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それから、正式に辞令が下ったのは三日後だった。それまでの間、僕は言われた通り訓練にも参加せず、割り当てられた一人部屋で一日中寝転がるという生活を送っていた。
面倒な訓練をサボるいい理由が出来て助かった。
そんなことを考えていたのは一日目の半日くらいのもので、それからは誰も来ない部屋の扉が目に入るたび、あれはなにかの間違い、夢みたいなものだったんじゃないかと思うようになった。
だって、考えてもみて欲しい。
戦闘経験など一切ない、目を付けられる覚えなど毛頭ない僕が突然徴兵されて、何事かと思って行ってみればなにかするでもなく、ただ他の志願兵たちと訓練をする。そんな時間が二年も続いたと思ったら、これまた突然に呼び出されて、唯一の肉親の死を知らされて、感傷に浸る間もなく今度は『第一位戦術監督官』とやらに格上げされた。なにをする役職なのかも皆目分からない。虎の子だというあの女の子のことも分からない。なんでそんな子と二人で行動することになったのかも分からない。
分からないことだらけで、これはもう狐に化かされてるとでも考えた方が自然なくらいだ。
けど、残念ながら狐のまやかしでも狸の悪戯でもなかったらしい。三日後の昼下がり、唐突に部屋の扉がノックされた。
「……はい……?」
そのとき完全に寝起きだった僕は、起き上がるのも億劫でベッドに横になったまま声だけで返事をした。勝手に入っていい、というニュアンスを込めたつもりだったけどそれは伝わらなくて、同じ大きさ、同じ調子のノックが繰り返される。僕が開けろ、ということらしい。めんどくさいな……。
どうしても不機嫌に曇ってしまう顔を取り繕う努力もせず、いつもより少しだけ乱暴に扉を開ける。外には軍服姿の同年代くらいの男が立っていて、僕の仏頂面を見ると慌てて敬礼した。
「お迎えに上がりました。ダフネ一位監督官」
「お迎え……なんの?」
まさかあの世のだろうか。そんな馬鹿げた呟きを黙殺して、男は無表情のまま続ける。
「本日より、ダフネ一位監督官は第一兵団十三小隊に配属となります。その御用意が出来ましたので、お迎えに上がりました」
「……あー」
そこまで丁寧に説明してもらって初めて、寝ぼけていた頭が回り出す。そう言えばそんな話もあったね。よく見れば男は星が一つ縫い込まれた帽子を被っていて、それが第一兵団に所属している証だった。
「つきましては、新しい制服が支給されておりますので、まずはそちらにお着替え下さい」
渡されたのは、綺麗に折りたたまれた深緑色の軍服。士官として貰ったものと大差ないけど、強いて言うなら少し重たい気がする。丁重にそれを僕に手渡すと、男は直ぐに扉を閉めた。外で待っていてくれるらしい。
この期になってようやく僕の頭も本格的に目覚めてきた。湧き上がってきた良心がこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかないと叫び、それに急かされるまま急いで着替える。やっぱりなにも変わっていない服に袖を通し、貰ったバッジを付け直し、星の数が変わった帽子を被って外に出る。
「それでは、ご案内致します」
きびきびと先を歩く男について、僕は数日振りに外の世界に踏み出した。
この国は昔から軍事に力を入れていた。その名残もあって、軍の基地も大きい。僕の家があった城下町から城を挟んだ反対側の広大な土地が軍に与えられていて、そこが第一兵団とその他中央に駐屯する軍の根城だった。案内の男は、端の方にある僕の宿舎から一番王城に近いところにある第一兵団の宿舎に向かっているらしい。宿営地を突っ切るように歩いて、ようやく男は足を止めた。
「こちらが宿舎になります」
「おお……」
流石は国を代表する第一兵団というべきか、その宿舎も立派なものだった。ぱっと見た限りだと、軍の宿舎というより富豪の屋敷といった感じだ。厳重な警備の門が聳え、その向こうには幾重にも回廊を巡らせた建物群が並ぶ。巨大な倉庫のようなものから、五階以上はありそうな大きな建物、果てはなにに使うのかも分からない平屋まであった。口の字形の三階建て宿舎があるだけだった僕の兵団とは雲泥の差だ。
男についてその中に歩いていくと、よりその様子が分かる。多層ビルディングは恐らく一般兵士の宿舎だ。倉庫はいくつもあって、武器庫、食糧庫、資料庫の三種類。回廊で結ばれた平屋は、それぞれが要人の居住地らしい。生活の拠点までここに据えるなんて、骨の髄まで軍人なんだろう。僕には理解出来ないけど。
きょろきょろと辺りを見回しながら、僕は一般兵と同じように宿舎に入るものだと当たりをつけていた。けど男は宿舎には目もくれずにその横を通り過ぎ、区画の最奥部まで進んだ。そこにはポツンと建てられた二階建ての建物がある。
「こちらが、十三小隊の建物になります。ダフネ一位監督官殿には、以後ここで暮らすようにと指示が出ています」
そう言って指さした先には、確かに十三小隊と書かれた札が立っている。案内に間違いはないらしい。らしいけど……。
「……はあ、まあ、分かりました」
とはいえ、この疑問をこの男に訊いても分からないだろう。見たところただの士官のようだし。取り敢えず頷いて見せて、促されるままに中に入る。
びっくりするくらい、なにもなかった。
もちろん人の気配はしないし、どころか人が暮らしている気配すらない。扉を開けて直ぐのところがラウンジのようになっているけど、簡単な調理場に長机と椅子が数脚置いてあるだけで、明かりすらないから昼とは思えないほど薄暗い。右手側は更に暗くなっていて、その先にも部屋があるようだった。二階に上がる階段は見当たらないから、その奥にでもあるのかもしれない。そして、人が居ない所為か全体に埃っぽい。
「それでは、私はこれで。ダフネ一位監督官殿のお荷物は、後ほど別の者がお届けに上がります」
「あ、はい……」
僕が建物に入ったのを見届けると、男はそれだけ言い残して扉を閉めて行ってしまった。その所為で、もともと暗かった部屋が更に暗くなる。目が慣れるまで動けないほどだ。
参ったな……まさか部屋を移るだけで明かりが必要になるだなんて思ってもいなかったから、なにも用意していない。台所になにかあるかな……。
なにもなかった。そもそも台所として機能するのかも怪しいレベル。マジかよ……。
仕方ないので、段々見えるようになってきた視界と壁の感触を頼りに、右手の奥まった場所に進んでいく。
そこには、幾つか部屋があるようだった。どの部屋からも光は漏れていない。どう見ても人がいる気配はしないけど、一応手前の扉から開けていく。
まずは一つ目。誰もいない。というか、なにもない。窓すらなく、完全に真っ暗だった。それでも、目を凝らせば辛うじてなにかがあるのが見える……どうやら浴室らしい。
次に二つ目。ここにも誰もいなかったけど、幾つか物は置いてあった。骨組みだけの寝台に、小さな机が一つ。窓らしきものには黒い布が被せてあった。
最後に三つ目。今度も前の二つと一緒で、真っく
「わっ」
「うわああっ!」
ゴッ。
「痛った‼」
真っ暗な中から人の声がした。それに驚いた拍子に扉に手をぶつけて、さながら玉突き事故だ。
「わっ、えっ、なになに、どしたの?」
無人だと思っていた暗闇が蠢いて、人影が現れる。それがこちらに向かってくるにつれて、真っ白い髪がぼんやりと浮かびあがってきた。
現れたのは、白髪の女の子だった。けど、その顔は暗くて見えない。声と暗闇でも目立つその髪から、辛うじて性別だけが分かった。
「きみこそ、こんなところでなにをしてる……うわっ」
突然伸びてきた白い指が頬をなぞった。その指はひんやりと冷たくて、少し不気味だ。
「あ、ごめん」
「……明るいところに行こう。ほら、こっち」
その氷のような手を掴んでそっと引っ張る。特に力を入れずとも女の子はついて来て、そのまま記憶を頼りに来た道を戻る。ラウンジまで戻ってくると、まずは扉を全開にして、入れられるだけの光を取り込む。そこまでしてようやく、女の子をしっかりと見ることが出来た。
「あれ、きみ……」
その顔は、ついこの前見せられたあの紙に載っていた女の子その人だった。
「ローザさん?」
「えっ⁉」
名前を呼ぶと、女の子は驚いたように目を見開く。怪しがられるかと思ったけど、逆だった。顔一杯に笑顔を咲かせ、音を立てて手を合わせる。
「凄い! なんで分かったの?」
その無邪気な表情からは、確かにあの写真に滲み出ていた幼さと同じ気配がする。あの写真が古いのは間違いないけど、根本的な部分は変わっていないに違いない。
「いや、ここに呼ばれたときに写真を見せてもらって」
「あ、じゃあ!」
女の子は、一度打った横手をもう一度打つ。なにかと賑やかな子だ。
「きみが、今日から一緒になるっていう人? えっと、確か……」
「ダフネ一位監督官?」
「あっ、そうそう! ダフネくん!」
厳密に言えば、僕が一位でこの子が二位だから、階級としては僕の方が上なんだけど、そんなことは微塵も気にしていないらしい。まあ、僕にとってもどうでもいいことだし、細かいことは言わないでおくか。
「これから、私たちは同じ隊なんだって! 宜しくね!」
「うん、宜しく……ところで、きみはいつからここにいるの? なんであんな真っ暗なところにいたのさ」
その口ぶりからして配属については知っていたようだけど、だとしたら気になるのはそこだ。この十三小隊の建物にいつからいたのか。もっと言えば、いつからあの真っ暗な部屋にいたのか。僕が入ったときには起きていたようだけど、だとしたら起きていながらあんな暗闇の中に居続けるのは普通じゃないと思う。もう少し、怖がるなりなんなりするものじゃないか? ……いや別に、この子が子供だとか言ってるわけじゃないけど。一応同い年らしいし。
「えーっと……」
女の子は、露骨に目を逸らしながら中途半端に笑う。嘘を吐くのが下手なタイプと見える。けど、そもそも嘘を吐くような場面か?
「よく覚えてない、っていうか……」
「覚えてない?」
「うん。昨日、ダフネくんのこととか新しいところに行くってことは聞いてたんだけど、それから気づいたらここにいたっていうか……」
「? 寝てたとか?」
「うん、まあ……そうかな」
「でも、僕が扉を開けときには起きてたよね? ずっとあの真っ暗な部屋にいたの?」
「そうだよ」
「そうだよって……外に出よう、とか思わなかったの? あんな真っ暗な所、不気味じゃない?」「そう? 別に普通じゃない?」
そう言ったときだけ、女の子の顔はさっきまでの誤魔化すようなものから平然とした、この世の真理を答えているような顔つきになっていた。
「……?」
なんか、不思議だ。この女の子はどこかずれているというか、普通じゃない感じがする。けど違和感をそれ以上はっきりしたものにすることも出来ないから、ここはそのまま流すことにする。
「まあいいか。それで、今日から僕ときみはここで過ごすってことでいいのかな」
「うん、そう聞いてるよ!」
「でも……」
改めて、殺風景な建物内を見回す。ローザも僕の視線に合わせて首を動かした。
「……どうみても、人が住めるようにはなってないよね」
「そう? だって、机も椅子もあるよ? あとベッド」
「いやいや……」
冗談かと思ったけど、その表情は本気だ。本気で、机を椅子と寝床があれば生きていけると思っている。普段どんな生活を送ったらそんなストイックな人生観になるのか。
「とにかく、まずは掃除だね」
「掃除?」
「あとは買い物」
「買い物?」
そうと決まれば善は急げだ。早速掃除に取り掛かろうとしたところ、
「ダフネ一位監督官殿」
開けっ放しになっていた戸口に、人が立っていた。胸に少尉のバッジをつけた、壮年の男だ。
「無事に着任されたようで、なによりでございます。つきましては、これからの任務について説明があるそうですので、御同行願います。キーレン総指揮官がお待ちです」
「キーレン指揮官?」
直ぐに、あのいけ好かない会議室のあれこれが脳裏をよぎる……ちっ、折角忘れかけてきてたのに。
「なになに、なんの話?」
一人だけ話についていけていないローザが、自分の存在をアピールするように軍服の裾を引っ張ってくる。こういう所作は、本当に子供だ。
「ごめん、掃除の前にちょっと出かけてくる。戻ってくるまで、ここで待ってて」
思わず、僕の声音も子供をあやすような感じになってしまった。相手はもう十八なのに。
それでも、ローザはそれを気にする様子は一切なく、
「はーいっ!」
元気に手を上げて見せるのだった。
連れていかれたのは、平屋群の中央に鎮座する二階建ての建物だった。その作りは窓一つとっても荘重で、一目で重要施設だというのは分かった。ここがこの兵団の中央部なんだろう。門扉の前で警備にあたる士官に反射的に頭を下げてしまったりしながら入って、二階に上がる。入り組んだ廊下を歩いて、やがて一つの部屋の前に辿り着いた。
「キーレン総指揮官は、この中でお待ちです」
案内の少尉は、そう言って直立不動の姿勢を取る。ここから先は一人でいけということらしい。十人がかりでだって行きたくはないけど、ここでもたもたしてまた怒鳴られたりしたら敵わない。
普通のノックじゃ音が届かなそうなほど分厚い扉を、半ば殴るつもりで叩く。
「入れ」
返事はすぐに来た。扉を押し開け、入室。
流石は第一兵団とでもいうべきか、部屋はとても広い。この前僕が辞令を受け取った部屋の二倍はある。その上、見るからに値打ちのありそうな調度品も多い。そんな品々に囲まれた最奥部の上座に、組んだ手の上に顎を乗せたキーレン指揮官はいた。部屋があまりにも広い所為で、その姿は掌ほどにまで小さくなっている。
「ダフネ一位監督官、只今参上しました」
「まずは、着任おめでとう。十三小隊の宿舎にはもう行ったのか?」
「先ほど足を踏み入れましたが……あれは本当に宿舎なのですか?」
「というと?」
訊き返す指揮官の目が怪しく光る。僕がなにを言いたいか察している目だ。
「とても、人が生活する設備が整っているようには見えませんでしたが……」
「なにせ、ついこの前まで放置されていた建物だからな。しかし、設備自体に不足はない。少し整備すればすぐに使えるようになるはずだ」
「そうですか……」
まあ、確かにそれらしい形をしたものはあった。機能しているかは甚だ怪しいけど。
とはいえ、総指揮官直々に問題ないと言われてしまえばそれ以上食い下がるわけにもいかない。さっさと本題に入ってもらって、さっさと帰らせてもらおう。
「それで、どのようなご用件でしょうか」
「きみなら、もう分かっているんじゃないのか?」
「…………」
……くどい。
前々から思ってたけど、どうしてこの指揮官は用件だけを簡潔に述べることが出来ないんだ。軍人なら、そのくらい基本じゃないのか。まさか一刻一秒を争う戦場でも相手をからかって遊ぶつもりか? そんな調子で、よくここまで昇進できたな。
「申し訳ありませんが、小官には皆目見当もつきません。宜しければ、浅慮なわたくしめにご教授願えませんでしょうか」
あまりにも腹が立って、慇懃無礼のお手本みたいなことを口走ってしまう。けど、明らかな嫌味もキーレン指揮官は笑って受け流す。
「それなら教えてあげよう。貴官はこれより名実共に第一兵団所属ダフネ一位監督官になったわけだが、その任務について、前回はあまり込み入った話が出来なかったからね。それを済まそうというのが、今回貴官を呼んだ理由だ」
「任務、ですか……」
そういえば、それについてはよく分かっていない。この前聞いた話はどれも抽象的で、じゃあなにをすればいいのかという部分には全く触れていなかった。おかげで、今僕の頭の中を占めている一番の問題は日用品の調達になっている。僕もあのローザという子も軍人っぽくないとはいえ、流石にこれがまずいことくらいは分かる。それで、売店はどこにあるんだっけ?
「まず、元町医者の貴官は、現在の我が国の状況をどの程度理解している?」
「ここ二年はずっと軍属なのでよく分かりませんが……三年前に国王が崩御して、王室が二派閥に分断。それに伴って軍の三分の一が離反して、一部地域の行政が完全に崩壊。全国犯罪率は三十パーセント増、出生率は五十パーセント減、通貨価値は暴落、亡命する人の急増で人口は二十パーセント減った……そんなところでしょうか?」
「……まあ、多少の変動はあるが概ねそうだ。よく知っているな。地方はともかく、この近辺には緘口令を敷いているから、そこまで情報は出回らない筈なんだが」
「色々な人をみてましたから」
もっとも、ここで出した数字は僕の私見と風の噂だ。全体としては、確かに僕のいた街にはそこまで悲愴な空気は漂っていなかった。
それでも、着実に目につくようにはなっていたのだ。物騒な騒ぎに巻き込まれて怪我をする人。見覚えのない沈鬱な表情の人。減ったお目出度の報せ。公のルートで仕入れていた地方の薬草の唐突な取引中止、不自然な値上がり。
誰も口にしなかった。誰も目にしなかった。誰も耳にしなかった。
それでも、確かに肌で感じていたことだった。
「内政状況は、確かにその通りだが、なら外交はどうだ?」
キーレン指揮官としても、ここにはあまり突っ込まれたくないらしい。一つ咳払いをして話を変えてきた。
けど、直接関わることが出来る国内のこととは違って、外交となるとどうしても縁遠い話になってしまう。なにか上げるとすれば……。
「……一回、大規模な遠征をして大敗したことがありましたよね」
とはいえ、これはかなり前の話だ。僕がかなり小さかった頃……もう五年前になるだろうか。当時はまだまだ元気だった前国王が、海の向こう側にある大陸を制覇しようと企んだ。近隣の国を殆ど制圧しきって、戦をけしかける相手がいなくなった結果だ。国王含めその場にいた全員が勝利を確信していた。
けど、現実には負けた。
送り出した五十隻の艦隊は、四隻になって帰ってきた。こっちとあっちでは地形が大きく違っていて、戦術が通用しなかったとか色々敗因は囁かれていたけど、そのときまだ小さかった僕にはよく分からない。それ以来、度重なる連勝で勝ち気だった国王もすっかり大人しくなって、外国に関する話題が他にあがることはなかった。
「その通りだ。しかし、大人しくなったのは前代陛下だけだ。それまで我々が服属させてきた国々は、表向きはこれまで通りの従属関係を維持しながら、着々と再起のときを伺っている。既に小規模ないざこざは起きているが、これが国ぐるみの反乱に転じるのも時間の問題だろう」
「そうなんですか……」
とっくの昔に終わった話だと思っていたのに、いつの間にかそんなことになっていたなんて、全く知らなかった。緘口令の賜物か。
「貴官の言った通り、現在の軍は大きく弱体化している。一刻も早い再強化が必要だ。そして、その強化の一環が、貴官が配属された十三小隊なのだ。正確に言えば、そこにいるローザ二位戦術工作官だが」
「では、あの女の子がキーレン総指揮官の仰っていた、虎の子なのですか?」
「そうだが、それがなにか?」
指揮官は、僕の質問に滲んだ猜疑を見逃さなかった。遠くからでも分かるほど鋭い視線で僕を射抜いてくる。その目からは確かな自信が感じられて、けどそれが増々僕の疑いを大きくした。
この男は、本気でこんなことを言っているのだろうか?
「あの……あの女の子にそのような力があるとは、とても思えません」
「ほう?」
キーレン指揮官は軽い調子で相槌を打つ。そんな口調に反して注がれる視線は変わらず鋭い。なにを言うつもりか、試されているような気がした。
声が上擦らないように唾を飲み下し、抱えてきた疑問を尋ねてみる。
「もちろん、私もついさっき会ったばかりですので断言は出来ませんが、あの女の子に、一体どんな力があるというのですか。それどころか、十八歳としての能力があるかも疑わしい。なにか健康上の理由があるのか、特殊な経歴があるのかは分かりませんが、彼女の振る舞いには年不相応で、不自然な部分があります。そのような状態の彼女に、その苦境を覆すようなことが出来るとは、とても思えないのです」
「……なるほど、流石は優秀と評判の医者だな。考え方が医者的だ」
今度こそ、いつぞやの中尉のように声を荒げるかと身構えていたけど、指揮官はあくまでも冷静だった。姿勢を変え、椅子に深くもたれかかる。
「だが、軍人的ではない」
「…………」
「おっと、自分は軍人ではない、と言いたげだな。しかし、貴官の主観がどうであれ、客観的には立派な軍人だ。今の恰好を見直してみるといい。そして軍人であるからには、医者的な考え方は捨ててもらわなければならない」
「……つまり、どういうことでしょうか」
「貴官のその疑念は、貴官が抱き、解決すべき疑念ではないということだよ」
……成程。
父さんも、こうして消えていったわけだ。
僕の沈黙を、この生粋の軍人はどう捉えたのか。説き伏せられ、反論を失ったと思ったのか。沈黙による反抗だと思ったのか。いや、単に歯牙にもかけていないのだろう。その視線からはさっきまでの緊張は抜け、まるで雑談でもするかのようなテンションになった。
「では、具体的な任務の話に移ろう。そもそも異例な処置をして貴官を軍に招聘したのは、それ相応の理由あってのことだ。十三小隊はローザ二位戦術工作官の実力を測る為のもので、これから幾つかの戦闘に参加してもらい、結果を記録してもらう。その任務にはまず医学的、次いで身体的な能力の二つが求められる。優秀な医者である貴官を、二年もの間訓練に従事させていたのはそれが理由だ」
キーレン指揮官はそこで言葉を切ったが、その隙は僕に口を挟ませるものではなく、すぐにまた話し出した。僕にはなにも言わせないつもりらしい。
「これが一つ目の任務だが、貴官の任務はこれだけではない。貴殿の指摘の通り、ローザ二位戦術工作官には少々尋常でない部分がある。貴官には、そうした部分を生活面からフォローしてもらいたい。何か特別の看護が必要なわけではないが……そうだな、普通に、人間的に接してもらえればいい」
「人間的?」
「要は、仲良くしてやってくれということだ。以上の二つが、貴殿の任務となる。だが、一つ目の任務については、いつ開始という目処はない。連絡があるまでは二つ目の任務に励んでもらえればいい。尚、十三小隊とその任務については公にはなっていない。他言は無用だ。いいな?」
「……畏まりました」
最後の確認は、確認の体をとっているだけの命令だった。納得する猶予も、異議を唱える隙も与えない。ただすべきことを理解したかどうかを確かめる為だけの応答。
これが、軍人的というものなのだろう。