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「ダフネ士官! 来い!」

 いつも通りの訓練中、突然後ろから呼び声が掛かった。僕含めその場にいた全員が声のした方を振り向いたけど、呼ばれたのは僕一人らしい。僕たちのいる中庭を見下せる二階テラスに中尉の帽子を被った老年の軍人がいて、僕を手招いていた。

「召集だ!」

「今は訓練時間なのですが……」

「構わん。正装に着替え、急ぎ中央参謀部に来い!」

 中尉の一言で、途端に中庭が騒がしくなる。僕も漠然とした胸騒ぎを覚え始めていた。

 中央参謀部と言えば、この国の軍を総括する指揮部だ。所属するのは中尉以上の高官のみで、国王への謁見権を持っている。端的に言えば、僕のような下っ端には一生縁のない雲の上の世界だ。しかも、正装ときている。僕が前に制服を着たのなんて、入隊式のときが最後だ。

「急いで来るように!」

 中尉はそう言い残すと、テラスから姿を消した。途端、堰を切ったように中庭がどよめく。僕が感じたような違和感を誰もが感じていて、人数分の好奇の目が僕に注がれている。

「なあ」

 僕とペアを組んで訓練していた同期の士官が、ニヤニヤしながら僕の肩を剣の柄でつついた。

「もしかして、昇進じゃねえの?」

「僕が?」

「だって、それしかないだろ、あんなところに呼ばれるなんて」

「まさか」

 突然の召集命令に呼ばれてから早二年、一度も実戦にすらせず、毎日ここでのんべんだらりと剣を振り回しているだけなのに?

「いや……有り得ないよ」


 急いでシャワーを浴びて、皺が寄っている制服を慌てて整えながら参謀部の部屋に着いたときには、呼び出しがかかってから十五分が経過していた。

「三等士官ダフネ、入室致します!」

 重々しい扉をノックし、返事を待って中に入る。中には十人は優に座れそうな長机があり、その奥の上座に勲章で煌びやかに光る軍服に身を包んだ強面の男が座っている。この国の軍隊のトップを張っている総指揮官だ。僕は二年前の入隊式のときに一度見たきりで、正直に言えばその名前もよく覚えていない。誰だっけ……。

 そしてその横には僕を呼びに来た中尉が控えていて、僕と目が合うとどすの効いた声で責めてきた。

「遅いぞ、ダフネ士官」

「申し訳ありません」

 それは想定していた指摘だったので、謝罪もスムーズに口をついて出る。相手もそれを追及する気はないようで、中尉もそれきりなにも言わず、総指揮官に目配せをして下がった。

「お前が、ダフネ三等士官か」

「はい」

 二年越しに聞いた総指揮官の声は、見た目のイメージに反して若いものだった。もしかしたら、老け顔なだけで実年齢はそこまで高くないのかもしれない。

 なんて、脳内で失礼なことを考えているのがバレたのか、総指揮官はそこで言葉を切って、僕をじっと見つめる。

「…………」

「…………」

「……ダフネ士官」

「はい」

「……私の名前は、分かるか?」

「……は」

 その瞬間、深緑色の軍服の下で自分の身体がびしょ濡れになるのが分かった。

 もちろん、分からない。

 えっと、どうしよう? 取り敢えずなにか言ってみる? いやそんなことをして頓珍漢なことを言ったら終わりだ。けど記憶のどこをひっくり返してもそれらしい名前が浮かんでこない。どうする、どうする。時間が経てば経つほど知らないと認めてるのと同じだぞ……あー。

 不敬罪って、ここの軍規にあったっけ。あったとしたら、どれくらいの罪状だろう。減給とかで済めばいいんだけど。

 早々にこれからのことを考え出した僕の沈黙は、質問へのこれ以上ない答えになった。中尉の顔が真っ赤になり、洒落にならない声量の怒号が僕を打ち付ける。

「貴様! こともあろうに自らの上官の名前を忘れたのか‼ 貴様それでも軍人か⁉」

 残念ながら、僕は軍人になったつもりはない。

 二年前、なんてことないいつもの朝に、一通の封筒が届いた。見慣れない真っ赤な封筒に、僕宛ての宛名があるだけの、不気味な封筒。恐る恐る開いたその中身は、軍隊への召集状だった。一週間以内に出頭せよ、という不躾で唐突な命令だけが簡潔に記されていた。

 この国の軍に国民の召集権があることは知っていた。けど、それは普通戦況が悪いときに数千、数万の単位で一斉に行うものであって、一個人を名指しで呼び出すなんて、数えるほどしかない。そのうちの一例は僕の父さんだった。

 全く意味が分からないけど、これに従わなければ罪に問われる。仕方なく、大急ぎで必要最低限にも満たない後始末をして、言われるままに出頭した。あのときのみんなの表情を思い出すと、今でも嫌な気分になる。あのお母さんは、元気にしているだろうか。

「おい! 反省しているのか‼」

 今度ばかりは簡単に解放するつもりがないらしい中尉が更に叱りつけようとするのを、総指揮官は涼しい顔で制した。

「まあ無理もなかろう。お前は、そもそも通常の志願兵ではないものな?」

「はい。私はただの町医者です」

 敢えて、過去形にはしなかった。その意味を理解しているのか、中尉は増々目を吊り上げる。けど、総指揮官の方は何故か唇の端を吊り上げた。

「お前の父親も、医者だったよな……おい、あれを」

 総指揮官の合図で中尉は一旦僕を睨みつけるのを中断して、ポケットから小さい紙きれを取り出した。総指揮官はそれを受け取ると、テーブルを滑らせて僕の方に寄越した。

「見てみろ」

言われるままに紙を取り上げ、開いて見る。

『戦死報告書

 ヴァーベナ 階級・戦術開発部上等監督官

 死因・事故』

 そこに書いてあったのは、六年前に行方知れずになった父さんの名前。僕が幾ら望んでも、その断片すら見ることの叶わなかった、唯一の肉親の情報。僕の知りたかったことのほんの一部、そして僕が知らなければならないことの全てが、この一枚に小さく纏められていた。

「…………」

「どうした。驚かないのか?」

「……軍隊に行って六年も音信不通になっていた時点で、明るい報せは期待してませんでした」

「そうか」

 僕がその紙きれをポケットにしまうと、それでこの話はしまいになったらしい。総指揮官は声の調子を変えて話し出す。

「今回お前を呼び出したのは、それを渡す為などではない。中央参謀部より、お前に特殊任務を命じる為だ」

「特殊任務……?」

「そうだ。わざわざ一介の町医者を呼びつけたのは、ただ単に一般兵としての訓練を受けさせる為だったとでも思うか?」

 したり顔でそんなことを言われても、それを訊きたいのは僕の方だ。

「端的に言えば……お前には、ある兵士の専属主治医になって貰う」

 総指揮官は机の上に置かれていた紙を手に取ると、それを滑らせてきた。さっきのメモよりも何倍も大きいその紙は、履歴書のようなものだった。二つ折りになったそれを開いてみると、真っ先にこちらを見つめる女の子が目に入った。

肩に触れるくらいの髪に、若干視線のずれた目。口はなにかを堪えながら無理に取り繕ったんだろうと一目で分かるような、不自然な引き締まり方をしている。総じて、無邪気で幼い感じがする。こういうフォーマルな撮影に慣れていないのが丸出しだ。

横に目を滑らせれば、詳細な情報が載っている。名前はローザ。十八歳とあるけど、ここに写っている子が十八歳には見えない。古いものを使っているか、余程幼いかのどちらかだろう。所属は中央参謀部直属の第一兵団で、階級は第二位戦術工作官となっていた。階級を等じゃなくて位で表すのはこの兵団の特徴だからいいとして、戦術工作官ってのはなんだ……?

「彼女は、我が軍の中でも少々特殊な立ち位置にいる。その為一人で作戦を遂行して貰っているが、この度、彼女に同行する者を一名配備することになった。お前には、その任に就いて貰う」

「その、作戦というのは? そもそも、この子は一体何者なんですか? 戦術工作員なんて役職、見たことがありませんが……」

「それは、お前が軍についての関心がないからではないか?」

「…………」

「冗談だ」

 総指揮官は反応を伺うように僕の顔色を伺い、僕がなにも言わないうちに一人で勝手に笑いだす。隣の中尉も声を押し殺して笑っていた。さっきの意趣返しが出来たと思っているのかもしれないけど、この二人は、さっきから一体なにがしたいんだろう。僕をおちょくる為だけにこんなところまで呼び出したんだとしたら、中央参謀部も随分と暇らしい。

 もちろん、僕は分別がついているのでそんな皮肉は言わない。馬鹿正直に直立不動の姿勢のまま、真顔で二人の腹の虫が収まるのを待った。

 しばらく待って、ようやく二人の横隔膜も落ち着いてきた。総指揮官は咳払いを一つして椅子に座り直す。その後ろの中尉は、この期に及んでも一人口元をひくつかせていた……そんなんだからいい年して中尉止まりなんだよ。

「……さっきのお前の質問に答えると、彼女は我が軍の虎の子だ」

「虎の子」

「決戦兵器、と言ってもいいかもしれない。それだけのポテンシャルを、彼女は秘めている。ただ、美しい薔薇には棘がある。我々も、今すぐに諸手を上げて彼女を迎えるというわけにもいかないのだ。だから、今の段階では試運転という意味も兼ねて、不規則な地位を与えて単独行動をして貰っているが、それにも限界がある。だから、」

「あの、少し待って下さい」

 相手の話を途中で遮るというのは、誰が相手でも失礼に当たる。案の定、中尉が眉を顰めた。

 けど、こうするしかなかった。こうでもしない限り、僕の抱いた疑問は疑問として成立しない。そんな気がするほど、総指揮官の口ぶりは自然で、妥当で、真っ当だった。

「確認ですが……その人は、人なのですよね?」

「? そうだが」

「では、何故先ほどから、『決戦兵器』だとか、『試運転』という言い方をなされているのですか?」

 それが、僕にはどうしても引っかかっていた。だって、どちらも人に対して使う言葉じゃない。道具に対して使うものだ。

 けど、この疑問は、僕としては当然のつもりの疑問は、相手には上手く伝わらなかったらしい。訝しげな顔で首を傾げられてしまう。

「なにを言っている。軍人など、皆駒だろう。私も、お前も、彼女もな」

「…………」

「それで、話を戻すが、お前には彼女と共同で作戦に参加してもらう、彼女の側でその遂行能力などを観察し、適宜フォローを入れてもらう。また、先ほど言った通り、彼女はこの国の切り札だ。よって、その護衛もお前の任務になる」

「……多くないですか」

 思わず、そう呟いてしまった。

 けど、実際この量の任務は実戦経験なしの二年目新米兵士の手に負える量を超えていると思う。具体的になにをしているかも分からないこの女の子の任務を『適宜』フォローすると一口に言っても、その『適宜』の範囲は恐ろしく広い。それに、この子は軍の切り札だというけど、それはつまり要人ということで、要人警護の経験など、もちろん僕にはない。

「なに、そう恐れることはない。しばらくは彼女の試験は段階を踏んで行われる。直ぐに最前線に送られることなどない。それに、なにもお前一人に彼女の全てを預けると言っているわけではない。当然、我々も万全の態勢を整える。あくまで、彼女の側でその様子を監督するのがお前だというだけだ。お前の能力を超えた要求をするつもりはないから、安心していい」

 きっと、僕の反応は予め大体分かっていたんだろう。流れるような説明が、僕の付け入る隙を流し去っていく。そして、そもそもそんな隙はあってもなくても同じことだ。

「貴様、いつまで尻込みしている! 軍人ともあろう者が、下された命令を前にぐだぐだと言い訳を並べるつもりか⁉」

 中尉が、全ての軍人に対する殺し文句をきってきた。

 だから、僕は軍人になった覚えはない。

 そう言いたいけど、現実に軍服を着ている手前、その反論はあまりにも苦しい。先が見えずとも、嫌な予感しかしなくても、一寸先の闇にダッシュで突っ込んでいかなくてはならないのが軍人だ。

「……ダフネ三等士官、拝命します」

 結局、そう言うしか僕には選択肢がなかった。とんだ出来レースだ。

 総指揮官は満足そうに頷くと、懐から小さな箱を取り出した。その蓋を開け、僕にこっちに来るよう目で合図を寄越す。それに引きずられるまま歩いてその前に立つと、総指揮官は取り出したものを僕の軍服につけた。

 見たこともない、無駄に重苦しい金ぴかのバッジが僕の左胸にぶら下がる。

「これより、ダフネ三等士官を第一位戦術監督官に任命し、第一兵団十三小隊への転属を命ずる。貴官は、同ローザ第二位戦術工作官の監督を行い、その結果を中央参謀部に報告せよ」

「復唱!」

 中尉に怒鳴られて、総指揮官の言った内容をそのまま復唱する。これをすることで、僕は自分に課せられた任務内容をきちんと理解した上で拝命したということになり、つまりは言い逃れが出来なくなった。

「この任務では、医者としての知識と兵士としての戦闘能力の両方が求められる。巷で評判の医師を引き抜き、二年間も軍事訓練に従事させたのもその為だ。精進するように」

「……はい」

 結果的に、昇進することになってしまった。けど、嬉しくはない。寧ろその逆だ。こんなことなら、あと二年でも五年でも、あの中庭でチャンバラごっこをやってた方がまだ良かった。

「詳しいことは、追って連絡する。それまでは待っているように。尚、その間は訓練に参加する必要はない」

 明らかに下がりきった僕のテンションには気づいているはずだけどそれを無視して、総指揮官は朗らかな調子でそう言った。訳すと、今日はもう戻れという意味だ。

「それでは失礼します」

「ああ、そうだ」

 せめてこんな部屋をさっさと出ようと早足で扉まで戻り、扉に手を掛けたところで、総指揮官が思い出したように声をあげる。

「貴官の官位は、中尉に相当するものだ。つまり、それだけ軍人としての責任も増える。これからはその自覚を持って、私の名前も覚えておくように。私はキーレンだ」

「……肝に銘じておきます」

 最後の最後まで、不愉快な部屋だった。部屋を出る直前に、立場が対等になったあの中尉が気まずそうな顔をしていたのを見れたことがせめてもの気晴らしか。

「……それにしても、ほんと、」

 軍ってのは、どうにもいけ好かない。


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