三話
美月子が突き出した握りこぶしをじっと見つめる初穂ちゃん。やがて両目を瞑って小さく唸ると、人差し指を突き出した。
「こっち」
「さあ、どうかな~っ ドゥルルルルルルル…… はいっ、大吉大当たりい~っ!」
美月子はいちご飴を初穂ちゃんに手渡した。
「じゃあ俺は反対の手な。どうせ両方に持ってたんだろ」
確信に満ちた健二くん。
「こっちの手?」
「そうだよ。そっちも開けてみろよ」
美月子は小さく微笑むと、小首を傾げてもう片方の手を開く。
しかし、その手には何もなかった。
「あれっ? おっかしいなあ――」
「健二兄ちゃん、カッコわるう!」
「そんなはずないんだけどなあ……」
「巫女さん、これ食べていい?」
「はいどうぞ」
いちご飴の包みを開けて頬張る初穂ちゃん。その嬉しそうな横顔を見て、健二くんは舌打ちをする。
「初穂だけずるい」
「じゃあ健二くんにも、これ」
「あ、ありがと」
飴を受け取りながらも不思議そうな顔で美月子をまじまじと見る健二くん。しかし初穂ちゃんは、意味ありげな微笑みを浮かべた。
「どうしたの、初穂ちゃん」
「何でもない。この飴、美味しいね」
「それはよかった」
「おみくじについて、もっと教えてくれる?」
対立姿勢が少し弱まった気がするのは気のせいだろうか。美月子は営業用ではないスマイルを浮かべる。
「もちろん」
「一等の当選確率は?」
「一等って大吉ね」
「うん」
「ごめんなさい。実は私にも分からないんだ」
「気持ちの問題だから?」
「ええ~っと。まあ、そういうことにしておこう」
「うそだっ。そこの六角形の箱の、中から棒が出てくるやつあるじゃん。あれの中開けて中身を分類したら確率が分かるはずだっ!」
健二くん、キラリンと目を輝かせておみくじ箱を指差す。
ある意味その通り。
その通りだけど、少し違う。
「この箱の中には百本のおみくじ棒が入っているけど、書いてるのは数字だけなの」
「そうだよ健二兄ちゃん。巫女さんが棒を見て、その数字のおみくじを渡すのよ」
「だったら、箱の中に入っている数字の種類とおみくじの対応表があれば分かるじゃん!」
「すごいね健二くん、算数得意?」
「兄ちゃんが教えてくれるからな」
「でもね、おみくじの紙は数字だけが書いてあって、大吉とか小吉とかは開けないと分からないの」
「ええ~っ」
「それにね。この箱を振って出てくるおみくじ棒は、神様が選んだものなのよ」
「神様の力が働いてるってか?」
「そう言うこと」
「なんか俺、子供だからって騙されてる気がする」
確かにその通りなんだけど、でも、大人はそんなこと聞かない。
「健二くんは大吉の確率が低かったら、引くの止めるの?」
「止めない。低くたって俺様の念力で引き当てるからな」
「だよね」
引いてもないのに嬉しそうな健二くん。
「ねえねえ巫女さん。このおみくじに大凶ってあるの?」
どうやら「店員さん」から「巫女さん」に昇格したらしいことに気がついた美月子は、嬉しそうに初穂ちゃんに答える。
「うちのくじにはありませんよ。凶はありますが」
「神社によって違うの?」
「違いますね。そう言えば、モールのガチャおみくじに凶はありません」
言ってしまって、余計なことを言ったかな、と少し反省する美月子に、初穂ちゃんは身を乗り出してくる。
「ひとりでガチャ全回ししたの?」
「え? してないしてない」
「じゃあどうして知ってるの?」
「蛇の道は蛇って言うでしょ?」
「じゃのみちはへび?」
「そう。餅は餅屋、と同じ意味」
「餅屋って?」
そう言えば餅屋って私も見たことないな、と美月子は思う。餅はスーパーか饅頭屋さんだ。
「酒は酒屋に茶は茶屋に」
「ああ、同じ業界のことはよく知ってるってこと?」
「そう。初穂ちゃんは賢いね」
「まあねっ!」
この子、おだてるとすぐ乗るタイプだ。
もしかしたら健二くんよりチョロいかも――
「巫女さんもきれ…… いな服着てるね」
「そうかな。ありがとう」
「どこで売ってるの?」
「これは和服屋さんで買ったかな。通販でも売ってるけど」
「健太お兄ちゃん喜ぶかな」
「おっ、絶対喜ぶぞ」
「や~め~て~、お兄ちゃんっ、きゃ~あ~って?」
「俺、時々初穂の妄想についていけない」
「ついにふたりは初めての夜を迎えるんだわ!」
「夜は何度も来てるぞ?」
「そしてめでたく結ばれて――」
「キスするんだな」
「……」
初穂ちゃんの白い眼差しに、健二は全く気付かない。
「そう言えば、その服は処女にしか着られないらしいぞ」
「健二兄ちゃん、処女って何か知ってるの?」
「さあ」
「やっぱり」
美月子はそんなふたりを見て嘆息する。
「あのねえ、この服は神社以外では使いようがないわよ」
「そうなの」
「買うんなら浴衣の方がよくないかしら」
「浴衣かあ。浴衣もいいけど――」
初穂ちゃんはつま先立ちして美月子の衣装を調査する。社務所の中と外、ましてや初穂は小学1年生。どんなに背伸びをしても美月子の上半身しか見えてないはず。美月子はちょっと待ってと言うと、社務所から外に出た。
「これ、触ってもいい?」
「いいわよ」
「俺は?」
「健二兄ちゃんはダメッ! セクハラだよっ!」
「だよな」
初穂ちゃんは興味深げに巫女装束を何度も触って確認する。それはまるで遠い昔の自分を見ているみたいで、美月子は目を細める。履き物から足袋、赤袴の着付け方、髪の毛の結い方に至るまで興味津々に質問攻めにする初穂ちゃん。可愛い。これでブラコンさえなければ、と美月子は思う。
しかし、面白くないのは健二くんだ。
つまらなそうな顔をして、ふたりのやりとりを聞いていたが、やがて。
「初穂。そう言えばさあ、ネコってどこにいるんだ?」
「猫?」
「ほら、初穂が兄ちゃんへの書き置きに書いてただろ。なんとかネコに会いに行ってくるって」
「……」
「えっと、思い出した。泥棒ネコ!」
「健二兄ちゃん!」
初穂ちゃんはキッとなって健二くんを睨みつける。
「なんだよ」
「泥棒ネコに向かって泥棒ネコって言っちゃダメでしょ!」
「泥棒ネコってなんだよ?」
「ちょっ、そのネコに聞こえるでしょ!」
泥棒ネコの前で大声で言い争いを始める、どうしようもない兄と妹。
美月子は収拾の付け方が分からず困っていると。
「お~いっ! 健二~っ、初穂~っ」
その書き置きを見て来たのだろう、階段を上って学ラン姿の高校生が現れた。
「あっ、健太お兄ちゃんっ!」
「兄ちゃん!」
「まったくふたり揃って…… あの、ホントごめんなさい」
ふたりの兄である健太は美月子にぺこりと頭を下げると、右手で頭を掻いた。
「ふたりが失礼しませんでしたか?」
「いえいえ、全然」
ホントは失礼だらけだったけど、大人の応対をする美月子。
「昨日は健二がすごくご迷惑をお掛けしたんですよね。それなのに今日は初穂まで」
「なあ兄ちゃん、泥棒ネコって何だ?」
「けんじっ!」
「お魚盗むのか?」
「ちょっと黙れ」
健太は片手で弟を軽々と抱きかかえると、初穂ちゃんの手を取った。
「すいません、こいつらがとんでもない勘違いしてるみたいで。ちゃんと言い聞かせておきますから。こらっ、健二、初穂!」
「あの、叱らないでやってください」
「ホントすいません。ふたりともちゃんとお礼を言いなさい!」
「巫女さん、ありがとうございました。主人が来たので帰りますね」
「また来るな、巫女ねえちゃん」
「はい、お待ちしていますね」
そうして。
ふたりはお兄さんに連行されていく。
「兄ちゃん下ろせよ」
「…… ちゃんと歩けよ」
「分かってるよ。なあ兄ちゃん、今日の晩ご飯はあれか?」
「おまえの好きなお好み焼きだ」
「好きとは言ってないぞ、マシだって言ったんだ」
「贅沢言うな」
「そうだよ。健二兄ちゃんは贅沢よ」
「だってさ、うちのご飯は切って煮るか、切って焼くかだろ?」
「他に何がある?」
「蒸すとかさ、揚げるとか。あ~あ、とんかつ喰いてえ!」
「そうね、とんかつには惹かれるね」
「無理言うな。うちに天ぷら油なんかない」
「いやだあ、とんかつ~っ!」
「とんかつ~っ!」
3人兄妹の大きな声は、鳥居を出るまでハッキリと美月子の元に届いていた。
第2章 完
【ちょっとしたあとがき】
こんにちは、桜井健二です。
こんな場末の小説なんか、読んでくれてありがとうな。
このお話は毎日の暇つぶしに、俺が巫女ねえちゃんをおちょくって楽しむだけのストーリーだって思っていたけど、何か初穂とか兄ちゃんが美味しいとこ持って行ってる気がする。俺、ちゃんと目立ってるか? キャラクタ人気投票したら沈まないか? 次章はもっと大暴れるから俺のこと応援してくれよな。
ところで、突然作者が「とんかつは和食か洋食か、どっちだと思う?」とか言い出してさ。何でも「泥棒ネコ」を辞書を引いてて気になったらしい。確かに、あいうえお順近いからな。起源はカツレットだから洋食だろ、と言うと、じゃあインドにビーフカレーがあるのか? と言うんだけど、ないのか?
作者は「トンカツ」は洋食で、「とんかつ」は和食だ。この分類が一番しっくりくる、と言うんだけど、だったら俺が喰いてえって叫んだのは和食か? 俺はただ濃厚ソースたっぷりの分厚いでっかい肉を、キャベツの千切りたっぷりで食べたいだけだぞ。
あ、何か無性にキャベツの千切りをマヨネーズで食べたくなった。
どうしよう。冷蔵庫にはキャベツがあるんだけど、千切りが出来ない。え、なに? 千切りはスライサーがあれば簡単だ? 何だよそれ、って、あれか。そう言えばどっかにあったぞ。どこだったっけ――
と言う訳で、トンカツが食べられる未来が来るのをみんなも神様にお願いしてくれな。
頼んだよ!
じゃあ、また次章で。
3年2組 桜井健二でした。