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それから、本格的にローザとの二人での生活が始まった。
朝。六時に起きた僕が朝食の用意を終えた頃、ローザが決まって目を擦りながら起きてくる。あまりにも間がいいので尋ねてみたら、どうやら食事の匂いで起きているらしい。都合のいいやつだ。
二人で朝食を食べてしまうと、僕たちは途端に暇になってしまう。これと言って指示も来ていないから、なにもすることがない。必然的に話す時間が増えて、それでも間が持たないときには外に出掛けた。
軍の駐屯地には、何年間もそこに缶詰めになる兵士たちの為に、娯楽施設だったり市場だったり、平凡な日常生活を過ごす上で必要なものは大抵ある。そこで足りない物を買い足したり、時間を潰す為だけに宛てもなく歩き回ったりした。
そこで何時間か時間を潰して帰ってくると、今度は昼食を食べる。僕もローザも第一兵団の、それも割と高い位にいるからお金には困らないけど、僕の習慣でなるべく節約する為に僕が作る。因みに、お金の管理は僕がすることにした。ついこの前まで平士官だった僕とは違ってずっと前からその位にいたらしいローザの所持金はかなりのものだったけど、肝心の本人の管理が杜撰というか、そもそもお金の管理のなんたるやを分かっていないようだったからだ。普段の様子を見ていると、平気で全額持ち歩いた末にトイレとかに置いてきかねない。
昼食を食べてしまえば、あとの時間が経つのは早い。ローザはお昼を食べると決まって何時間も昼寝をするからだ。子供どころか幼児みたいなその習慣は、今までずっと寝ていたかららしい。ローザは、これまで軍でなにをしていたのかを尋ねても、「んー……寝てた、と思う。あと、夢を見てた」としか答えない。もしそれが本当ならとんだ給料泥棒だぞ……。
ともあれ、ローザが寝付くのを見届けた僕は手のかかる赤子がようやく寝たときのような気持ちになって、二階で自分の研究に取り掛かる。
けど、ここで問題があった。薬だったり資料だったりを取りに行く為に出した一時帰宅の申請が悉く却下されたのだ。普通、余程の緊急時でもない限り許可は下りるものだ。事実、士官だったときの同期連中は時々帰っていた。それなのに、僕にだけ許可が下りない。その理由は『安全保障上の問題』……意味が分からない。ローザの、軍の虎の子の安全を保障する為に申請しているのに。仕方ないから、市場で買えるだけの資料や材料を買って、まずは最低限必要そうな薬を揃えている。……って言っても、どう考えてもこれじゃ限界がある。なにかしらの方法は考えないといけない。
そう遠くないうちに、彼女に頼らないといけなくなるかもな……。
そして、日が暮れる頃になると空腹で目覚めたローザがご飯を求めて二階に上がってくる。それを合図に僕の集中は途切れて、夕飯作りに取り掛かるのだった。
そんなこんなで、はや二週間。何事もなく過ぎていた。
「……朝だぞ」
窓から差し込む白い光に突っつかれて目を醒ます。寝ぼけたままの自分が二度寝しないように釘を刺すと、ベッドから降りた。
自慢じゃないけど、僕は相当朝に弱い。どれくらい弱いかというと、目覚めた瞬間の僕に「まだ夜だよ」と言えばそのまま二度寝するくらいだ。士官になったばかりの頃は、同室の奴らに散々悪戯されていた。
今でこそ、何年もかけてこの時間に習慣づけて、自己暗示まがいのことをしてようやく立ち上がることはできるようになったけど、それでも弱点克服には至らない。完全に目が閉じた状態のまま数週間かけて培った勘を頼りにラウンジまで歩き、台所で蛇口を捻る。
勢いよく飛び出した水の音で目が開き。
手で掬った水の冷たさに意識が戻り。
顔が水浸しになった頃になって、ようやく完全覚醒した。
「なにが残ってたっけな……」
いつものペースを取り戻した僕の頭が真っ先に考えるのは、朝食のメニューをどうするかだ。台所中を探し回って、時間と在庫と気分とで会議を開く。
メニューが決まればあとは早い。手早く料理を作りながら、合間に部屋の唯一の窓と扉を全開にして換気をする。窓から空気が流れ込んできて、扉を抜けて出て行った。風が冷たいおかげで、その動きが見えるようだった……もうそんな季節か。早いものだなあ。
朝食の完成まであと二割というところで、奥の方から物音がし始める。蝶番が軋む音、次いでのそのそとした足音。
「……おはよー……」
両手で目を擦り、ズボンの裾を床に引きずりながらローザが起きてきた。
「おはよう」
「おはy……んー、寒いー……」
パジャマの裾からはみ出したお腹を冷たい風がなぞったのが気に入らなかったらしい。ローザはまともに開いていない目を器用に不満の形に歪めると、乱暴に扉と窓を閉めてしまった。そろそろ換気も終わった頃だろうし、丁度いい。
「今日の朝ごはんなに?」
ローザは台所に備え付けられたカウンターに顎を乗せるようにして僕の手元を覗き込む。その目はまだ半開きで、嗅覚を頼りに今日の献立を当てようとしている。
「さあ、なんでしょう」
「うーん……あ! 分かった!」
「はい、ローザさんっ」
「卵料理!」
「もう少し具体的にお願いしますっ」
そんな茶番をしている間に朝食が出来上がる。ローザがそれをテーブルに並べて、僕らは向い合せに座った。
「いただきます」
「いっただっきますっ」
今日の朝食はサンドイッチ。ローザは飛び散るパンくずをものともせず、勢いよくかぶりついている……あれ、よく考えたらこれ、卵こそ使ってるけど卵料理じゃないな。具体性云々以前に、そもそも不正解だったか。
しばらくの間お互い無言でサンドイッチを食べていたけど、僕が自分の分を食べ終わった頃、ローザがちょいちょいと手招いてきた。
「なに?」
「ふへ、ふぉふふぁふぁひふゅふほ?」
「人間にも分かる言語でお願いします」
「……ねえ、今日はなにするの?」
「今日? 今日かー、どうしようかー……」
完食したローザの口周りを拭きながら考える。そういえば、どうしようか。必要な買い物は昨日済ませたしな……。またウインドウショッピングかな。
そんなことを考えていると、突然扉が音を立てた。誰かがすぐそこまで来ていて、ノックしているらしい。
「?」
「……こんな時間になんだろ。ローザ、お皿片づけといて」
流石にこんな至近距離なら皿を割ることもないだろう。そっちはローザに任せて、来客の対応をすべく戸口へ急ぐ。
「はーい……?」
「十三小隊。本部より召集だ」
そこにいたのは、なんと、白金の軍刀を提げた大尉だった。見慣れないその姿に理解が追い付いていない僕に対して、大尉はあまりにも簡潔に、且つ淡泊に、それだけを言い渡した。
とうとうやって来た出撃命令は、あまりにも慌ただしいものだった。これから戦場に向かうという意識を抱くことすら出来ないほどに。僕はただ言われるままに軍服に着替え、用意できていた僅かな薬を持ち、この期に及んでまだ着替えてすらいないローザを着替えさせ、顔を洗い、寝癖を整え、遊びに行くという勘違いを何度も正しながら準備を整えたのだった……これ、気持ちの整理が出来なかったのは九割方ローザの所為だな。
そんな僕たちの茶番を大尉は外で無表情のまま見つめていた。息を切らしながら準備の完了を報告しても一言も言わずに、黙って歩き出す。連れられるまま第一兵団の駐屯地の出入り口近くまで行くと、そこには大きめの輸送車が一台用意されていて、その荷台に乗せられる。二十人は乗せられるサイズだけど、中には誰もいなかった。僕とローザの二人だけだ。
「それでは出発する。大人しくしているように」
僕たちが乗り込んだのを確かめると、大尉はそう言って──うろちょろしているローザをガン見しながらそう言って──どこかに消えた。間もなく車が動き出し、発進する。
「ねえ、ダフネくん」
椅子に座っていることも出来ず、荷台の中を歩き回ったり張られた天幕を引っ張ったり帽子を指先に引っ掛けて振り回したりしていたローザも、流石にいつものお出かけと違うことは分かったらしい。代わりの答えを求めて僕を見る。
「これ、なに?」
「教えてあげるから、まずは座って。転ぶから」
手で僕の隣を叩いて見せると、ローザは大人しくそこに収まった。聞き分けはいいのがせめてもの救いだ。さて、どう説明したものか。
これ、というのは荷台のことではないだろう。見覚えのない車に乗せられてどこかに運ばれているこの状況がなんなのか、ということを訊きたいに違いない。ただ、ここでそれを説明してどこまで理解してくれるのかが分からない。
取り敢えず、ローザにも実戦経験が皆無なのは間違いない。どころか、自分が軍属であるということ、その意味すら分かっていないと思う。
そして、今回呼び出されたのが僕の『第一の任務』に当たるというのも、想像に難くない。実戦経験すらない『虎の子』の『試運転』だ。それが訓練なのか実戦なのかははっきりしないけど……多分、実戦だ。
属国との国境近くでゲリラ部隊が蜂起した、というニュースが入って来たのは一昨日のこと。キーレン指揮官がいつだったか言っていたのも属国の反乱についてだったし、そのゲリラ部隊の鎮圧が『試運転』だったとしてもなにもおかしくはない。だとすれば、今日こそダフネがその『虎の子』性を発揮して反乱勢力を一掃し、僕がその戦果を記録する……ことになるんだろうけど。
「?」
隣で愚直に正解を待って僕を見つめる歳不相応な精神年齢の女の子に、そんな力があるとはとても思えないんだよなあ……。むしろ、そんな所にやっちゃ駄目なんじゃなかろうか。この子に血化粧は似合わない。
「ねーえー、教えてよー」
僕がいつまで経っても教えないので不審に思ったらしい。ローザは口を尖らせて僕の身体を前後に揺さぶる。ただでさえ乗り心地がいいとは言えないのに、そこに追い打ちをかけられては堪ったものじゃない。酔い止めの手持ちはない。すぐに降参した。
「僕が教えて欲しいくらいだよ」
目避けの天幕に開いた穴から覗く限り、車は国の中央からどんどん遠ざかって、国境の方へ向かっているようだった。予想は合ってたみたいだ。全く嬉しくないけど。
ローザはと言えば、しばらく退屈しのぎに付き合っていたら疲れてしまったらしい。完全に夢の世界に入っていったローザの頭が落ちないよう手で支えながら、持って来た薬の確認をしていると、車が動きを止めた。着いたのか?
果たして荷台のそばを誰かが通る足音がして、すぐに天幕が持ち上げられる。僕たちを呼びに来た大尉が相変わらずの鉄面皮でそこにいた。
「着いたぞ。降りろ」
「ほらローザ、着いたって。降りるよ」
降ろされたのは、なんの変哲もない田舎の街道街の外れだった。街から少し離れた所に森があって、車はそこの木々に隠れるようにして停まっている。
「えっと……ここは、どこですか?」
街は、人気がないことを除けば特に荒れた様子もないし、軍の姿もない。至って平和な様子だ。実際に戦場にでるものだとばかり思ってたから、その静けさは意外だった。
「ゲリラ部隊が根城にしている街だ」
「へ?」
大尉が平然と言った言葉に、思わず素で訊き返してしまった。いやでも、待って、今なんて?
「今回の十三小隊の任務は、この街を偵察し、ゲリラ部隊の動向を報告することだ。本軍がこれより後方に待機しており、十三小隊の偵察の結果を待って出撃する手筈だ」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ」
「なんだ?」
なんだ、じゃないよ。なにを不思議そうな顔をしてるんだ。なに当然のように喋ってるんだ。
「僕もローザ二位戦術工作官も、実戦経験のない素人ですよ⁉ それなのに、あろうことか強行偵察をしろと言うんですか⁉」
「……お前、まさか自分たちの本来の役目を忘れたわけではないな?」
大尉は、否と言わせない鋭さを孕んだ目で僕を射抜く。もちろん、そんな威嚇されなくたってそんなことは分かっているつもりだ。
「ローザ二位戦術工作官の試験のことなら、」
「分かっているならそれでいい。早く行け」
大尉は、話を打ち切るように手を振ると、寝ぼけたままのローザを僕に押し付けて背中を押してくる。
「あ、ちょ、」
「そうだ。任務にあたり、ダフネ一位監督官には支給されているものがある」
そう言って大尉が渡してきたのは、片手で持てるほどの大きさの鉄製の盾と刀。そして、謎の丸薬が入った小瓶。
「任務を開始する前に、ローザ二位戦術工作官にはその薬を飲ませること。その装備はダフネ一位監督官のものだから、ローザ二位戦術工作官に装備させる必要はない。それでは、健闘を祈る」
その二つを僕に押し付けてしまうと、大尉は辺りを警戒するように見回してから、そそくさと車に乗り込む。僕がそれ以上食い下がる間もなく、車は逃げるように発進していった。
「……嘘だろ」
これじゃ、まるで特攻隊じゃないか。こんなのは偵察でもなんでもない。ただの捨て駒だ。生贄と言ってもいいかもしれないけど、なんにせよ正気の沙汰じゃない。
この国では『虎の子』ってのは『捨て駒』って意味だったのか? こんなお粗末な人身御供の為に僕はわざわざ呼び出されて、ローザはただ飯を食わせてもらってたってことなのか?
いくらなんでも馬鹿らし過ぎる。
ローザは、そんなことはつゆ知らず寝ぼけている。その様子は可愛らしいけど、流石に今はそんなことも言ってられない。その肩を揺さぶって起こす。
「ローザ。そろそろ起きて」
「んー……」
鬱陶しそうに眉を顰めただけで、起きる気配はない。それならばと、今度は鼻を摘まんでみる。
「んんー……」
ローザは首を振って指を振り解こうとして、それが出来ないと分かると手で跳ね除けにきた。ここまでアグレッシブな動きは出来るのに、まだ覚醒には至らない。こうなったら最終手段だ。鼻に加えて、口も覆った。
「んーん……ん?」
ようやく、ローザがその目を開けた。
「……あれ?」
「起きた? 起きたなら、ちょっと自分で立ってて」
ローザを引き剥がして、大尉から押し付けられた物を地面に並べる。するとローザが興味津々で覗き込んできた。
「これなに?」
「僕たちの仕事に必要なものだって」
「仕事?」
「そう。あの街に行って、様子を見てこいってさ」
木々の隙間から見える家々を指さすと、ローザはふーん、と呟きながら活気を失った街を見やる。
「あそこに行けばいいの? そうすれば私の今日の仕事はお終い?」
「そうだけど……お終いになるのは僕たちの方だよ」
最後に付け加えた精一杯の愚痴は、もうローザの耳には届いていなかった。しゃがみ込んで、置かれた盾なんかを弄っている。珍しいものをみるかのように忙しなく行き来するその目が、小瓶に気づいてその動きを止めた。
「あ」
「なに?」
「これ!」
ローザが宝物を見つけたときの子供のように見せつけてきたのは、謎の黒い丸薬が一粒入った小瓶だった。
「それがどうかした?」
「私、これ知ってる!」
「え。そうなの?」
僕には、その丸薬がなにで出来ているのか、なんの為の薬なのかまるで見当がつかない。少なくとも、一度も目にしたことがない薬なのは確かだった。けど、それをローザは知っているという。
「うん! 前は何度も呑んでたんだよ!」
言うなり、ローザは僕が制止する間もなく瓶の蓋を開け、丸薬を呑んだ。
「あっ、こらっ!」
「ふぁふっ⁉」
この馬鹿! 正体も分からないモノを無警戒に呑むなんて!
慌ててローザの口に手を突っ込んで、薬を吐き出させようとする。けど出てくるのは空咳のみで、重い丸薬は既に深くまで入っていってしまったらしい。
「げほっ、けほっ……もー、止めてよっ」
「止めろはこっちの台詞だっ!」
僕が急に大声を出した所為か、ローザの肩がびくっと跳ね上がり、表情が引き攣る。人のそういう姿を見るのは苦手だけど、ここは心を鬼にしてがつんと言わなくちゃならない。この前の洗剤といい、今回の丸薬といい、この子にはなんでもかんでも呑み込む癖がある。それも子供の特徴だと言えばそれまでだけど、この子は全てにおいて子供なわけじゃない。高い所に置いてあるものにだって手が届いてしまう子供だ。なら、そもそも呑み込むことがいけないということを教えなければならない。
「こんな、どういうものかも分からないものを呑んだら駄目なんだよ! これがローザの身体にとっていいものかどうかも分からないんだから! 薬は人を治すものだけど、必要じゃない薬は、それは人にとって毒みたいなものなんだから! だから、無闇に物を口に入れない! もし口に入れるなら、それが口に入れていいものか確かめる! それがはっきり分からないなら入れない! 分かった⁉」
僕としては、全力を尽くしたつもりだった。言葉も選び尽くしたし、態度も考え尽くした。けど、肝心のローザには、それが伝わりきらなかったらしい。僕が叫んでいる間こそ神妙な顔をしていたけど、僕の息が切れるとへらっと笑う。
「そんな、大丈夫だよ。前から何回も呑んでるんだし。それより、あそこに行けばいいんでしょ? 早く行こ」
「…………」
この調子だと多分、僕がなんで声を荒げたのかも分かっていない。ただ僕の言葉が、僕の話が終わったことだけを認識して次の予定に移ろうとしている。その予定の内実も知らないまま。
「でも、あそこに行ってどうすればいいの? 早く終わるといいけどなー。お腹空いちゃいそう」
森を突っ切って行くローザの足取りには慎重さだったり遠慮は一切ない。この先に物騒な連中が陣取っていることを知らないからか、それとも単に本人の気質の問題か。そして、例え理由がそうだとしてもなんらおかしくはない気がする。
この女の子は、なにかおかしい。身体の発育に不釣り合いな精神だけじゃなく、もっと別のなにかがあるはずだ。
いや。
もっと別のなにかがないのか。
そんな薄気味悪さが足を引っ張って、ずかずかと進んでいくローザを急いで追いかけながらも、その横に並ぶことは出来なかった。
ローザは、歩くペースを一切変えることもないままとうとう街道のど真ん中まで来てしまった。流石にこの期に及んで気味が悪いだのなんだの言ってる余裕もなくて、慌ててその肩を掴んで止める。
「ちょっと、ちょっと待って!」
「ん? あれ、ダフネくん、なんでそんなに汗かいてるの? びっしょりだよ」
この街の静けさの意味を知ってれば、そりゃあ汗もかくだろう。ローザが涼しい顔をしているのは、知らぬが仏というやつだ。
「とにかく、戻ろう。ここは危ないから」
「危ない? こんな静かなのに?」
「静かなのがまずいんだよ」
「? でも、ここに行かないと仕事が終わらないんでしょ? ……あれ、でもどこまで行けばいいの?」
「だから、その仕事自体、そもそも破綻してるんだよ。そんな仕事の為に危険に首を突っ込む必要なんてないんだから、早く戻ろう」
「危険って、なにが危険なの?」
「だから、ゲリラ部隊がここに潜んでて、」
──ガアンッ‼
僕たちのすぐ後ろにあった家屋の戸口が激しい音と砂煙を立てて吹き飛んだ。そしてその煙の中から三人の男が現れた。全員灰色の服に全身を包んでいて、同じ色の布で目元以外を覆っている。そして、各々の手には金属製の槌や斧、大振りの包丁が握られている。
「……っ」
「あれ? ダフネくん、この人たちなに?」
「下がっててっ‼」
僕がローザを後ろに突き飛ばすのと、ゲリラ部隊の一人が突っ込んできたのは同時だった。
大上段に振りかぶり、一切の遠慮なく振り下ろされた槌を左手の盾で受け止める。金属同士
の立てる音とは思えないほど低く鈍い音がして、盾越しに僕の腕が陥没したような衝撃が走る。
槌と刀という違いもあるのだろうけど、殺意のあるなしもあるのだろう。訓練で盾を使ったときとはなにもかもが違う。そして、違いはもう一つ。
なによりも、余裕がない。なにかを考え、判断する余裕が。
「──ぐっ!」
痺れるほどの敵意を遠ざけたい、その一心で腕に力を込めて槌ごと男を突き飛ばす。同時に僕は後ろに退いて、距離を開けた。
「ローザ! 大丈夫⁉」
「…………」
返事がない。まさか、どこかに怪我を?
目の前の状況も忘れ、反射的に振り返る。
ローザは、ちゃんとそこにいた。見たところ怪我もない。
「ローザ!」
けど、意識はその限りではなさそうだった。僕が乱暴に突き飛ばしたときにでも転んだんだろう、尻もちをついた姿勢のまま固まっている。いや……正確には、頭は回っている。
ぐるん、ぐるん、ぐるん、ぐるん。
ローザは尻もちをついた姿勢のまま、遊具のように頭だけを回していた。その目は明いているけど、視線は定かじゃない。ずっと回している所為か、口元からは唾液が糸をひいて垂れていた。
何度か見たことのある、狂人の姿そのものだった。
「ローザ⁉」
返答はない。様子をよく見ようと向き直った瞬間、目の前の地面に影が走った。
「あっ──」
咄嗟に振り抜いた左手は、奇跡的に背後の男に当たった。鈍い感触がして、一拍遅れて呻き声が聞こえる。けどそれで終わりじゃない。その後ろにいた二人が飛び出してきた。
一人の刀を受け止める。競り合いに持ち込んでその一人の動きは封じたけど、その隙にもう一人が僕の右手に回り込んできて、斧を振り下ろした。
──受けられない!
頭で判断が出来たのはそこまでだった。右手が勝手に腰に伸びて、刀を引き抜く。そのまま、居合抜きで切りつける。手応えはなかったけど、怯ませることはできた。
「ローザ、ローザ! 聞こえてるなら返事して!」
そんな命のやり取りをしている間でも、僕の意識の六割は後ろのローザに向いている。せめて声だけでもと大声で呼びかけるけど、反応はない。変な挙動をしてる所為で漏れた不規則な音しか返ってくるものはなかった。
やっぱり、落ち着いて様子を見れないと……っ。
斧と刀の二人は姿勢を立て直し、盾を構えた僕の隙を突こうと身構えている。更にその後ろでは、槌を持った男も立ち上がろうとしているところだった。三人が揃ってしまえばお終いだ。「うあああああっ!」
二人が同時に飛び掛かってくる。刀は正面から、斧は右手側から。
くそっ。
どうすればいいのかも纏まらないまま、取り敢えず盾を構える。ただ、今度は駄目だろうという意識がどこかにあった。頭も身体も、まるで動かない。
あと二メートル。刀は盾で受けよう。
あと一メートル半。斧はどうする?
あと半メートル。どうする?
どうする?
どうする?
どうする?
どうしようも、
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
迫りくる刃を見つめていた視界の端から手が割り込んできた。その手は目の前の刃にかざすように掌を向けて。
振り下ろされた刀に、縦に切り裂かれた。
えっ
「あああああああああああああああああああああ」
ローザが。さっきまで後ろで尻もちをついて目を回していたはずのローザが。僕の背中にいる。肩越しに手を伸ばしている。左側にはローザの顔がある。
「──ローザっ⁉」
なにしてるんだっ⁉
その一言は声にすらならなかった。刀を放り出して振り返る。そこにいるローザは、もう頭を回転させてはいない。顔色こそ少し蒼い気はするけど、その表情は自然だ。
自然な、笑顔だ。
「ねえ、ダフネくん、みてみて」
右手でゆっくりと空を指す。その手が僕の頬を掠めて、ねっとり生暖かい感触を残していく。
「てんきいーねー」
「……な、に言ってる……」
今日は朝から曇りだ。
ローザは降り注ぐ日差しを楽しもうとでもするかのようにその手を広げ、顔の上にかざす。ぼとぼとと音を立てて、鮮血がその顔に滴り落ちた。それが目に入ったのか、顔を顰める。
「あれえ? あめだ。つめたー」
「ローザっ!」
真っ赤な手で顔を無遠慮に撫でまわすその姿に、寒気がした。
なにかが致命的に壊れてる。
見てはいけないものを見た気がした。それでも震える手で鞄から包帯を取り出し、右手に巻き付ける。切り傷は掌から肘まで達していて、持って来た包帯を使い切ってしまった。その上から薬を、
「あーっ」
いきなり声を上げて、ローザが腕を持ち上げる。僕の手にぶつかって薬の瓶を叩き落としたそれは、僕の後ろを指さしていた。
「いけないんだー」
振り返ると、いつの間にか近くに来ていた男が斧を僕の脳天に振り下ろそうとしていた。突然指さされて驚いたらしい男と、完全に無警戒だった僕との間に奇妙な沈黙が訪れる。
その沈黙の中で動いたのはローザだけだった。身体を起こし、僕と男の間に割って入ろうとする。なんの用意もなく、一切の用心もなく。まるで仲裁でもしようとしているかのように。そして、それに先に反応したのは男の方だった。突然首を突っ込んできたローザに目標を変え、斧を振り下ろす動作を再開する。
「危ないっ!」
煌めく斧の光でようやく反応した僕の動きは、ワンテンポ遅れた。ローザの肩を掴んで目一杯手前に引き戻す。それでも、斧が嫌な音と感覚を残していくのは避けられなかった。
「ローザ……うっ!」
怪我人を見て声を上げたのなんて、いつ以来だろう。
胸に抱えたローザの顔は、真っ赤だった。
血の付いた手で拭ったからじゃない。血は、確かに顔から湧き出ていた。
額、鼻、口を縦に突き抜ける一直線。斧が掠めた軌跡は判別しにくいけど、血の色が取り分け深くなっている縦線がそれだろう。所々から泡が弾け、その度にぬるい空気と不安を掻き立てる匂いが湧きたつ。
「…………」
「ごめっ……ローザ、ごめんっ……今手当てをっ……」
さっきまでの笑顔すら血の海に覆われ、今のローザがどんな表情をしているのかも分からない。その下は……想像したくもない。
もうかなり軽くなってしまった鞄をひっくり返す勢いで漁る。なにか、なにか使えるもの。残ってるもの。なにかないか……っ。
「……zs」
「ん……?」
腕の中のローザが、微かに身じろぎした。気がした。大丈夫、まだ息はある。
「ちょっと待っててローザ、今くす、
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