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「ローザ、箒取って」

「はーい」

「違う、それははたき。それじゃなくて、ほらそこにある……」

「これ?」

「それそれ」

 任務の説明を受けた次の日、僕とローザはまず宿舎の整理に取り掛かっていた。駐屯地の中にある売店で必要そうなものを大量に買ってきて、今はラウンジの掃除をしている。昨日台所は辛うじて機能していることは確認したから、あとは綺麗にすれば使えるようになるはずだ。

「取って来たよ」

「ありがと。じゃ、ローザはその辺に座ってて」

「はーい……」

 積みあがった道具の山から無事目的のものを引っ張り出してきたローザに、既に掃除の終わった一角を指さす。ローザは少ししょんぼりしながらも、大人しくそこに座った。

 しかし、仕方のないことなんだ。僕だって、手伝ってもらえるならそうしてもらいたかった。けど、この女の子には、致命的に掃除、整理整頓の技術がない。具体的に言えば、掃除をすることよりも箒を振り回すことが目的になってしまうというか……ローザが張り切って箒を動かせば動かすほど、部屋には埃が充満していくという有り様だった。その辺については今度しっかりと教えるとして、今は見学に回ってもらっている。

 敷き詰められた石材の隙間をなぞるように箒を動かす。埃の万年床と化した隙間からは、掃いても掃いてもごみが飛び出してくる。根気を総動員して掃き続けた。

 次は台所。ここは特に流し台の汚れが酷かった。

「ローザ、その袋の中から瓶取って。大きめの、青いやつ」

「はいっ」

 手持ち無沙汰にはたきで遊んでいたローザは、僕が声を掛けると張り切って駆け寄ってくる。活躍の場が出来て嬉しかったらしい。つくづく子供だ……。

「それ、なにに使うの?」

「洗剤代わりにするんだよ」

 受け取った瓶の封を切って、中の青い液体を数滴汚れ切った流し台に垂らす。すかさず濡らした布を用意して、液体を満遍なく広げた。

「…………?」

「まあ見てなって。あっ、触らない触らない」

 そのまましばらく待ってから全体に水を流す。すると、さっきまでの汚れは消えて新品同様の色合いを取り戻した流し台が現れた。

「えっ! なんでっ⁉」

 これだけ普及した薬品でこんな反応を貰えるというのも、なんか新鮮で悪くない。

「それ貸してっ」

 しかし、悦に入っていられたのも束の間だった。興奮しきったローザが蓋が開いたままの瓶を手に取ってひっくり返し、下から覗き込もうとしたからだ。

「あっ、こらっ」

 慌てて取り返して、なんとかその場はことなきを得たけど、瓶を取り上げられたローザは不満げで、洗剤を飲もうとしたことの危険性はこれっぽっちも理解していなさそうだ。

 ──誤飲の恐れがありますので、お子様の手の届かない所に保管して下さい──

 見慣れ過ぎて意識することもなくなっていたそんな注意書きが、じりじりとした危機感と共に目に入った。

 取り敢えずラウンジが見れるものになったから、次は右手側の三つの部屋だ。こっちに関しては、掃除だけじゃなくて家具も整えないといけない。

「それじゃ、まずはローザの部屋からかな」

 三番目の、ローザがいた部屋の扉を開ける。別に部屋割りをしたわけではないけど、なんとなくここがローザの部屋ということで定着しつつある。

 中に入って、買ってきた明かりを置く。ぼんやりと見えるようになった部屋には、ベッド、机と椅子、衣装棚と、最低限の家具は置いてあった。整備は一番楽そうだ。

「ローザは、ここで寝泊りするってことでいい?」

「うん、いいよ」

 ついてきていたローザに確認すると、二つ返事で頷く。

「分かった。なら、他に欲しいものはある? 家具とか、それ以外でもいいけど」

「え? 別に要らないよ?」

「そっか」

 そう言えば、かなりストイックな生活観を持ってたからな……。このくらいのものがあれば、十分すぎるのかもしれない。

 例によってローザには外に出ていてもらって、その間に一通り掃除を済ませ、家具の汚れを拭き取り、洗う為にマットレスとシーツを回収した。

「お待たせ」

「あっ。終わった?」

「うん。あとはこれを洗えば、ローザの部屋は終わり」

「なら、私が洗う! あの青いやつ使ってみたい!」

「えー……」

 どうやら、その好奇心はまだ枯れていなかったらしい。どうしたものか。さっきの感じを見る限り、使わせたくはないんだけどな……。

 けど、その目は期待でらんらんと輝いている。これを無碍にするっていうのも如何なものか。

「……分かった。なら、さっきの流しに水を貯めて、そこにシーツとさっきの青い液を少しだけ入れて。マットの方はなにもしなくていいから」

「分かった!」

「飲んだら駄目だからね」

「分かった!」

「目に入れるのも駄目だよ」

「分かった!」

「手についたらすぐに洗ってね」

「分かったってば!」

 ローザは露骨に鬱陶しそうな顔をしながら、シーツを抱えて走っていった……本当に大丈夫かな。一抹の不安は残るけど、あっちは大人しくローザに任せて、僕は僕に出来ることをしよう。取り敢えずはローザの部屋を確保できたので、もう二部屋に手を付けるのは後回しでいい。それよりも先に見ておきたいものがあった。

 明かりを手に、突き当りにある階段に足を掛ける。昨日はここから先を見る余裕はなくて、二階になにがあるのか、その間取りすら分からない状態だ。早いうちに確かめておきたかった。

 一階も凄かったけど、二階もまた酷い汚れようだった。一歩階段を上る度に、傍目に見てもわかるほどの埃が舞い上がる。なるべくゆっくり、埃を立てないように階段を上がっていく。時間を掛けて上りきった先には、扉が一枚あるだけだった。蝶番の油が切れて金切り声を上げる扉をなんとか押し開ける。

 二階はフロア全体が一つの部屋になっているという構造のようだった。壁もなにもなく、ただ広いスペースが広がっているだけ。だからか、部屋の端にポツンと置かれた大きな机と棚が目を惹いた。

「…………?」

 他に見るものもないしと近づいてみると、その机になにか変なところがあることに気づいた。いや……もっと正確に言うなら、机そのものよりも、それに抱く感想がおかしい。僕のなかのなにかが、猛烈に刺激されているような。

 机そのものは、取り立てて言うこともないようなありふれた机だ。強いて言うなら少し大きめだけど、それだって常軌を逸しているわけでもない。木製の天板に、申し訳程度に取り付けられた仕切り板。引き出しのようなものはなく、机の上で作業することが主な用途になるんだろう。実際、なにかの作業をしたときについたらしい傷跡が幾つもある。

 しばらくの間、その机を矯めつ眇めつ眺めていたけど、結局僕の中にある変な感覚の正体は分からなかった。諦めて、今度は隣の棚に目を移す。ガラス戸のついた棚の中にはなにか物が残っているのが見えた。ガラス戸を開けてみると、幾つかの空の瓶が棚に置きっぱなしになっていた。

「これ……」

 手に取るまでもない。その瓶は、僕にとって自分の身体の次に馴染んだものだ。薬品を保管するのによく使うガラス瓶。ということは、ここでは薬を作ってた……?

 改めて机を振り返る。天板についた数々の傷跡が目に入った。

「────っ!」

 その瞬間、ずっと僕の中にわだかまっていた違和感が氷解する。

 これは、この傷跡は、僕が診療所で使っていた机についていたものと同じものだ。その机というのはもともと父さんが使っていた物で、僕が診療所を引き継いだときから勝手に使わせてもらっていた。その机もこれと同じような大きさ、デザインで、至る所に使い込まれた跡があった。もちろん寸分違わず同じというわけではないけど、傷の付く位置、付き方がまるで同じだ。

 間違いない。

 この机は、僕や父さんと同じ、医者が使っていたんだ。いつ頃、どんな研究をしていたかは分からないけど、ここで植物を切り刻み、液体を醸造し、本を捲っていたんだ……父さんと同じように。

 こんな、軍の基地のど真ん中で、傷が付くほど何度も何度も実験を繰り返した人がいる。何時間も何時間も医学を求めた人がいる。

 軍属だろうとなんだろうと、人を治すことに奔走した人がいる。人を殺すことではなく、人を生かすことを考えていた人がいる。

 不意に、キーレン総指揮官の言葉が蘇った。

 軍人的? 医者的?

 知ったことか。

 僕は医者だ。どこに行っても、どこまで行っても、それでしかない。そうでなくてはあり得ない。

 僕の本懐は人を癒すことで。

 僕の本義は人を助けること。

 町にいようが、戦場にいようが、僕のやることは変わらない。患者が市民から軍人に変わるだけだ。

「ダフネくーん? なにしてるのー?」

 洗剤弄りに飽きたらしいローザが階段を上ってくる足音がする。乱暴に登った所為で舞い上がった埃をもろに吸い込んだんだろう、激しく咳き込んでいる。

「ローザ」

「ごほっごほっ……んー? なにー?」

「さっきの青い瓶と、布持ってきて」

 この机には、もうひと頑張りしてもらわないといけない。

 助けるべき人を助ける為に。


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