一話
ご覧いただきありがとうございます。
この小説は1章2~3話程度(文庫本で16ページ程度)で完結しながら進む日常系のような、ちょっと変わったラブコメになる予定です。
気が向けば、お気軽にコメントや感想などいただければ嬉しいです。
では、コーヒー紅茶を片手にごゆっくりどうぞ。
「巫女ねえちゃ~んっ、遊んであげよっか?」
うららかな春の夕。
ドヤ顔で社務所の前に立ったのはランドセル背負った男の子。ニカッと笑う焼けた顔には絆創膏がひとつ。
「ぼく、ひとりかな?」
「うん。巫女ねえちゃんヒマそうだから、遊んであげるよ?」
巫女の名は美月子・本業は高校一年生。
例え相手が生意気なお子様であったとしても、今の美月子は神様に仕える清い巫女。白い小袖に赤袴、自慢の長い黒髪を紅白の丈長で結って、言葉遣いは丁寧に、所作は優雅で美しく――
「ごめんね。今、仕事中だから」
「ヒマじゃん!」
商店街の外れにある小さな神社。正月こそアルバイトを雇うくらいに忙しいけれど、普段は参拝客も極めてまばらで、おみくじやお守りを授けるのも1日せいぜい1、2回。当然ヒマ。いや、神に仕える身としては境内を綺麗にしたり、さりげに参拝客のお相手をしたりと、やるべきことはたくさんあるけれど、それでも流石に学校帰りの小学生の遊び相手は仕事と言えない。なのにこのお子様のでっかい態度に美月子の笑顔が少し引きつる。
「じゃあ、ちょっとだけしりとりしましょうか?」
「しりとり? ガキじゃねえし」
「じゃあ、何がいい?」
「そこから出ておいでよ。鬼ごっこしようぜ」
ガキじゃん!
しかし、今の美月子は神様に仕える神聖な巫女、乱暴な言葉はぐっと呑み込む。こんな時こそ笑顔で応対。
「ごめんね、参拝の方が来られるかも知れないの」
「来ね~よ」
「……」
「だって誰もいないじゃん」
「……」
「さっきからずっとヒマじゃん」
「……」
「あくびしてたじゃん」
美月子はすっと目を逸らした。
確かに誰もいない。いつも連んでゲームしている小学生たちの姿すら今はない。悔しいけれどこの子の言うとおり。きっと待っても誰も来ない。美月子は竹箒を持って社務所を出た。
「おっ、鬼ごっごする気になったな」
「違います。お掃除です」
「綺麗じゃん」
美月子は男の子を無視して拝殿に向かい一礼すると、短い参道を掃き始めた。
「綺麗じゃんっ!」
「……」
「き・れ・い・じゃんっ!」
「ほら、落ち葉が散ってるでしょ」
「巫女ねえちゃんがだよ?」
「! 」
振り向くとニカッと笑う男の子。
「赤くなってんの!」
「大人をからかっちゃいけません」
「子供を無視してもいけません」
美月子は小さく嘆息すると彼の前に腰をかがめた。
「お名前は何て言うのかな?」
「けんじ。健康の健に数字の二」
「けんちゃんだね」
「「けん」だけじゃ間違うから、けんじ」
「はいはい。では健二くん。今日は何しに来たのかな?」
「巫女ねえちゃんを退屈から救いに来た」
10年早いわ、このませガキ!
―― とは決して声に出さない美月子。
「ごめんね、お掃除もお仕事だから」
「ふ~ん……」
腕組みをして考える男の子。黒いランドセルには黄色いカバー、グレーのシャツには青い名札に「3年 桜井」の文字。
「さくらい、けんじ…… ?」
半袖に短パン、元気そうな運動靴。改めてよく見ると結構可愛い顔してる。黙ったとこみると諦めてくれたかな、そう思って掃除を再開した美月子。纏わり付かれるのも困るけど、見捨てられるとそれはそれでちょっと寂しいな、とか思っていると。
「あのさ、神様って誰?」
大きな声で背後から、難しいことを聞いてきた。
「神様はね、私たちを護ってくださるありがたい存在なんだよ」
「だから、それって誰なのさ」
「えっと――」
「そういう説明も仕事なんだろ、巫女ねえちゃんの」
そう来たか。煮ても焼いても食えないお子様だこと―― 美月子はそう思ったが、彼の言うことも正論ではある。箒を動かす手を止めて、健二くんに向き直る。
「ここに祀られているのは三柱の水の神々、底筒男命、中筒男命、そして表筒男命でございます。その起源はイザナギノミコトが黄泉の国から戻られたおりに禊ぎをした水の中から現れたとされ、海の神様、航海の神さまとして広く敬われております」
「すげえな巫女ねえちゃん、テレビに出てくるナレーターみたいだな」
感心のあまり拍手をする健二。
「ありがとうございます」
「で、巫女ねえちゃんはその神様に会ったことあんの?」
「えっ?」
ここは美月子の祖父が宮司をしている神社。小さいときから馴染んでいるから祀られている神様やその由来なんかはそらでも言えるが、神様に会ったことなどあるはずもない。
巫女の舞は神様を憑依させる、などという話もあるにはあるが、美月子の仕事はほとんど神社の売り子と掃除屋さん。年に数度は人前で神楽も舞うけど、神様に憑依された経験はない。
一瞬答えに窮した美月子に、健二くんは追い打ちをかける。
「ねえねえ、巫女ねえちゃんは神様に仕えてるんだろ? だったら会ったことあるんだろ?」
「……残念ながらありません」
「どうして、おっかしいじゃん。いないのにどうして仕えるんだよ!」
「じゃあ、健二くんは本物のサンタさんに会ったことがありますか?」
「ねえよ」
「プレゼントを貰ったことは?」
「ちっ。そう来たか」
舌打ちした。
もしかして分かって聞いてる?
お子様だと思ってたけど、案外油断ならないかも――
美月子は気を引き締める。
「じゃあさ、これは何?」
健二くん、今度は拝殿の手前にある、厳つい顔した石像を指差した。
「それは狛犬様です」
「犬? 神社のゆるキャラ?」
「どう見ても、ゆるくはないよね」
「じゃあ、マスコット?」
「マスコット、と言うより置物かな。邪気を払う置物」
「邪気って?」
「悪い気のこと。病気とか災難とか不幸がやってこないように護ってくれてるんだよ」
「ふ~ん」
まるで期待外れ、と言わんばかりの声を出す健二くん。
「ちゃんと知ってんじゃん。つまんね~の」
試されてる!
美月子は確信した。
巫女としてのプライドがふつふつと湧いてきた。
「狛犬はね、犬じゃなくって「狛犬」って言う想像上の獣なんだよ」
「ふ~ん、想像上のって、サンタクロースと一緒だな」
「サンタさんは獣じゃないけどね」
「じゃあ、一角獣とか!」
「よく知ってるね。他には獅子舞の獅子とか」
「獅子舞? 何それ?」
「だよね。この辺では獅子舞しないからね。ライオンみたいな獣なんだ」
「ふ~ん――」
美月子はちょっと自慢げに小さな胸を張った。
健二くんは右の狛犬の前に立ち、まじまじと観察を始める。
さあ掃除に戻ろう―― と美月子が竹箒を構えると。
「撫でてもいいの?」
「へ?」
「狛犬。撫でてもいいの?」
うちの狛犬様は怖い顔してるから、私はそんな気にはなれないな、と思いながら。
「優しくならいいよ。別にご利益がある訳じゃないけどね」
「いいんだ」
そう言うと健二くんは狛犬の頭をちょんと触って言った。
「ピンポ~ン」
「何?」
「頭の上にボタンを置くと面白いよ。お客さん増えるかも」
「逆に減ります」
「そうかなあ。クイズが出来て面白いじゃん」
「参拝される方は面白さじゃなくって、ご利益をお求めですからね」
「ふ~ん…… 巫女ねえちゃんって、何でもよく知ってるんだ」
「そりゃあ巫女ですから」
「巫女学校とかあんの?」
噂では都会にはあるらしいけど、この辺にはない。小さいときからの見よう見まね、独学で巫女をやっている美月子。でも、そう言うのがあったらいいな、とは思う。巫女って社務所でただお守り売ってればいいってもんじゃなくって、礼儀作法とか知識とか結構たくさん必要なのだ。
「この辺にはないかな」
「じゃあ、巫女さんの免許はどうやって取ったの?」
「免許なんてありません」
「だったら俺でもなれる?」
「それは無理かな」
「男だから?」
「よく分かったね」
あ、こりゃ男女差別だとか、雇用機会均等法に反するだとか言い出しそうだな、このお子様―― と思って身構えた美月子に、健二くんは肩すかしを喰らわせた。
「ま、俺はなりたくないけどな」
「どうして?」
「処女はイヤだし」
「……」
「なあ巫女ねえちゃん。処女って何だ」
「知りませ~んっ」
「な~んだ。知らないのか――」
健二くんはてくてくと参道を歩くと、今度は鳥居を指差した。この神社の鳥居は長い階段の下にある。言い換えれば、鳥居をくぐると階段があって、それを登った先に社殿や社務所があるのだ。
「あの門が入り口?」
「そうだね。鳥居って言って神社の入り口なんだよ」
「その「鳥居」の上にさ、投げた石ころがたくさん載っかってるじゃん」
「そうだね」
「石を投げてのっけたら願い事が叶うってホント?」
確かにそう言う俗説はあって、ここの鳥居の上にも石が山のように載っているが。
「真っ赤な嘘です」
「えっ、嘘なの! 俺、さっき頑張ってのっけたのに」
「人に当たると危ないから止めようね」
「な~んだ。いいことあると思ったのにな」
健二くんはそう言うと足下の石ころをひとつ拾った。
「じゃあこれ、どこに投げたらいいの?」
「投げなくてもいいです」
「怪獣が出たら?」
「石じゃ勝てないから逃げましょう」
「出るんだ、怪獣」
「出ません」
「じゃあ妖怪は?」
「そういうのはいるかも知れないけど…… あっ、ほら。健二くんの後ろに」
いたずら心が湧いた美月子、思いつきで健二くんの背後の茂みを指差した。後ろを振り向いた健二くん。薄暗い茂みを暫く見ていたが、やがて。
「ホントだ、あそこにいるね」
「えっ?」
「鼻が長くて羽が生えてて、内輪を持って木の間を飛んでる」
「天狗?」
美月子は体中から血の気が引くのを感じながらも、勇気を出して茂みに目を凝らす。この神社の鎮守の森は本当に申し訳程度の広さしかなく、春の青葉が鬱蒼と茂るそのすぐ先には隣のアパートの白い壁が覗く。美月子は巫女ではあるが、その手のものは見たことがないし、見たいとも思わない。ただ、そう言う話はよく聞いた。ここではないけど市内の別の神社には結構出るんだとか。天狗じゃないけど得体の知れない不気味な何かが――
「わっ!」
「きゃあっ!」
「……」
「…………」
悲鳴を上げた美月子に、健二くんはにやりと笑顔を見せる。
やられた。
返り討ちに遭った。
こんな小さなお子様に――
美月子は唇を尖らせる。
「巫女ねえちゃん、チョロいね」
「大人をからかっちゃいけません」
「子供もからかっちゃいけません」
確かに、最初に驚かそうとしたのは自分だった――
「はい、わかりました。ごめんなさい」
「分かればよろしい」
偉そうに胸を張り、健二くんは声を上げて笑った。
この子は油断ならない。でも決して悪い子じゃなさそう――
美月子も釣られて笑った。
「巫女ねえちゃんの名前は?」
「わたしは「みつこ」って言うの」
「みつこねえちゃん、みっこねえちゃん…… やっぱ巫女ねえちゃんだ」
「だね。よく言われる。あ、そうだ。ちょっと待ってて」
美月子は竹箒を持ったまま草履をパタパタ鳴らして社務所に向かうと、すぐに早足で戻ってきた。そうして健二くんに向いて腰をかがめて、握った両手を前に出した。
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