの太鼓判を貰って、退院の準備を整えた日の朝にそう言ってパルサが差し出してきたのは、蝋で封をされた二つ折りの厚紙だった。それはどこからどうみても軍で使われる簡易連絡紙で、パルサがそのことを知らないはずがない。お手紙なんて言い方をしたのは間違いなくわざとだ。

 封を切ってみると、そこには短く『至急中央参謀部総会議室に来られたし』とだけ書いてある。段々この字面を見ても動じなくなってきている自分が恐ろしい。

「なんて?」

 ベッドの端に腰かけたパルサが、遠慮なく紙を覗き込んでくる。厳密に言えば軍の個人連絡を勝手に見るのは軍規違反なんだけど、パルサにそんな法は通用しない。

「へえ、中央から直々に連絡? なにやらかしたの?」

「不祥事よりもまず昇進の線を考えて欲しい」

「だってダフネ、もう昇進済みでしょ? ダフネ一位戦術監督官様」

 パルサは狭いスペースで器用に膝を揃えると、三つ指ついて深々と頭を下げた。その所作は美しいけど、ここまで相手に優越感を抱かせないお辞儀というのも珍しいだろうな。なんていうか、勝った気がまるでしないんだもんな。試合に勝って勝負に負けている感じだ。

「まあでも、本当にお説教コースかもしれないけどね。僕がこの体たらくだから」

「それが不思議なのよね。だってダフネ、そんなに鈍くさくないはずなのに、気がついたらあの怪我なんでしょ? なにがあったら、なんの前触れもなく車に跳ねられる並みの怪我をするのよ」

「さあ……」

 もちろん、僕とて本気で自分の怪我のことをどうでもいいと思ってるわけじゃない。お叱りの隙をついて色々訊いてみるつもりだ。

「あっ」

 僕が紙をポケットにしまって荷物を整え、いざ病室を出ようとしたとき、パルサは大きく手を打った。

「もしかして、軍の新兵器ってやつかしら。ダフネにそんな怪我を負わせたのは」

「えっ」

 なんで知ってる? そのことは機密事項だってキーレン指揮官は言ってたはずだ。

 しかし、なぜそれを、とは言えなかった。そんなことを言ったら、それが正解だと認めているようなものだ。

「えっと……なにそれ?」

「ふふっ。私はこれからも第一兵団の医療部にいるから、なにかあったらいつでも来ていいわよ。折角また会えたんだし、仲良くしましょ」

 それだけ言い残して、パルサは風のように病室から去っていった。


 第一兵団の医療部は、本部の建物のすぐ隣にある。医療部の出口を出ればすぐ左には本部だ。おかげですぐに目的地に着いた。

「階級をお願いします」

「ダフネ一位監督官です」

「ご用件は」

「キーレン総指揮官の召集です」

「こちらにどうぞ」

 守衛の士官に案内されて、二度目になる会議室に到着。ノックをすると返事はすぐに来た。

「入れ」

「失礼します」

 部屋の中では、いつぞやの位置にいつぞやの人がいつぞやの姿勢で待っていた。僕もいつぞやの場所で直立してその言葉を待つ。

「体調はどうだ?」

「全快しました」

「それはよかった。今回は災難だったな」

 それは、どちらの災難を指してるのか。無謀な指示に対するものか、それとも怪我に対するものか。けど、それは明らかにはされなかった。

「まず気になっているだろうことを言ってしまうと、ローザ二位戦術工作官も貴官とほぼ同時期に容体が安定した。問題となっていたゲリラ部隊も、ローザ二位戦術工作官の奮戦のおかげで壊滅している。戦果は上々、作戦は成功だ。ご苦労だった」

「壊滅? ローザが壊滅させたんですか?」

 まさか。そんなことはあり得ない。僕の記憶に残っているローザは、どうみても戦える状態じゃなかった。精神的にも、身体的にも、殺されるのを待つだけの状況だったはずだ。

「そうだ」

「有り得ません」

「そうか、貴官はその様子を見てはいないんだったな。本当なら、それを確認するのが貴官の任務でもあるわけなんだが……まあいい。あの反乱勢力を鎮圧したのは、間違いなくローザ二位戦術工作官だ。彼女は、虎の子としての能力を十分に発揮し、作戦を成功させたのだよ」

 そう言うキーレン指揮官の目は真剣だ。反論は許さないという厳しささえ感じられる気配すらある。いつもの悪趣味なからかいではなさそうだけど……だからって、いくらなんでも荒唐無稽過ぎる。

「ローザ二位戦術工作官は、ゲリラ兵士の攻撃によって腕と顔に重症を負ったことにより極度の興奮状態に陥り、その興奮状態のままにゲリラ部隊を惨殺した。その際に近くにいた貴官も巻き添えに遭い、そのときに気絶してしまったのだろう」

「……申し訳ありません、もう一度お願い出来ますか」

 キーレン指揮官がなにを言っているのか、さっぱり理解出来ない。突然興奮状態だとか、惨殺だとか、一体全体なにを言ってるんだ。

「ダフネ一位戦術監督官。貴官は、強い兵士とはなんだと思う?」

「はい?」

「どんな兵士が強い兵士だと思うかね」

 違う、僕が訊き返したのは質問が聞き取れなかったからじゃない。急に話が飛んで驚いたからだ。

「答えろ」

「……経験と技量がある兵士、ですか」

 なんなんだよと思いつつも、取り敢えずそれらしいことを答えてみる。でも、その答えは即座に切り捨てられた。

「違うな。いや、半分正解か? とにかく、技量や経験はあるに越したことはないが、あればいいというものでもない。技量のある兵士とは得てして経験もあるもので、そして経験というのは時として荷物になる。そうではなくて、どんなときでも、どんな状況でも有用に働くものがある」

「……分かりません。なんですか?」

「死を恐れない心だよ。臆病風に吹かれない兵士。これが一番扱いやすく、結果を出しやすい」

「……分かりません」

 この「分かりません」がさっきのものと違うことは、キーレン指揮官にも伝わったらしい。口元に笑みを浮かべ、ゆっくりと椅子の背もたれに寄りかかる。

「まあ、人を死から救う医者としては、そうなるのも無理はないかもしれないがな。しかしこれは間違いないことだ。そして、そんな理想的な兵士を求めた末に生まれたのがローザ二位戦術工作官だ。……ここからは、これを見た方が貴官にとっては理解しやすいかもしれないな」

 そう言ってキーレン指揮官が指さした先には、まるでこの状況を予知していたかのように机の手前端に置かれた書類だった。手に取ると、『特殊戦術二号についての報告』と書かれた表題が真っ先に目に留まった。その下につらつらと文字が連ねてあった。

『二号被験体は極度の攻撃的なストレスを与えられると、一種の暴走状態とも呼べる状態になる。その状態下では激しい攻撃性を示し、周囲にあるものや人に見境なく攻撃を仕掛ける。その際の身体的能力は常人のそれを大きく上回る。また、精神的にも非常に攻撃的になり、自身の負傷や危険は一切気にせず、ただ眼前のものに攻撃することにのみ関心を示す。尚、この傾向は暴走状態に陥る直前の被験体がなんらかの精神混濁状態にある場合に顕著に表れることが確認されている。負荷を掛ける際の本人の抵抗、効果発現の安定化等を鑑み、予め錯乱状態に陥らせることを推奨する。……』

「…………」

「理解出来たか?」

「……なんですか、これは」

「見て分からないか? 我が軍の切り札についての概略資料だよ。因みに、ここで言われている『二号被験体』というのが、ローザ二位戦術工作官だ。この資料を貰った時点ではその攻撃性があまりに強くて制御不能状態だったんだが、その後の研究の結果、僅かではあるが制御が可能になってきた。そこで臨床試験の一段階として実際に運用することが決まったときに編成されたのが貴官の十三小隊で、初の試運用があのゲリラ部隊掃討作戦だった、というわけだ」

「……この、錯乱状態というのは、」

「ローザ二位戦術工作官が暴走する直前、それらしい症状があっただろう。作戦前に呑ませた丸薬には、五感の麻痺や判断能力の低下、軽度の中毒性を引き起こす作用がある。あれで万全の態勢を整えるというわけだ」

「では、攻撃的ストレスは、」

「報告では、腕を深く切り裂かれ、おまけに顔も縦に割られたのだろう? それだけあれば、暴走するには十分だ」

「…………」

「ダフネ一位戦術監督官?」

「……有り得ない」

 そうだ、こんなの有り得ない。あるわけがない。あっていいわけがない!

 僕はこんな症例は聞いたことがないし、類するような話も知らない。こんな話が本当に存在したら大問題だ。

そもそも、一体全体、人の身体のどこをどう弄くったらこんな狂気じみたことになる? 一体全体、人の人生のどこをどう弄くったらこんな狂気じみたことが出来るようになる?

 こんなのは、人のすることじゃない。人にすることじゃない。

「残念ながら、有り得ないことではない。無知な仏でいられるのは今のうちだけだ」

「例えそうだったとして、こんなことが許されるわけがない!」

「それを許すのが私の仕事だ」

「…………っ」

 正気か。いや、正気じゃない。この目は。この男は。

「……狂ってる」

「さて、狂っているのはどちらかな」

 キーレン指揮官は、目配せで僕に報告書を捲るように促してくる。言われるまま捲った二枚目は、しかし一枚目に入りきらなかった署名欄しかなかった。

「    」

 そこには、父さんの名前があった。


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