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巫女ねえちゃんは、ひまじゃない!  作者: 日々一陽
第2章 お兄ちゃんは、渡さない
3/22

一話


 それは2年と少し前の、雪がちらつく日。


 仰げば尊しを聞きながら、美月子の視線はある卒業生に注がれていた。

 上からふたつ目のボタン、彼の制服にそれはもう付いていなかった。

 最近あまり流行らない風習だって言うけれど、美月子は彼を遠くから、ただ悲しく見つめることしか出来なかった。


 その彼とまた会えるなんて――


「巫っ女ねえちゃん!」


 誰もいなかった境内に突然現れたのはランドセル背負った男の子、桜井健二くん。今日も顔に絆創膏を貼って、社務所の前まで駆けてくると昨日と同じくニカッと笑う。ただひとつ違っているのは、彼の隣には真っ赤なランドセルが並んでいることだ。

 白い小袖に赤袴、巫女装束を纏った美月子は、鍛え抜かれた営業スマイルを炸裂させる。


「健二くん、ごくろうさまです。こちらはお友達ですか?」


 もしかして「これが俺の彼女だぜ」な~んて言い出すんじゃなかろうか? 昨日話題にした「恋愛成就」のお守りを買いに来たとか? 美月子が勝手な妄想を膨らませていると、健二くんは首を横に振って言った。


「違うよ、初穂はつほ。俺の妹だよ」

「初めまして。健二兄ちゃんが大変お世話になったそうで。妹の初穂です」


 黒髪に赤いリボンがよく似合う利発そうな女の子は、しっかりと自己紹介をして丁重に頭を下げると、キッと美月子を睨みつけた。


「最初にお断りしておきます。健太お兄ちゃんはわたしと結婚しますので」

「え?」

「あ、健太お兄ちゃんってのは昨日来た俺の兄ちゃんのことな」


 解説をする健二くん。

 お兄さんのこと、美月子は前から知っていた、同じ中学の先輩だから。だけどややこしくなりそうなので黙っておくことにする。


「初穂は兄ちゃんが大好きなんだ。兄ちゃんとは法律で結婚できないのにさ」

「出来ますっ!」

「出来ねえよ!」


 急に揉め始める。


「法律がダメなら憲法解釈で突破しますっ!」


 この女の子もまた、無駄に賢そうだった。


「初穂ちゃんはお兄さんが大好きなんだ」

「お兄ちゃんはふたりいて、私が大好きなのは健太お兄ちゃんの方です」

「あ、ごめんなさい。初穂ちゃんはその健太お兄さんが大好きなんだ」

「はい、大好きです。大好きと言うより、愛してますっ!」

「あ、愛してるんだ」

「はい。もちろん相思相愛です。健太お兄ちゃんも初穂の魅力にメロメロです」

「嘘言うなよ、兄ちゃんはもっとおっぱいバ~ンなオトナの女が好みっぽいぜ」

「おっぱいバ~ン……」

「違うもんっ! 健太お兄ちゃんは初穂の笑顔は可愛いねって誉めてくれるもん。よく気が利くからいいお嫁さんになるねって合格点くれたもん。初穂が結婚してあげるねって告白したら「初穂は優しいね」って言ってくれたもんっ!」


 初穂ちゃんの激白は、美月子の中に芽生えかけたお兄さんに対するロリコン疑惑を一瞬にして消滅させた。


「ねえねえ初穂ちゃん。初穂ちゃんは健太お兄さんのどこが好きなのかな?」

「えっとね、カレー。健太お兄ちゃんのカレーのはすごく美味しいんだよ。初穂はもうあのカレーなしでは生きていけません。あ、ちなみにニンジンを切る係はいつも初穂だよ。だから家のカレーは初穂と健太お兄ちゃんの共同作業ってやつなんです、うふっ! それから夜寝るときはいつも面白いお話をしてくれるし、お勉強だって先生より分かりやすく教えてくれるし、じゃんけんはいつもわざと負けてくれるし、賢くって優しくって頼りになって、とっても従順!」


「従順なんだ」

「そだな。カレー以外は俺も同意するな」

「健二兄ちゃんは家のカレーのどこに不満があるのっ?」

「ニンジンでかくて多いとこ」

「健二兄ちゃん手伝わないじゃない!」

「初穂怒るだろ。ふたりの営みを邪魔するなって!」

「まあまあ。健二くんと初穂ちゃんは仲が悪いの?」


「「仲良しです!」」


 即答、しかも見事にハモった。

 誰かにそう言えと仕込まれているのだろうか? そんな疑念すら湧くけれど、大真面目な顔のふたりを見ると、実際そうなのかな、とも思えちゃう。


「ところで店員さん、これは何ですか?」


 並べてある破魔矢はまやを指差して初穂ちゃんは言った。

 美月子は中学生の時からここに立っているけれど「店員さん」って呼ばれたのは初めてだった。普通は「みこさん」って呼ばれてる。「お嬢さん」と呼ばれることもある。何度か「いたこさん」って呼ばれたこともあったけど、未だかつて店員さんと呼ばれた記憶はない。ここは授与所であってお守りなどを授けるところ、物を売買している訳ではないのだ。しかし、初穂ちゃんから見たら美月子は巫女衣装を着た売り子に見えるのだろう。やってることを考えると、あながち間違いじゃない。しかし初穂ちゃんからは美月子への敵愾心てきがいしんがメラメラと感じられた。


「これは魔を破る矢と書いて、破魔矢と申します。皆さまの身に掛かる不幸や災いなどの魔を退散させ、幸せに暮らせるよう飾る縁起物でございます」

「知ってるわ、お守りの一種よね」

「……はい」


 って、この子も私を試してる?

 思わず美月子は身構える。


「これ、いくらなの?」

「こちらが千五百円、こちらは三千円のお納めになります」

「何が違うの?」

「大きさと、飾りも少し異なりますね」

「御利益は?」

「……?」

「御利益は変わるの?」

「ご利益はお気持ちの問題ですから」

「値段がそんなに違うのに?」

「それはですね……」


 そう、お守りなどの「初穂料」は神様にお供えする感謝の気持ちであって、本来その人の立場や価値観、思い入れなどで変わるもの。それをこの小生意気な小学生に説明するのは難しいけれど、そこは美月子も巫女の端くれ。なんとか説明して理解して貰った。だけど、このおませな女の子の興味は、途中で違う方へと向いてしまった。


「初穂料って、初穂のお値段? 初穂が売られてるの?」

「えっとね。初穂というのは秋、最初に収穫した作物のことなの。昔はそれを感謝の気持ちとして神様に捧げていたんだ。今ではお金をお供えするけど、神社ではそれを昔の名残で初穂料って言うの」

「私の名前もそこから来たの?」

「どうかな。初穂って元々は最初に実った稲穂の意味で、とてもおめでたい縁起物のことだから、きっと「期待していた通りの素晴らしい女の子です」って意味じゃないかな。初穂ちゃんって長女でしょ?」

「うん」

「とってもいいお名前ね」

「――だよねっ!」


「な、巫女ねえちゃんって何でも知ってて優しいだろ」

「ま…… 少しは……」


 ちょろい―― が、美月子は決して声には出さない。


 初穂ちゃん、社務所の商品をぐるりと見回す。そうして回転式の商品棚にずらりと掛けられた色とりどりのお守りに目をとめる。ほとんどのお子様はこれか、あるいは種類豊富なおみくじに興味を示すものだ。初穂ちゃんは回転棚をゆっくり回すと、青い色をしたお守りに目をとめる。


「これ、いくら?」

「六百円のお納めになります」

「高いなあ」

「……」

「いつになったら安くなるの?」

「いつになったら、と言うと?」


 初穂ちゃん、ふふんと鼻を鳴らして自慢げに胸を張る。


「健太お兄ちゃんはね、スーパーのお肉やお惣菜が安くなる時間をちゃんと知ってるよ」

「もしかして、そこの八千代スーパー?」

「うん。わたしも一緒に行くんだよ。安いしポイントも貰えるし」


 と言うことは案外近くに住んでるかも知れない、と美月子は思った。ちょっと南に行くと別の大きなスーパーがあるし、北の方もしかりだ。


「でさ、いつになったら安くなるの? お守りだって期限があるよね」

「普通は一年間って言われてますね」

「じゃあ一年待ったら安くなるの?」

「なりません」

「ええ~っ!」


 あからさまに仰け反る初穂ちゃん。演技だろうか、それとも本当に赤札バーゲンセールがあるとでも思っているのだろうか。彼女はランドセルを脱ぐと、ぶら下がっている真っ赤なお守りを美月子の前に突きつけた。


「初穂も健二兄ちゃんも交通安全のお守り買ってもらったのに、健太お兄ちゃんだけ持ってないの。だから、次、安きなるときは教えて」

「あのね初穂ちゃん、お守りにバーゲンはないの」

「投げ売りは?」

「投げ売りもないの」

「どうして? 価格カルテル?」

「カルテルって、なんか美味しそうだな」

「健二兄ちゃんは黙ってて!」


 一瞬、この兄妹の力関係が垣間見える。


「ふんっ、殿様商売ね」

「神様ですけど……」


 平日は学校から帰った後の少しの時間だけど、土日は一日ここに立つ美月子のこの一週間の売り上げはたったの五千円。それを殿様商売だなんて、あまりに惨いお言葉。私の仕事はホントにご奉仕なのに――


「ところで初穂ちゃん。そのお守りと一緒に付いている、金色のものは何?」

「あ、これ? これは健太お兄ちゃんの中学の第二ボタンだよ」

「……」

「悪い虫が付かないように、初穂が黙って取っておいたの」

「…………」

「第二ボタンはね、一番大切な人が持ってるんだよっ!」


 初穂ちゃん、それはあんまりじゃ~~~っ!




【二話へ】


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